深刻になっていいことなんて一個もないよ / よしもとばなな『ちんぬくじゅうしい』
先日の投稿のなかで、「まじめだけど深刻なわけでもなく」と書いた。
私は昔から、この「まじめだけど深刻ではない」という表現が気に入っている。
よしもとばなな『なんくるない』所収の「ちんぬくじゅうしい」という短編に、深刻という単語が何度か出てくる。
主人公の中学生の女の子は、母親がちょっと怪しい団体に傾倒してしまい、このままでは両親が離婚するのではと不安でいっぱい。
いよいよ両親が別居することになり、那覇に住むおばさん(父の妹)のところに預けられることに。
思いつめた様子の彼女に、おばさんは明るくこう言う。
「深刻になっていいことなんて一個もないよ」
特に10代、中学生くらいの悩みだらけの思春期の頃に、明るくそう言ってくれる信頼できる大人が近くにいたら、どれほど心強かっただろう。
容姿のこと、友達との関係や、好きな人のこと、部活、テスト、進路、家族のことなど、毎日毎日、いま思えば、何もかも深刻に大げさに悩んでいた。
「どうせ卒業したら終わりなんだし、外の世界は広いんだから、そんなに暗く思いつめて悩まなくてもよかったのにね」
と、大人になってみると分かるんだけど、当時はやっぱり分からなかった。見える世界がすべてだったから。明日、来週、学校で誰にも嫌われずに平和に過ごすことが、何よりもいちばん大事だったから。
ただ、同じセリフでも、親や先生に言われるのは、またちょっと違う気がする。
親とか先生とか先輩とかじゃなくて、こういう「おばさん」くらいの、縦でも横でもない「ナナメの関係」の大人に言われるのが、距離感的にはちょうど良いんだと思う。たぶん。
だから、家と学校以外にどこかもう一つ居場所を作るのって、子どもにとってすごく大事なんだろうな。
おばさんは、にかっと笑って手を握り、続けてこう言う。
本当にそうだなぁと思う。
昔の幸せな思い出を頭に浮かべるとき、どこかへ旅行に行ったとか、こんな美味しいものを食べたとか、そういう大きな出来事よりも、母が夕方再放送のドラマを見ていた姿だったり、家族で車の中でしゃべった時間だったり、そういうなんでもない時間のほうが印象に残っている。
何を話していたとか、どこへ向かっていた車中だったかとか、細かいところは全然覚えていないけど、あの時の雰囲気はなんとなく覚えている。(私は特に記憶力がない方なので細かいことは本当に忘れた)
結局、母親は戻ってくるのだが、おばさんは数年後に病気で帰らぬ人になってしまう。
あんなに深刻に悩んでいた母のことはまた日常の中へと消えていき、反対におばさんとの何気ない日々のほうが輝いて見えてくる。
時間が経てば経つほど、過去の意味はどんどん変わっていく。
だから、必要以上に深刻になって重々しく「今」を過ごすのは本当にもったいない。
アドラー心理学の『嫌われる勇気』にも、「深刻になるな」と書いてあった。
真剣とは、いい加減や遊び半分でなく本気なこと。
深刻とは、容易ならない事態と受けとめて、深く思いわずらうこと。
似ているようで、全然違う。
どう捉えようが、起きたことは変わらない。
それなら何事も、深刻に受け止めず、今やれることだけ考えて、とにかく手と足を動かす!たくさん食べて笑って、意地でも元気に生きること!
あぁ、沖縄行きたい。
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