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ぼくの、はじめてのともだちなんだ / 森絵都『カラフル』


先日、10年以上ぶりに小説『カラフル』を読んだ。
中学生くらいのときに読んだきりでほぼ内容を忘れていたので、新鮮な気持ちで読むことができた。


設定や展開の面白さの説明はここでは省くとして、
印象的に残ったシーンについて書こうと思う。


主人公は、私立高校への受験を勧める家族の提案を断るのだが、公立高校に行くと決めた理由として「早乙女くん」という友達の名前を挙げ、「ぼくの、はじめてのともだちなんだ」と打ち明ける。

 くだらないと笑われても、ぼくには今、二一八〇円のスニーカーを教えてくれた早乙女くんが、この世で一番、尊い。
 「ほんとは、たぶん、こわかったんだと思う。受験がやだったわけだけじゃなくて、高校生活、自信なかった……」
 心を激しくゆらしたまま、それでもぼくは懸命にしゃべろうとした。
 「中学校ではつまずいた。たぶん出足が悪かったんだ。みんなといっしょにふみだせなかった。最初の一歩が遅れたら、なんだか調子が狂って、動けなくなっちゃった。クラスのみんなにおいてかれればおいてかれるほど、体がかたくなって、どんどんだめになった」
(中略)
「でも、なかには早乙女くんみたいに、立ち止まってふりむいてくれるやつもいた。おれ単純なのかもしれないけど、めちゃくちゃうれしくて、なんかきゅうに元気でてきて……。早乙女くんとともだちになれたから、もしかしたらほかにもともだちができるかもしれない。ひとりずつ、少しずつふえていくかもしれない」

森絵都『カラフル』(1998)理論社、p.217-218


前回読んだとき、おそらく私は、さらっと読んだのだと思う。(全く記憶にないということは、きっと大して印象に残らなかったのだろうから)

しかし、アラサーになった今の私には、この場面が一番ジーンときた。「友達ができて、本当によかったね…」とオバちゃん目線でそう思ったのだ。


出だしからつまずいて、みんなと同じペースでスタートを切れなくて、色々うまくいかなくて、どんどん怖くなって、何もかも嫌になって、全てから逃げたくなって…。

少年は、一度は逃げてしまった。


だけど今度は、大切な友達ができた。

なかには早乙女くんみたいに、立ち止まってふりむいてくれるやつもいた。



そうだよ。


諦めなければ必ず、1人くらいはそういう人がいるんだよ。君は、絶望するのがちょっと早すぎただけなんだよ。

そのことに気付けてよかったね。
悲しんで誤解したまま、死ななくてよかったね。
先は長い、十分やり直せるよ。


そんな感じのことを、
小説の中の少年に向かって思った。




私は今アラサーだが、ここ数年は本音で喋れるレベルの新しい友達はできていない。泣


今も連絡を取り合って仲良くしている友達はほとんど、学生時代の友達ばかりだ。

もし、彼女たちと「今」出会っていたとしたら、絶対に今ほど仲良くはなれていないし、大人として適度に距離感のある関係にしかなれないと思う。

今と全く同じ「私とあの子」だったとしても。

私たちの間に「思い出」や「歴史」があるから「今も」仲良くできているだけであって、その前提がなかったらそもそも今の関係が成り立たない。


最近はもう「友達ってどうやって作るんだったっけ?」って感じ。

学校って色んな意味ですごい場所だな、と社会に出てみて本気で思う。当時は気付かなかったけど。



根性論に受け取られてしまうかもしれないが、思春期の多感な時期に、信頼できる友達が1人でもできるというのは、勉強ができたりモテることなんかよりも、何十倍も大事なことだと思う。

私が、幼い娘のこれからの人生に願いたいことの1つは、健康の次に「1人でもいいから、心から信頼できる友達ができますように」ということだ。


そして、この小説の早乙女くんのように立ち止まってふりむいてあげられる優しい人になってほしいな、とも思う。

どう考えても気の合わない人や嫌悪感を抱く相手に対しては、別に無理やり立ち止まらなくてもいい。ただ、特別な理由もないんだったら「どうしたの?」と、ひと言声をかけてあげるくらいはできる人になってほしい。


おれ単純なのかもしれないけど、めちゃくちゃうれしくて、なんかきゅうに元気でてきて……。早乙女くんとともだちになれたから、もしかしたらほかにもともだちができるかもしれない。ひとりずつ、少しずつふえていくかもしれない

『カラフル』より


やっぱり「友達ができる」って
純粋に理屈抜きに、単純に嬉しい。本能だ。

「友達なんていらない」という言葉もたまに聞くが、ほとんどはただの強がりだと思う。

いや、実際は面倒なことが多すぎるから、もう本気で友達いらないって思ってる人もいるかもしれないけれど、ただそれは「面倒なことが嫌」とか「裏切られるのが怖い」というだけで、「信頼できる友達がいる安心感が嫌」というわけじゃないはず。

大多数の人は、友達ができたら嬉しいと感じるはず。
(もちろん友達の多さじゃなくて)






私も、noteで色々と正直な気持ちを書くようになって、コメントを書き込んでくれた人と交流したりして、ネット上かつ匿名とはいえ普通の友達みたいな感じでとても楽しい。自分を良く見せたり背伸びする必要もなく素の状態で話せるし、自分のペースを優先できるのもありがたい。


だから、ネット上でももちろんいいし、対面だともっと面白いけれど、やっぱり本音を話せる友達がいるってとても大事だと思う。

少なくとも私は、家族だけじゃ絶対人生つまらない!
家族以外の存在も、すごく大事。


なんか、小説の話だったのに自分語り多めになっちゃった。

まぁいいか…




新学期が始まって、友達がなかなかできなくて今悩んでいる子もいるかもしれないが、先輩オバとしては「まぁ焦るな。」と言いたい。

心細くて不安かもしれないが、あまりビクビクせずに堂々としていたほうがいい。誰にでもヘラヘラ愛想を振りまくことは、人に好かれるための方法じゃないので、もし無意識にやる癖がついてしまっているならちょっと意識した方がいい。

それはおそらく愛想というより、相手に嫌われたくないと怯えるビビりな自分を笑顔でごまかして守ってるだけだから。


まぁ、言葉で言うのは簡単で
それがなかなかできないから難しいんだけど。

気の合う友達、できるといいね。
頑張って。きっと大丈夫。


(今度は若者へのエールになってしまった)




私も新しい友達ほしいな。
年齢とか違ってもタメ口で話せて、気軽にお茶にいけるような関係の。




小説の話から色々寄り道してしまったが、要は、友達がいるってやっぱり良いよね!ってこと。


私は友達の「数」こそ少ないが
これからも「良き友」でいられるように
できる限り、誠実でありたい。


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