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仕事も趣味も心を燃やせ!人生の濃度を追求する『高橋メソッド』 (後編)

話し手:高橋   Moloco 営業部長(愛称:きみー)
年齢:34歳 (2023年8月現在)
2022年11月 Moloco 入社

聞き手:坂本 達夫 Moloco 日本事業統括

後編に入る前に・・・
『高橋メソッド』 (前編)がまだ!の方はまずはこちらから


反骨精神が圧倒的なモチベーションだった!
これでもか!!と働いた日本法人の立ち上げ

その後、RTB Houseの立ち上げに従事したんだよね。

Moloco営業部長 高橋 君成


はい。RTB House* の日本立ち上げに従事することになるんですが、もう、本当にこれでもか、っていうぐらい働きました(笑)。当時、自分以外にもう1名、業務委託の日本人スタッフはいましたが、正社員としては日本法人における第一号メンバーでした。

RTB House*: AIを基にしたブランディング広告やリターゲティングソリューションなどを提供

当時、それほどまでに働いたモチベーションは何だったんだろう?

モチベーションは反骨精神でしたねぇ・・・。日本法人を立ち上げた時に、一番困るというか悩むのは、二人目の採用だと思います。それがとても重要なポイントだと個人的には思っていて、なぜなら、二人目でその会社の成長曲線が変わると考えているので。

だからやっぱり良い人材、自分より優秀な方に入ってもらいたいと考えていました。ただ人脈もそれほどなかったこともあって、当時、競合であり、古巣だったCRITEOの方で自分が一緒に働きたいなと思う人達に声をかけたんです。でも・・・見事に全員に断られました(苦笑)。

全員かぁ、なかなかキツいね。

その当時、いろんなリターゲティングサービスが日本市場に入ってきていたんですけど、結果的にやっぱりCRITEOが強いねってムードで。『リターゲティングの日本市場参入は厳しい』というタイミングだったこともあって、「今さら新参者がきて何をするの?」という風潮があったんです。
そういう自分自身もCRITEOにいた時に、新参者の日本参入がうまくいっていないのを見ていたので、この市場は「CRITEO一強でしょ」と思っていました(苦笑)。

そう思いながらもRTB Houseに入社することに決めたのは?

それはもう男のロマンみたいなもんですね。強いものを倒したい!という。そして声をかけた全員に断られたとき、自分に火がつきました(笑)。
正直、悔しかったんです。「えっ?挑戦しないの?」という意味で。もちろん自分自身に魅力がなかったのかもしれないし、RTB Houseが知られていなかったということもあったと思います。ただ、悔しさのほうが勝っていましたね。そのとき決意したのは、もし仮に2年後、彼らから「採用してほしい」と相談されても、絶対に採用しない!と。我ながら器ちっちぇえですが (笑)。
その反骨精神だけをモチベーションにして頑張って働きました。

そういう気持ちもわかるなー。

ですよね!!ありますよね!!!!
周りから「きみーの会社うまくいかないと思う」なんて声も聞こえてきました。それもまた悔しかったですけど、落ち込むというよりは、見返してやりたい!という気持ちのほうが強かったですね。

大抵の人は直接会った時にはそういうことは言わず、表面上は応援してくれますから。「自身で挑戦もしてないのに、何言ってんだこいつは!」みたいな悔しさをエネルギーにして(笑)、まさに反骨精神ひとつで頑張りました!! むしろ、そういうほうが燃えるんです。

燃えた結果、RTB Houseは伸びたよねー。凄かった。

燃やしました(笑笑)。

自分もAppLovinの日本第一号社員から、日本市場への参入をそこそこ成功させたと自負しているんだけど、RTB Houseはそれ以上に伸びたよね。正直、ちょっと悔しい思いはあった(笑)。

AppLovinの売上規模は分かりませんが(苦笑)、人数や組織としてはRTB Houseは大きくなりましたね。退職当時は35人ぐらいで、月間数億円後半の規模になっていました。
とにかく必死でした。ひたすら反骨精神だけで、やれることは全てやりました。
燃えるものがあったので、しんどい仕事も乗り越えられました。

あの時、セールスだけじゃなくてカントリーマネージャに近いこともやっていたけど、そういった立ち位置は初めてだったの?

初めてでした。とても楽しかったです。
社内の他の部署、例えばマーケティングや、条件面の調整で法務を動かす必要があった時、肩書きとか社内的なインフルエンスって大事だなと感じました。社内での関係性がうまくいっているとセールスに良い影響があるんですよね。

また代理店へのプログラムも入社後一年で勝手に作って、勝手に始めてました(笑)。グローバルのプログラムが始まるとかは関係なく、日本独自で。それができたのは、日本で一人目という立場や肩書き、あとインセンティブがあったからこそだと思います。

ただ自分として「俺は一体、どこに向かっているんだ?」ということにならないようにマイルストーンは設定していました。


マイルストーンの重要性と、
その先を経験して分かった大事なこと

マイルストーンっていうと?

当時のマイルストーンは「年間⚪️億円を売り上げるぞ」で、達成したらやめようと思っていました。で、実際に達成したのでやめました(笑)。自分の仕事はここまでだと。

カッコええ (笑)。その後、大きくしていくことに興味はなかったの?

そうですね。ある程度仕組みを作ったら、あとは誰でも大きくできるだろうと思っていたからです。仕組みがあれば、100億円もその先もいくだろうと。それはCRITEOにいた時、数十億から数百億までの過程を経験していたからでしょうね。

CRITEOはそういうフェーズだったのか。

たしか自分が入社した時は数十億規模だったんですが、一瞬で数百億にいったんです。ただ自分は何もやっていないというか、大きな仕組みのなかで働いていただけなので、知らない間に数百億まで伸びていったという感じで。それを経験し、大事なことは仕組みの設計の部分だということを痛感しました。

これからの仕事と人生について
〜今を徹底的に充実させる高橋メソッド〜

外資系を経験したあと、日本の会社に戻った時期もあるよね。
いわゆる『外資沼』、外資系の会社ばかり転々とする人も少なくない中で。実際、どうですか?

外資のスタートアップと日本のスタートアップは、同じ『スタートアップ』といっても、ステージが全く異なっていると学びました。

外資が日本に進出するのは、APACレベルだとシンガポール、中国の次あたりが多いと思います。つまり日本に進出してくるような会社は、グローバル展開が既に始まっていて、本社のインフラもそれなりに整い、少なくとも100人規模の段階な訳です。ある程度の数のエンジニアもいれば、バックオフィスのスタッフもいる。

少なくとも『どスタートアップ』って段階で日本進出してくる外資系企業は、ほとんど見たことないね。

一方、日本のスタートアップはもっと前段階なわけですよ。グローバル展開前の、内需つまり日本国内の売上をどう伸ばすか、シリーズAやBのラウンドをどうするか、などを検討している段階です。プロダクトの洗練度もまだまだ粗い状態だし、そのことに気付いてすらいない可能性もある。つまり自分が外資に入って日本展開をする段階というのは、スタートアップと言いながら、既にかなり『整っていた』んだというのが大きな驚きでしたね。

確かに、言われてみればそうかも。

でも実は、外資にいた時から、いずれは日系企業に帰りたいと思っていました。

それはどうして?

外資かつアドテクで25年、30年食いつないでいく自信はがないんですよね。というかアドテクというマーケット自体がなくなると考えていたからです。いずれ日系に帰らなければと、CRITEOに在籍していた終盤にはすでに思っていました。

だから、例えば日本一人目社員をやるにしても、日系企業に採用された時に即戦力になるような実力を身につけないとダメだと思ったんです。「外資のアドテクをやっていました」だけでは通用しないなと。

外資の日本での一人目というのは多くの場合、悪く言えば単なる営業部長ですよね。実際『実は営業しかできません』という人も多いと思います。でも実際は、やろうと思えばいろんなことができる。

肩書きがどうであれ、実質的には経営者という動きができると。

そうです。それを意識して、RTB Houseでは動いていました。いずれそれを活かすことができるだろうと。

それで実際に、経験を活かして日本の会社の経営陣に入った。

結果的にはあまり上手くいきませんでしたが(苦笑)。

今でも、いずれは戻りたい?

やっぱり、また挑戦したいですね。

でも、日本のスタートアップだと、今ほど高い報酬を出せるところは多くないかもしれない。

ですね、、、となると外資。やっぱり沼から抜けられないんですかね(笑)。

仕事だけではなくプライベートでも心を燃やす

ここまで仕事の話を中心に聞いてきたけど、人となりを紹介!なので、
プライベートについても聞かせてください(笑)。
趣味にもめちゃくちゃエネルギーを燃やしているよね。

実は10年ぐらい前までは趣味がなかったんです。それがコンプレックスで、「趣味は何?」と質問されることがすごく嫌でした(笑)。で、5年前、趣味を作ろうと決意して。

趣味って決意して作るものだっけ?(笑)

その年に、一般的に言われる“趣味”のリストを作って、それこそ『お遍路さん』から『滝行・護摩行』に至るまで、ありとあらゆることを試しました。で、いまだに残って続いているのが、ゲームやランニングです。

趣味を作るアプローチが独特すぎる。

ランニングは朝晩で、平日10km、土日のどちらかはほぼ毎週ハーフ (約21km) を走っています。それから夏はダイビング、冬はスノーボードもやりますね。平日は早朝から深夜まで働いた上でです。決して強制されてではありません(笑)。

趣味も、まるで仕事のように詰め込んでいるよね(笑)。

いやー、自分ではまだまだ詰め込めてないと思っています。寝ていますから(笑)。

「寝ていますから」って、命削って趣味をしているような・・・。

そう言われることもありますねー。

自分の人生観を反映しているのかな。

人生100年時代の中で、立って生きていられるのは70年ぐらいで、しっかり身体を動かせるのはせいぜい50年ぐらいだと考えたときに、何もしないで生きているのは意味がわからんと思っていて。それはとても勿体ないという思いが強いですね。

だからそんなに『生き急いでる』ように見えるのか。

来世を信じていないこともあって、とにかくこの人生を誰よりも味わい尽くすと決めています(笑)。人生何周目ですか?って思われることがステータスなんです。とにかくもっともっと詰め込みたい!寝ている暇なんて、本当はないんですよ。プレー時間潰しているって思うんですよ(笑)。

どうしてそんな価値観になったんだろうね。

どうしてですかねー。わからないです。自分の人生がつまんないなと5年前に思ったのと、誰かの履歴書を見た時に、自分は『趣味』の欄に何も書けないなと自覚して。それが突然、コンプレックスのように感じられて、そこで脳内のギアが切り替わりました。今も続いているということは、今のこの生き方が向いているんだと思います(笑)。

ハードワークして、たくさん稼ぎ、たくさん趣味をやって、生きる濃度を上げる。この生き方を突き詰めていきたいです(笑)。

死なないようにね。(真顔)


今回、登場いただいた「きみー」こと高橋 君成さん。いかがだったでしょうか?

ひたすら熱く、常に燃えて、濃いぃ〜〜人生を満喫している「きみー」!そんな彼は、いつもMoloco Japanチームの笑いの中心にいてくれます。

次回はどんなMolocoメンバーが登場してくるか、このnoteをフォローして楽しみにお待ちください!

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