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祖母の茶碗蒸しのナゾ

子どもの頃、祖母が作ってくれた茶碗蒸し。大ぶりの器にうどんが入っていて、卵のふるふるした生地とうどんのなめらかさが相まって、なんとも美味しかったのでした。「今晩は茶碗蒸し」と聞くと、やったー。という気分になったものでした(次世代の甥っ子たちも大好きだったようです)。

ところで、よそでいただく茶碗蒸しはさながらプリンのよう。小ぶりな器で、うどんは入っていない。あの、両の掌で包み込んで食べる、包容力のあるうちの温かい茶碗蒸しと比べると、ちょっと物足りない。

子どもの頃食べたあの茶碗蒸しは独自のものだったのかな。うちって変わっていたのかな。と、大人になってからふと思い出すことがあったのでした。

昨年から、毎朝10分程度、声を出して本を読むことを始めました。「音読すると脳が活性化する」という記事を読んで。脳が気になるお年頃なので。

本を読むだけなら手軽にできる。仕事を始める前、朝のウォーミングアップみたいでいいかなって。

せっかくなら、読んで楽しめるものをとまず選んだのが、高田郁さんの『みをつくし料理帖』(ハルキ文庫、全10巻)。

大坂生まれの主人公・澪が、いろいろあって江戸に渡り、料理人として成長していくというシリーズもの。これまで何度も繰り返し読み、読むたび発見があり、飽きることがなかったもの。

声を出して読み始めると・・・目で読んだときも楽しかったけれど、声を出して読んでも楽しい!   声を出して読むことで、表現の一つ一つがいっそう際立ち、味わえ、豊かな時間がやってきました。

数ページ読んで、続きはまた明日。毎朝のちょっとした楽しみに。

2月に入って、6巻目の『心星ひとつ』を読んでいたときのこと。最後の方に「苧環(おだまき)蒸し」という料理が出てきた(略して「おだまき」と呼ぶことも)。

大ぶりの器の底にうどんを巻いたように敷き詰めたもの。辞書にもちゃんと「うどんの入った茶碗蒸し」と載っていた。

常よりも深い、大ぶりの素朴な灰釉鉢。柔らかめに茹で上げたうどんは、くるりと巻き取って、器の底に納める。

(284ページ)

何時頃からか、柔らかめに茹でたうどんと茶碗蒸しを合わせた苧環蒸しという料理が、大阪のうどん屋の献立に載るようになった。商家でも晴れの日の食として供され、好まれた。

(285ページ)

あぁ。我が家では「茶碗蒸し」と愛称していたけれど、祖母の作ってくれていたのは「おだまき」だったんだなぁ。あれは関西発祥のものだったんだなと、合点がいった(私の実家は兵庫県)。

「晴れの日の食」ということにも、なんとなく納得。「今晩は茶碗蒸しやで」と聞かされたとき、「やったー」という気分になったのは、ちょっとした特別感があったんだなと思い重なった。

しかし、何度も読んでいたのに、今頃ハタと祖母の茶碗蒸しとつながるとは。目で読んでいたときはスッと通り過ぎていたのかな、声を出すことで認識が立ち上ってきたのかなと、音読の力技を実感したのでした。

ところで、何度も読んだ話だけれど、読むたび涙が出てくるシーンがいくつかある。それは声を出していても同じ。そのシーンがくると、泣きながら声を出して読んでいるという(何やってんだ私、と思いつつ)。

この苧環蒸しが出てくるシーンも『みをつくし料理帖』の中で、脳に残るもののひとつ、とってもいいのです。

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