シャドーハウス(マンガ)(著:ソウマトウ)【読書感想よ、お前もか】
うちの弟がゆっくりと買い続けています。
最新刊まですぐに読まず、気が向いたときに買ってゆっくり読む、そんなスタイルです。そういうわけで私もゆっくりと読んでいます。
とうの昔にアニメ化までされて何期かわかりませんが、気長に進めていきます。
第1巻ではまず全貌がまったくわかりません。
話が進めば進むほど、物語世界の謎が解けてきます。
「進撃の巨人」とかでもそうですが、連載作品でこれをやるのは大変です。
途中で打ち切りになったら、せっかくの設定がすべてぱあになります。
大構想を立てたにも関わらず、9割がた公開されなかった物語がどれだけあることか。
でも今回は成功しているみたいですね。
まず「シャドー」という妖怪みたいな貴族のお家があって、
「生き人形」という人間みたいなお付きの人がつけられます。
シャドーは外見が真っ黒で、光で肌合いや表情が見えることはありません。
生き人形は一方で、人形とはいっても人間そっくりです。
(もう、感のいい人はピンときたかもしれませんけど)
シャドー家の方々はたくさんいて「名前・シャドー」と呼ばれます。
生き人形とはそっくりさんのようです。
それどころかシャドー家の方々は真っ黒で表情が見えないので、
生き人形が感情を身代わりで表現されるようです。
そういう文化なんですね。
といっても、物語の展開スピードは遅く、
「ケイト・シャドー」嬢とお付きの生き人形「エミリコ」嬢の間で、
ゆっくりとスローテンポで話は始まります。
なんか日常系のテンポですね。
エミリコ嬢が天然系のキャラなので、知的系のケイト嬢がそれに振り回されるような形でドタバタ劇が進んでいくという、ふたりはデコボココンビなのです。(後から考えるとこれは非常におかしいのですが)
この段階では、なぜ世界はこうなっているのかが、即座には分かりません。
とりあえず世界はそういう風にできている、と考えて進むしかないのです。
子供がはじめて見る世界、みたいな感じですよ。
不気味な雰囲気、きっとおぞましいであろう世界の謎、そして対照的に楽天的な主人公たち(厳密にいうとケイト嬢は深刻さが絵になる知的タイプなのですが)
楽天的なエミリコ嬢がお話の主人公になっているせいで、その明るさが暗い世界を少しづつ汚染していきます。
エミリコ嬢がいなかったらただのホラーになっていたんでしょうね。
主人公属性ですぞ。
おかげで後から登場したキャラクタも、時間が経過するほどに、どことなく楽天性を付与されていきます。
未完結の作品なので今後どうなるかわかりませんが、おそらくこのテイストが全編を通してBGMになっているのでしょう。
今はもう話がだいぶ先に進んでしまっているので、
先の方のネタバレや考察がやたらとネット上にあるのですが、
序盤のスローテンポこそが、この作品の重要で本質的な部分です。
というか、私はそう思います。
打ち切りリスクを天秤にかけてまで、序盤でこういう話を優先してくるからには、こちらの方がむしろ本命で、本当は中盤以降のおどろおどろしい謎解き展開はオプションに近い。
と私は考察してみたのですがどうでしょうか。
光がなければ、闇も存在しえず。
闇が深ければ深いほど、光もまた美しく輝く。
明暗の極端なコントラストで、作品世界とメッセージを際立たせる。
いわばレンブラント技法を、そのまま世界観として表現したマンガ作品。
そんなシャドーハウスはまだ継続中の物語です。
結末が語られてしまう前に、読み始めるというのは、どうでしょうか?
まじめな書評やアニメ紹介は第一期のものをつけておきますね。
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