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死んだように生きる。

こんばんは。もっこです🐰
私は不登校、鬱病、病気で高校を辞めた過去があります。自殺願望もありました。
今回はそんな私が今を楽に生きられるようになった話をしたいと思います。

実は私の母も一度本気で死のうと思った事があったそうです。
5日間、水と食事を一切口にせず、ベッドから動かないまま…
でも流石にお風呂に入りたくなったらしく、シャワーを浴びてすぐ出たのですが…
(本人曰く、女として綺麗でいる事を諦めきれなかったらしいです)
そしてすぐに顔から倒れて救急車🚑
前歯を2本折るだけで済んだのですが…
その時の話をする度に、

「もう死んだのよ」

と母は言います。
今はもう“生きているようで死んでる”のだと。


無というのかもしれません。
“体は生きているけど、あの世にいる”みたいな…
諦めたと似てる感覚かもしれません。
ですがこれが結構楽なんです。

誰かが言い争っている。
揉めている。
皆んなで非難する。

その舞台に入り込まない。
観客席から見るといった感じで生きる。
詳しくは知りませんが、お釈迦さまも掌の上(?)に世界を乗せて見ているのだそうです。
規模は違いますが、
お釈迦さまと同じ視点ですね。

入り込んでしまうとどんどん他の人の感情が積み重なっていきます。

私もその感覚がわかるようになってきました。
相手の立場に立って考える事をし過ぎた結果、自分がわからなくて湧き上がる感情ですら人の物だったんです。

鬱になって家族以外の全ての人間関係を切り、ただひたすら瞑想を続けて1週間…
自分と向き合い続けたら、

あれ…?私の心ってこんなに綺麗だったんだ。

って事に気づきました。
他の人の感情が積み重なっていて、もはや私じゃなくなっていたんですね。(特にエンパスなので…)

しかし、それに気付いてからというもの他人から文句を言わることがあっても、「あ、そうなんだ」で終わるようになりました。

後に引く事なく、変に「こうしなくちゃダメ!」っていうのが無い。
力の入った状態が無くなるので、人と競う事が無くなりました。

私もある意味、学校を辞めて競う事をやめました。
しかし辞める前はずっと苦しんでいました。
学校を辞めたら社会的にどうなるか…を。
辞めたら終わりだと思っていました。
そんなものより自分がどうしたいかを大事にすべきだったのに…
心は「逃げたい、もう無理だよ」と言っていました。だから心が病んで体も病むんです。
最後まで私を苦しめていたのは“見栄”でした。
死ぬよりも諦める方がマシだと思って逃げたんです。

逃げる勇気、めっちゃ大事です。
逃げるが勝ちって言いますけど、立ち向かう前に逃げた方が自分の行きたい道へまっしぐらに行ける。
しかし、何でもかんでも立ち向かったら成長があってもその分大きな怪我を負う。
それプラス、休む時間が必要になる。
だったら逃げて自分の好きな道をコツコツ生きた方が絶対良い。

…と思うのです。


主役は自分。
私から見ているのですから、私の心が曇っていたら私の世界が全部暗くなってしまいます。

まずは自分と向き合う事。


内容が少し逸れてしまいましたが、“死んだように生きる”とあと“瞑想”を本当にオススメします。


自分の行きたい道がわからない。

瞑想して凝り固まった思考をまっさらにする。

自分の本当にやりたい事を思い出す。

初めての瞑想は1週間続けてみてください。
ぜひナレーション付きの瞑想を使ってみてください。そっちの方が個人的には楽に出来ました。

私はYouTubeのを聞いて瞑想してます。
最初は思考がぐるぐると止まらないと思いますが、徐々に“無”になってきます。

騙されたと思って1週間だけでもやってみてね。


※ちょっと情緒不安定気味なので私も瞑想してきます🧘‍♀️

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