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小説 「長い旅路」 3

3.難航

 俺は秘密裏に転職活動を始めた。

 しかし、奇妙なことが起きた。
 転職のための面接が予定されている日に限って、お局様から「出勤してほしい」と言われるようになったのだ。その度にシフトを変更し、面接の日取りを変えてもらった。(幾つかの会社は、それだけで「不採用」となった。)
 初めは「嫌な偶然だな」としか思わなかったが、それが3回目となった時、心底「気味が悪い」と感じるようになった。
 俺が寮の自室で電話をかけていたら、周りの部屋の人間に、声が聴こえてしまうのだろうか……?
 しかし、電話の声が、日付が聞き取れるほど鮮明に漏れているなら、俺の部屋にも、他の住人の声や生活音が聞こえてくるはずだ。だが、入社してからの4年間、俺が寮の自室で「同僚の声」や「テレビの音声」を、内容まではっきりと聴いたことは無い。
(部屋に盗聴器があるのか!?それとも、スマホがハッキングされているのか……!!?)
得体の知れない恐怖が、ずっと付き纏うようになった。
 自分のスマホに有料のセキュリティーアプリをインストールして、身に覚えの無い不審なアプリが無いか、入念に探した。怪しいものは特に見つからなかったが「使ったことがないアプリ」は全て削除した。もちろん、BluetoothもWi-Fiも OFFにする。
 とにかく気味が悪い。

 山奥にある勤務先は【圏外】で、出勤日の日中は、外部との連絡は職場の固定電話でしか出来ない。
 転職に関する先方との やり取りは「可能な限り、メールでさせてほしい」と願い出て、極力、寮ではない場所で電話をかけるようにした。夜な夜な車を走らせて、同僚達が近寄りそうにない場所にあるコンビニや道の駅で、スマホと睨めっこしながら、転職サイトを介したメールのやり取りを続けた。
 メールだけなら寮でも出来るが、下手をすると先輩社員が外食や風俗に「行こう!」と誘いに来るのだ。(同性愛者であることを知られてからは、ぱったりと誘われなくなったが……油断は出来ない。飲み会終わりに『運転手』として駆り出される恐れもある。独身寮住まいの若手の宿命だ。)
 風呂のために早出と残業が避けられない俺が夜間に出歩けば、当然睡眠時間は短くなる。しかし、それで未来が拓けるなら、惜しくはなかった。
 それに、布団に入ったからといって、眠れるとは限らない。一睡も出来ずに朝を迎えるなど、よくあることだ。

 「母が病気になった」とでも言って、連休を取って遠方での面接を受けてやろうかとも思ったが、なかなかそうもいかない。
 私用または出張で他県に出かけたら、出勤前には1〜2日間の【検疫】が義務付けられる。だからこそ、それを利用して休みたがる従業員は多いが、休み明けには針のむしろである。「友人の結婚式」とか「親族の葬儀」を理由に休むと、理不尽な先輩社員から『証拠写真』の提出を求められる。(結婚式なら ともかく、葬儀の写真など、発想がイカレている。)

 さまざまな困難を掻い潜り、運良く受けられた面接では、転職を望む理由として「深刻なパワハラ」と「口頭での執拗なセクハラ」を挙げたが、担当者は「そんな消極的な理由で、うちに来られても……」と何故か否定的で、結局「不採用」になった。
 大卒とはいえ、運転免許以外には何の資格も持っていない俺は、なかなか転職先が決まらなかった。

 職場では相変わらず、お局様と その取巻き達が、俺と元彼の「どっちが『受け』なの?」とか「“イク“瞬間は、どういう声出すの?」「毛は、全部剃るの?」等、セクハラとしか言いようのない下品な質問ばかり浴びせてくる。
 もちろん俺は答えない。
 しかし、彼女らは「やめてください」が通用する相手ではなく、また「ご想像にお任せします」という定型文を繰り返していたら、穢らわしいBL漫画を描いて寄越される始末となった。
 彼女らは、イケメン俳優の裸体や男性器のことが、気になって仕方がないらしい。
 呆れて物が言えない。

 誰一人として満足に休めない環境下で、皆、頭が狂っていた。良心も理性も腐っていた。「プライベートタイム」など皆無に等しい彼女らは、職場で妄想全開の絵を描いたり、下品な ごっこ遊びに興じたりして、息抜きをするのだ。
 俺は、恰好の餌食だった。

 心を無にして、こちらからは、業務と無関係な言葉は発さない。下卑た事を訊かれたら、鶏の鳴き真似でもして誤魔化す。
 やがて、彼女らの笑い声を聞いているだけで目眩がしたり、頭の奥がビリビリと痺れたりするようになった。
 いつ見ても壊れたロボットのように笑い転げているお局様を『叩き壊す』か、鉛筆か何かで、自分の鼓膜を突き破ってしまいたいくらいだった。


 ある日の残業終わりに、風呂場で背中を丸めて頭の泡を流していると、課長が入ってきて隣に座った。
「倉ちゃん、元気?」
 一通り流し終えてから、目一杯険しい表情を作って答えた。
「俺、もう……禿げそうです」
「若いのに!」
「死骸 集めてるほうが、気が楽です……」
「マジで!?せっかく異動したのに!」
課長は、いつも笑っている。本心からではなく、空元気のような気はする。
 俺は、シャワーを止めて、髪を軽く絞った。次は体を洗うべく、ナイロンタオルにボディーソープをかける。
「俺一人がイジられるだけじゃなくて、友人まで馬鹿にされたら……さすがに気分が悪いですよ」
「たくみさんとは、まだ『友達』なの?」
元彼のことである。(芸名は『たくみ』表記だが、本名は『拓巳』という漢字だ。)
「はい」
「そうかぁ……」
 俺は体を洗いながら、人事権を持っている課長に、お局様を異動させられないかと訊いてみた。課長は、頭を洗いながら答える。
「うーん……。どうにかしてあげたいんだけど、どこの農場も『あんな女、要らない!』って言ってるから……もう、どうにもならないんだ。うちの中でも、みんな『要らない』って言うし。本人に辞める意思が無いから、下手に辞めさせたら『不当解雇』になっちゃうし……」
あの女を懲戒解雇することが「不当」であるはずがない。あいつは犯罪者だ。
「……だったら、俺が辞めます」
「え……!?」
泡だらけの頭から手を離し、課長は こちらを見る。
「俺、もう……このまま ここに居たら、ますます頭おかしくなります」
「倉ちゃんは、おかしくないよ」
課長には幻聴の話をしたことがない、というだけだ。
 俺は特に答えずに、素早く雑に局部を洗う。異動してからというもの、日々浴びせられるBLネタと嘲笑のせいで、誰かが見ている前で局部を洗うのが、少し怖くなってしまった。
 課長は、黙って頭の泡を流す。
 俺は黙々と、日々、長靴で締め付けられ、蒸れている足の指を、入念に洗う。
「気持ち悪い女子共の、セクハラが辛いんでしょ?」
課長が、体を洗い始める。
「……辛いというか、不快です。俺や拓巳をモデルにしたキャラクターを作って、下品なエロ漫画を描いて、見せつけてくるんです……」
「暇なの?あいつらは……」
「俺……毎日毎日、ただ侮辱されるためだけに山を登ってくるみたいで、本当に馬鹿馬鹿しいです」
「あんな馬鹿共のために、大事な収入源 手放すの?」
俺は、体の泡を流しながら応える。
「課長は……別れた相手との性生活を、毎日毎日蒸し返されながら、平然と働けますか?」
「いや、別に……『馬鹿だなぁ、こいつら』としか、思わないよ。……元カノが社内に居るわけじゃないし。俺、既婚者だし。……仕事とは関係ない話で はしゃいでるような馬鹿共と、話す時間が勿体ないし」
体の泡や ぬめりが取れたら、ナイロンタオルをすすぐ。
「俺の、今の奥さんの悪口だって、言う奴は言うよ?……それでも、俺は家族のために稼がなきゃならない。だから、そうそう簡単には辞められないよ」
(貴方はストレートだから、言われる事なんて、知れてるはずだ……!!)
 洗ったナイロンタオルを、力を込めて振り、水気を切る。
 課長は、俺が隣に居ても、平然と局部や尻を洗う。水虫なのだという足の指も、念入りに洗う。
「辞めて……どうするんだよ?」
「辞めてから考えます」
「実家、帰んの?」
「帰りたくはありませんが……ここでキチガイ共の玩具おもちゃになっているよりは、良いです」
「そんな言葉、無闇に使うのは良くないよ?」
「生きた人間と、BL漫画のキャラクターが、同じに見えてるんですよ?まともな人間じゃありません……」
「……倉ちゃんは、真面目すぎるよ」

 その後も、湯船の中で【進路相談会】をした。課長は、一貫して「真面目で仕事熱心な倉ちゃんが辞めてしまうのは困る」と言って、俺を引き止めた。


 職場を出た後、街灯の無い漆黒の夜道で車を走らせながら、俺は晩飯について考えた。
 もう何ヵ月も前から、上の奥歯が痛い。「綺麗にまっすぐ生えているから、急いで抜く必要は無い」として、そのままにしていた親不知が、上はもう2本とも虫歯になっていて、それが食事に支障が出るほど悪化している。
 しかし、今の生活では、歯医者に行くのが難しいのだ。仕事終わりに歯医者に行きたければ、定時で上がるしかないが、それが叶う環境ではない。作業は定時で終わらないし、俺が、そんな早い時間に浴場に立ち入れば、同性の同僚達から ひどく非難される。定時を待たずして「早上がり」する権利など、誰にも無い。
 稀少な休日を歯医者で半日近く潰すのはしゃくだ。しかし、それよりも許しがたいのは、この町では、不定休である こちら側の都合を告げると「決まった曜日に通ってくれ」と難色を示す歯科医院が多いことと、俺のセクシャリティーを理由に「嫌がらせ目的で必要以上に歯を削る」クズばかりであることだ。(同僚達と同じ歯科医院に通わざるを得ないため、そこでアウティングをされたのだ。)
 行くたびに「ホモのくせに」と嗤われ、かつてのパートナーとのキスやオーラルセックスに関する邪推ばかり聞かされ、揶揄されて、地元の歯医者なら ありえないほどに深く歯を削られ、杜撰な滅菌で適当に詰め物をされて、腫れたことを申し出れば罵倒され……受けた被害をネット上に書き込めば【出禁】となる。
 俺は、この町の歯科医は全て大嫌いだ。
 しかし、だからといって、隣の市まで通うのも億劫だ。時間と、ガソリン代が惜しい。(そこまで行けば『まともな歯医者』が居るという補償も無い。)
 この町は、もはや歯科に関しては【無医村】だ。
 痛み止めで誤魔化しながら、耐えるしかない。

 一日も早く今の勤務先を辞めて、この町を出なければ、ただただ健康を損ねるだけだ。
(何が【町おこし】だ。『過疎化が深刻』だ。馬鹿馬鹿しい……。人手が欲しいなら、納税者の【迫害】を やめろ)
「くっだらね……」
 夜間に車を運転しながら、町に対する不満を吐き出すのが、日課になりそうだった。
「滅びろよ、こんな町……」
 常日頃、侮蔑や嘲笑ばかり聞かされて、すっかり心が荒んでいた。
 部下や鶏に八つ当たりしたくなる気持ちが、解ってしまった気がする。

 この環境は、本当に悲惨だ。


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【4.凶行】
https://note.com/mokkei4486/n/n154e707f859e

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