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自分の中にある「好き」が幸せだった

ここ数日、本をガッツリ読むことができないのでnoteを読んでいる。活字に触れているという点では変わりないのだけど、本が読めなくてもnoteの記事なら読めるってどういうこと?と考えて、すぐに自分なりの答えが出た。早い。

たぶん私は熱量みたいなものがすごく好きで、読みやすくて購買意欲をそそるような本には興味がない。本屋さんに並んでいる本たちを片っ端から読みたいと思った時期もあったけれど、今はそういうことを考えることもなく、書き手の熱量が伝わるような文章を読みたい!!!!!と強く思っている。で、それがnoteの記事なんじゃないかと思うのだった。

noteの記事にも読みやすくて有益な文章はあふれているし、そういった記事から書籍に発展して流通されていくものだって多々あるはずなのだけど、私が欲しているのはそこにはなくて、ただただ書きたくてたまらないんだ!!!という熱を感じる文章にどっぷりとつかっていたい気持ちでいっぱいになっている。

そしてその熱量に刺激されると、私自身もnoteを書きたくなってこういう循環は求めていなかったけれど、とにかく文章が書きたくて今こうしてパソコンでポチポチと文章を打っているのでした。


本よりもnoteを読んでいるはずなのに、最近の読書も存在するのは、やはり紙の本が好きすぎるからなんだろうな。毎日、何かしら本は読んでるもんなぁ。
ということで最近の読書は『元彼の遺言状』

テレビドラマは見てみたいと思いつつ、結局見逃してしまったのでだったら原作を読もう!と思ったのだけど、『このミステリーがすごい!』の受賞作とは知らず、この本はミステリーだったのか~と読みながら気づいた。内容を確認せずに読むと、ときにビックリすることがあるよなぁ。

話の筋うんぬんよりも、主人公の剣持麗子の性格がとても良かった。傍若無人とまではいかないけれど、遠慮がなくて自分を貫き突っ走る感じが非常に良かった。こういう女性に憧れる。嫌われまくりそうだけど。

主人公の良さだけで、続編らしい『倒産続きの彼女』『剣持麗子のワンナイト推理』も読みたくなった。ミステリー部分は個人的にあまり興味がなくて、ただただキャラクターの良さってだけで読みたい本になってるんだけど、これってnoteも同じだろうなと気づいた。

noteに書かれている文章って本当に千差万別というか十人十色というか、とにかくバラエティーにとんでいて、だからこそ、その中から自分が読みたいと思える記事に出会うというのは奇跡に近いような気もしている。もしも読みたいと思える記事に出会えて、そしてその書き手となる人を「好き」って思えたら、それは本当に本当に本当に幸せなことだと思う。

記事の内容を「好き」なのももちろん幸せなんだけど、もっと幸せなのは、その記事を書いている人自身を「好き」って思えることかもしれない。その人自身を「好き」ならば、その人がnoteを更新してくれるだけで幸せだもんね。

本も同じなんだけど、大好きなキャラクターがいて、そのキャラクターの新たな作品が読めるならこんなに嬉しいことはないよな~と、ここまで書いてきて気づいたけど、この発展したものが「推し」と呼ばれるものなんだろうか?????
そうだとしたら「推し」の存在って、めちゃくちゃ貴重だよね?????

大事にしよう、私の中にある「好き」という感情を。

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