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読書日記・春休み②

3月31日(金)

きっとこれからも、まだ花粉や黄砂に悩むことになるから、洗っても仕方ないとはわかっていたのに我慢できずに洗車する。この日の洗車は半額だったので、いつもなら選ばないお高いコースにしてみたんだけど、仕上がり具合を見ても何が違うのかさっぱりわからず。息子は洗車機を楽しそうにながめていた。

読んでいたのは『清潔な寝床』

大好きな僕のマリさんの日記本。メルカリで販売されていて、メルカリを使ったことがない私は操作に手間取ったものの、無事に購入できた一冊。仕事に執筆にと忙しい生活の中で、マリさんはたくさん料理をする。作り置きもあるようだけど、夕食に5品も並んでいればそれはもう料亭では???という気持ちでいっぱいになる。2品でもグッタリするぐらい疲れる私には、未知の世界すぎて目がくらんだ。

4月1日(土)

エイプリルフールのため、子どもたちは朝からどんな嘘をつこうかと悩んでいた。ついてもいいのは笑えるような嘘だけだと私が限定したので、悩みが増えた様子。大人になって、エイプリルフールは素通りしてしまうものになったけれど、思い返せば私もエイプリルフールにどんな嘘をつこうかとワクワクしていた頃もあった。子どもたちを見ていると、そういうワクワクとは無縁になった自分に気づくことが多くて、遠くまで来たなぁという気持ち。

読んでいたのは『のどがかわいた』

指が写ってしまった…

大阿久さんが詩は魅力があふれているということを教えてくれるので、詩が読んでみたくてたまらなくなった。詩ってどんな風に読めばいいのかわからなくて、読んでみても理解できそうもなくて、いままで手に取るのをおそれていたんだけど、わからないものはわからないままでもよくて、わかるようになる時にわかればいいし、そんなに深く考えずにふれてみればいいんだと大阿久さんの文章を読みながら思った。深く考えすぎて、新しい世界への扉を開かない自分が、とんでもなくつまらない人間に思えたので、とりあえず詩を読んでみようと思った。

4月2日(日)


読んだのは『どんぐりの家』

昭和50年代の話だけど、障害を持つ親の葛藤、世間の目、社会への受け入れなど、現代にも通じるところが多くて心が痛くなる瞬間があちこちにあった。障害はひとつあるだけでも大変なのに、重複障害になればコミュニケーションはより困難になり、支援する人の思いと、支援される人の思いがうまくかみ合わない場面も多くてやるせない気持ち。支援する側される側、どちらも困らせたい気持ちはこれっぽっちもないのに、どうしてわかってくれないんだろう、という思いだけがあふれる。

この本を読みながら、障害を持つ娘のことを考えずにはおられず、私はどれだけ娘のことを理解しているのだろうかと思い悩みそうになったけれど、障害あるなし関係なく、親と子だって別の人間だから、お互いに、完全に理解することなんてできないんだという当たり前のことを思い出した。理解してあげたい気持ちはなくしたくないけれど、すべてを理解しようとしなくてもいいことは忘れないようにしたい。

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