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自分の好きなものを知っている人に憧れて

山崎まどかさんの『「自分」整理術』をパラパラと眺めながら、自分の好きなものをはっきりと伝えられる山崎さんに、うらやましい!!と思ってしまった。

この本のサブタイトル(?)に「好きなものを100に絞ってみる」とあった。これは、もともと好きなものが100以上ある、という前提だと思うのだけど、好きなものが100以上あるという状況が未知なので、まったく想像がつかなくて途方に暮れた。

そもそも「自分が好きなものを100個あげてください」という問いがあったとして、私が答えられる数って、1個ぐらいじゃないだろうかと思っている。
「好きなものは犬です」

多分、いろいろと変に考えすぎているだけなんだと思う。例えば「好きな食べ物」というくくりがあったとして、チーズケーキが好きって答えたいところだけど、普通のチーズケーキは苦手なので、できればレアチーズケーキとか、ベイクドチーズケーキがよくて、だったら最初からレアチーズケーキって答えたら良いんだろうけど、でもレアチーズケーキを何個でも食べられるほど好きではなくて、むしろ一個食べる直前にギブアップすることもあって、それって本当に好きなのか?熱意が足りないのではないか?「何個でも食べられますよ!持ってきて!!」と言えるぐらいにならないと、レアチーズケーキに失礼なのではありませんかね?

そんなことを考えてしまうから、「好きな食べ物はレアチーズケーキです」なんて軽々しく言えないと思ってしまう。ここまで書いてて思うけど、私ってめんどくさい。

もっと軽い気持ちで「好き」と向き合ったら良いのかな。でも「好き」ってそんなに軽いものではないよね、もっと真剣に向き合わないとね、長いお付き合いになるかもしれないんだし。(何の話)

「好き」を軽々しく扱ってはいけないとも思う気持ちと、「好き」を軽く扱ってきたのかもしれない自分がいて、その相反する思いが「好き」を複雑にしているのかも、と気づいた。

「え?こんなのが好きなの?」
と人に思われるのがこわくて、何かを好きと言える自分を消した。そうやって消してしまったほうが、誰かに何かを言われることもなく、平和に過ごせると思ったからだけど、そうやって誰かの目ばかり気にしていると、自分の好きすら見失ってしまって、好きを見失うと楽しいという思いも生まれない。

まずは「これっていいな」と思えるものを、地道に見つけていきたい。自分の中の「好き」を集めていきたいな。

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