本が寄り添ってくれるなら

文章を要約するのが苦手なら、Twitterで練習すると良いという話をみかけた。140文字の中で自分の言いたいことをまとめる。これが要約するのに効率の良い方法らしい。

いつもダラダラと思いのままに文章を書き残しているけれど、簡潔に文章にすることには多大な憧れがある。簡潔にまとめることを目指すなら、その練習をしなければならないのだな。練習かぁ・・と、若干の面倒くささを感じる。この面倒くさいと思う気持ちが、成長を拒むのに。

Twitterで要約の練習をという話と同じときに、学生時代のノートの話も聞いた。先生が黒板に書いたことを、そのままノートに書きうつしていた人は頭が悪いという話だった。私はまさにその頭の悪い人で、黒板に書かれたことだけ書いていたらそれで良いと思っていた。

本当は先生が黒板に書いたことではなく、それらを自分の言葉でまとめたものをノートに書くほうが頭に残りやすいらしい。人の言葉よりも、自分の言葉に変える。これは頭をより使う方法なので、確かに覚えなければいけないことも頭に入りそうではある。

結局のところ、自分の頭で考えること。そしてその考えを自分の言葉で、簡潔にまとめること。これが大事なことなんだと知った。もう学生でも何でもないけど、でもたぶん、考えることや要約することは、生きていくうえでずっと必要なものだと思うので、これから私も練習していきたい。その気持ちだけは強くあるけれど、いつまでその気持ちが続くんだろう。すぐに飽きてしまいそうな予感しかしない。


そんな最近の読書は『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』

子どもたちとの関係に試行錯誤していく話なので、子育てしている身としては非常に興味深い内容だった。

彼氏の子どもたちにどう対応すれば良いのか、悩みながらも一生懸命に寄り添っている花田さん。自分が産んだ子どもだったら、こんな風に悩まないのかなと、花田さんは本に書いていた。しかし花田さんの格闘ぐあいを見ていると、産みの親とかそういったこと関係なく、真剣に向き合っていると思うし、でもどこか一歩引いて子どもたちを見ている面もあるから、真剣になりすぎて深刻になってしまう私からすると、そのバランスがとても良くて羨ましささえ感じた。

自分の子どもだとか、彼氏の子どもだとか、そういうことを抜きにして、「人と人」としてどうすればお互いにとって、よりよい関係性を保てるのか。そこを考えて行動していくほうが、お互いに負担が少ないのかもしれないな、と思いつつ、しかしそう簡単に割り切れない私もいて、ちょっとだけ途方にくれそうになった。

そしてこの本の中で気になったのは、親子関係だけではなくて本に対する思い。

もともと本の役割は、日陰や暗闇に価値を見出し、そのあり方に寄り添うことがメインみたいなものだ。だから極端な話、ずっとキラキラしていられて、悩みもないなら、本なんて読む必要はないのだ。

『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』より引用

この極端な話を読んだ瞬間、読書ばかりしている私は、キラキラもなく、ずっと悩みを抱えているようでもあり、落ち込みそうではあるものの、しかしだからこそ読書が楽しくもあるし、読書に救われることで生きていられるんだもの、これも幸せのひとつだよね、と自分をなぐさめた。

キラキラしていたいし、悩みなんてないほうがいい。けれどそれだと、確かに人生に本は必要ないような気がして、それはそれで寂しくはないだろうか?と思うのだけど、これってキラキラしていない私の負け惜しみだろうか。

なんであれ、寄り添ってくれる本がそばにあるなら、それでいっか。という気分。さて、今日も本を読みましょうかね。

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