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北斎『神奈川沖波裏』の驚きの値段

前々から楽しみにしていたサントリー美術館「大英博物館 北斎」に行ってみた。

北斎展があると、どこに行っても必ず図録やグッズを買ってしまう。北斎の絵は、描写の繊細さや構図の斬新さ、江戸時代の生活を知ることができるということも魅力だけど、何より描かれている人のひょうきんな姿にユーモアがあって大好きだ。

富士山に憧れ、大波や突風に翻弄される。大きな滝や大木を眺めながら、険しい峠や雪道を自分の足で歩く。自然の中で、今よりずいぶん小柄に見える人間の生活が何だか健気でかわいい。

仕事の種類が無数にあって、働いている人の姿を見ているだけでも楽しい。新しい物好きで軽率で、洒落や遊びが好まれたという江戸っ子の雰囲気もすごく伝わる。北斎、何回見てもいいぞ!全然飽きない!グッズ欲しい!!

しかし、今回は『冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏』に付けられていたこの解説を読んで、あまりの衝撃に何も買わずに帰ってしまった。

本シリーズの中でもとくに人気が高かった本図は、長年にわたり繰り返し摺られ、おそらく8000枚程度も制作されたと考えられている。江戸の人々は誰でも、蕎麦2杯分よりもやや高い程度の値段で、本作を手に入れることができた。

サントリー美術館

蕎麦2杯分?江戸末期、普通の蕎麦が16文、1文が32円だとすると1,024円。天ぷら蕎麦だったとしても2杯で2,000円程度だ。あり得ない。数千円で北斎が買えたということですか?

江戸時代、羨ましすぎるな・・。天下泰平、安定した生活の中で、人々は衣食住の質的向上に情熱を傾け、効率度外視の異常に手間暇かかる工芸品、美術品を創作し、各地の名産品を取り寄せて外食を楽しむ時代。

私も江戸に生まれて、本物の『神奈川沖浪裏』を買いたかった。それを部屋に飾って毎日眺め、近所の友達と冨嶽三十六景の中ではどれが一番良いと思うかを議論する。お金の余裕をみてはシリーズ全制覇を試み、北斎が挿絵を描いた本が出たと聞けば貸本屋に行き、静かな夜に蠟燭の灯りで読む。ガラスケース越しでもレプリカでもない、本物の北斎がほんの身近にあるのだ。

心からそう思いながら美術館を出て、六本木駅に向かう。いくつかのエレベーターや歩く歩道に乗り、地下鉄のホームに降りると、タイミングよく電車が来てすぐに乗れた。結構混んでいる。最近はどこもすっかり人出が戻ったんだな。一駅過ぎるごとに乗車する人の雰囲気が全然違う。大学生らしい女の子、スーツ姿のサラリーマン、中高年の夫婦、部活帰りの高校生。

現実に戻ったら急に、私は江戸時代ではまともに生きていけなかっただろうなと考え直す。10才に満たない子供でも当たり前に奉公に出される。フラッと旅行してみたくても、江戸から大阪までは歩いて半月以上。鎮痛剤もワクチンもなくて、今では治る病気にも苦しめられる。そもそも私のご先祖は、粋でイナセな江戸っ子ではなく、貧しい農村または漁村の民で、北斎の存在も知らない一生だっただろう。

本物の北斎には到底手が出ない。とりあえず、私は現代でやっていくしかない。やっぱり、もう一度美術館に行って、自分の手が届くグッズを買おう。


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