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東京・地方・過去・現在・生者・死者が混在する『JR上野駅公園口』

本屋さんに平積みになっていた、2020年全米図書賞受賞作を読んでみた。

柳美里さんの本を買ったのは、久しぶりだ。大学で初めて親元を離れ一人暮らしを始めてすぐ、カゼをこじらせて肺炎になり、しばらく入院した。その時、病院のベッドで読んだのが、自伝の『水辺のゆりかご』(1999)だった。

当時、その世界の深さに沈んで、しばらく抜け出せなかった。あの時の、実家の家族に見舞いに来てほしいと言えなかった自分や肺炎の息苦しさもリアルに蘇るから、なかなか柳美里さんを読めなかった。けど、今は大丈夫だと思う。

JR上野駅公園口』は、福島県相馬郡出身の男性が主人公。1964年の東京オリンピック前に出稼ぎ労働者として上京し、東京で高度経済成長を支え、長い間家族と離れて働いたのち、2度目の上京で上野公園のホームレスとなっている。

詩のような表現があったり、男性の記憶、福島の家族、公園を歩く人たちの会話、ホームレスの人たちの生活、看板の文字、ラジオの音声などが時系列ではなく、流れの中で浮き沈みするように現れる。

今どこで誰が話しているか、その人は生身の人間か死者なのか区別がつかず、なかなかページが進まない。休み休み読んでいても同じカンジがずっと続いて、途中から、あぁ、これは上野駅公園口を出たときの印象に似てるんだなと思った。

広々とした公園にコンサートホールや国立の美術館、博物館、そこに並ぶ女性、学生の列。動物園、西郷さん、寛永寺、不忍池、正岡子規記念球場、老舗のレストラン、新しいカフェ、古い映画館、アメ横、駅ビル、大きな彫刻、高架ホームなど、いろんな物から、年代も意味もバラバラの情報が発信されてくる。

東京にしかない、でも新しさやハイテクとも違う。それぞれ別の物語を持つものがひと所に集まって、マーブル模様みたいな、妙な場所だと感じる。電車の音が響く。あと、長い坂道、大木、オブジェ、文化財のような建物から、巨大な影があちこちに落ちている。

いろいろありすぎて、全部は見切れない。そこに居る人も様々で、出発地点も目的地もみんな自分と同じじゃない。結局いつも、大半を通り過ぎて見たいものだけ見て帰る。

あとがきから、この小説の構想にあたりホームレスの方々に何回か取材されていたのがわかった。食べ物、衣服、寝る場所、「山狩り」など生活の様子が具体的に書かれていて、知らないことばかりだと思った。

いや、私は上野公園には何度も行っている。ただ自分が、見なかっただけだ。

男性の回想には、冠婚葬祭も詳細に書かれていた。特に、郷里の葬儀の場面が具体的で、読んでいると誰かの葬儀で実家に戻ったときの、田舎の濃くて重い人間関係を思い出した。

葬儀が終わって東京に戻ると、前はあったはずの自分の根が削がれて、確実に郷里との繋がりがなくなってきているなと実感する。東京の人間関係は、田舎ほど根をはったと言えるものでもない。20年住んでも、浮遊しているようで落ち着かない。細々と残っている郷里の根が全部切れたら、私は自分の居場所をどこだと思うんだろうか。東京、郷里、家族、ホーム、家‥。

行幸啓、オリンピック、震災、原発、運。これらのキーワードは、まだ咀嚼できるほどの理解にはたどり着けなかった。でも、この本も忘れられないから、長い間かけて考えてみようと思う。


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