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Podcastで話したこと(文字起こし)

2021年1月から始めたPodcastで話したことを文字起こしのツールにかけ、その後自身で修正などを加えながら他者が読みやすいようにまとめた逐語訳のようなものを作ってみています、個人的トライです。やってみたらとても面白かった、自分の心の変化が見えたりする。今後時間を見つけて過去分を随時更新していけたらと思っています。

そのきっかけは先日この配信をいつも聴いてくれているありがたい友人から、ぼくの配信は、何かをしながら聴けない、できたらちゃんと座して聴きたい、と言われ、確かにモノローグなのでまずもって独りよがりだし、興が乗ってくると早口になる、そういう傾向があるなと振り返っていました。人によっては散歩しながら聴いていますという方もいるし、この雰囲気全体を気に入ってくれている方もいるから本当に人が抱く感覚はさまざまだなぁと思い知るわけなのですが、文字で起こしてみると確かにさらに客観的に捉えられるし、わかりにくい箇所は何度も反芻(読み返したり)できる。それなりのメリットもあるんじゃないかと思っていて。何より自身の表現を楽しんでくれるならその形にこだわることはなく、いろいろな経路があっていいなと。配信でも文字起こしでもお好きなように楽しんでください。ぜひ感想やコメントなどもいただけたらうれしいです。



# 39

さて、今回が39回目の配信で。 気づけば39回も。配信自体もう3年近くやっておりますけれども、こんな感じで毎回1人で喋ることになっています。 今回も特にテーマというテーマはあんまりないのですが、最近のことをお話ししたいなと思います。

冒頭でもお話しさせていただいたんですけれど、みんなの「はたらく」をきくインタビューセッションという企画を立ち上げて、 3月3日に目黒パーシモンホールの中の会議室でその場を開こうと思っています。 元々それをやろうと思っていたきっかけは、昨年末に西村哲佳さんの「インタビューのワークショップ」というものに参加させてもらい、そこで刺激をいただき、学びや気付きの多い場でした。参加した直後は、自分の中の価値観とか、あるいはこれまでインタビューに対する思いとか、そもそも人の話を聞くとは?ということに対する知識の再構成が頭の中で行われていたんだと思うんですけど、なかなか言語化できなかったというか、自分の中で理解が追いつかない部分もいくつかあって、2ヶ月ぐらい経てインタビューとはこういうことなんじゃないか?あるいはこんなことをちょっと試してみたい!という思いがふつふつと沸き立ちまして、3月の頭にそういう場を設けてみようということでトライしているわけであります。

人の話を聞く場をつくる

人の話を聞く場を今回作るのですが、世の中にいっぱいそういう場ってあるんですよね。オープンダイアローグとか、いわゆる対話療法の分野とか。あとはナラティブセラピーとか、ナラティブアプローチとか。精神医学・精神療法の中でもそうしたアプローチもあったり、あとはそれ以外にも、例えばアルコールホリックとか、あとDVとか、精神的なケア領域の中でも使われていたりすることが主戦場だったりするんですけれど、ぼくの中では、インタビューとか、もっと平たく言えば、人の話を聞く場というものが、 もっと民主化されていくっていうか、平場にもっと降りていってもいいんじゃないのかなと思うんですね。つまり、人に話を聞いてもらいたい人ってすごく多いんじゃないのかなと思うんです。自分が抱えてる問題に正面から向き合わずとも、自分の心のありようを話すこと、吐露すること、それを誰かが適度な相づちを打ちながら聞いてくれるだけで、その時に、その的確な返答とか的確なアドバイスがなかったとしても、話す本人の抱えてる問題は軽減されていくみたいなことはあると思うんですね。それは深刻な悩みとか問題だけじゃなくて、 モヤモヤする思いがあるとか、ちょっとした悩みがあるとか、ちょっとした嫌なことがある、みたいなことって、日常の中でたくさんあると思うんですけれど、でも、それを誰かに答えを求めずとも話すだけで 解決されていったり、あるいは単純にそのものの見方が変わっていって、その本質的な問題の本質が少し違う角度から見ることによって、こういう考え方もあるんだ、みたいな捉え方が変わることで、その問題が少し自分の手元に引き戻されるというか、自分で解決できるような状態になっていくことはままあると思うんです。

それを日常では無意識的に繰り返してると思うんです、ことの大小はあっても。ですので、そういう場を改めて設定して、作ってみて、やってみるというのは、どういう感じになるんだろう?というのが、その実験の目的であったりもします。実験の場を作るにしても、ただ集まって、テーマ無しに話しましょうだと、なかなか難しいと思うので、ぼくの場合は「はたらく」ということ、あるいは「自分らしくはたらく」というあり方を考えたりしているものですから、 各々の方々に、その参加されてる方の「はたらく」というところをきっかけや切り口にしてもらって、話してもらうことで、そこが切り出しになるというか、キックオフになって、自分の心の内側のことを話してもらえる場になるんじゃないのかなという風に考えていたりもします。

「はたらく」を切り口に自分の〝物語〟を話してみる

人は誰しも形はなんであれ、「はたらく」というか、世の中のためにとか、誰かのために自分を動かすってことをしてると思うんですけれど、それを「はたらく」と表現するならば、どの人も多分「はたらく」経験があると思うんですね、年齢に関係なく。なので、そうしたこれまでのはたらいてきた経験とか、あるいは日々の中における「はたらく」で思ったことを順序立ってなくてもいいですし、思うところを喋っていただくことで何かが生まれるんじゃないのかなという風に個人的に期待もしていて。人はというか、自分自身も含めてそうなんですけれど、過去の思い出は美化されるとか、そうした表現がありますけれど、 過去はいかようにも変えられるというか、解釈できるというか、再構成できるんですね、そういうところがあると思います。それらをナラティブ化する、物語化するみたいな表現もあって、自分の中で解釈しやすいように物語として置いておく、あるいは自分の中で持っておくみたいなことがあって、それが心の中の安定に寄与する、役立つみたいなことがあるんだというようなアプローチの仕方もあって、それがナラティブセラピーとかナラティブアプローチというものに繋がっていくものだという風にぼく自身は捉えてるんですけど。ですから、そういう自分の中の物語、「はたらく」にまつわる物語を話してもらえるといいなという風に思っています。

心のありようを表現するための言葉を獲得する

最近、話すとか言語化するっていうことは、簡単なことじゃないっていうか、得意な人と不得意な人がいるし、そういうことに慣れてる人と不慣れな人もいることも承知なんですけれど、ぼくの中の今の興味分野、興味領域 は、自分のその状態とか心のありようとかを精度高く伝えるためにはボキャブラリーというか、言葉というか、語彙を知らないと、言葉はなかなか自分の心の内側を表現しきれない部分があると思うんですね。それがその書くということが得意な人もいれば、話すということが得意な人もいると思うんですけど、もちろんそれ以外にも非言語的な表現もありますよね。体を動かすとか、ダンスするとか、歌を歌うとか。 いろいろな方法で自分の心の内側を伝えるやり方はあるんですけど、とりわけその言葉の領域で考えた時に、人はどうやってその言葉を獲得していくのだろうみたいなことに、今年に入ってから興味があって。 今思うのは、その言葉の獲得はやっぱり「聞く」ことが 第一歩なんじゃないか、我々もその幼少期経て今があるわけなんですけれど、その幼少期のことを考えると、やっぱり自分の両親が話してた言葉や、あるいは周りの人たち、環境の中で、その話されている言葉を獲得していくっていうことが、多分主立った言語獲得の方法、セオリーだったりすると思うので、聞くことが、 結局その語彙を獲得する上においてもすごく重要なんだろうなと思っていて。精度高く、 その語彙、言葉のバージョンとか、いろんなバリエーションを持っておくことで、 それこそ自分の心の内側にある何かモヤっとしたものを引っ張り出せる力とか体力みたいなものというか、その語彙力ってすごく重要なのではないのかなという風に思ってきていて。願わくば、その言葉の獲得みたいなものを体系立ててみんなができるようになると、もっと心のありようをみんな表現できるようになるのにな、という風に思うんですね。

ですから、その時に、聞く、虚心で聞く、というか、バイアスなしに、偏見なしに聞くということが、実は語彙を獲得する上においてもとても重要なんじゃないのかなと思っていて。ぼく自身は先ほど申し上げたその年末のインタビューのワークショップに参加したということも大いに影響があると思うんですけれど、聞くということにすごく興味があって。聞くことによってぼく自身もその語彙を吸収できてるような気がするんですね。この年になってもなお。人はそれぞれ、独特の言語表現があるじゃないですか。それがぼくはすごい好きで、その人らしさが立ち現れる最たるものの1つだなと思うんですね、その人の言葉遣いって。そうしたものをどう獲得して行くのだろう、あるいは今までしてきたのだろうというところの興味とか、あるいは年齢を経ても、そうした獲得行為は多分あるんだろうなと思っていて。ですから、ぼく自身が今、こうしたインタビューセッションとか、インタビューの仕事とか、 ワークショップをファシリテートするとか、人の話を聞く側に回る仕事、役回りが多いんですけど、それはとても役得というか、自分の中で刺激も多くて、自分のその語彙なり表現力みたいなものが割と広がっているような感覚もあって、 そこに心地よさを覚えていたりもします。

人の話を集中して聞く

人の話を聞いてる時を皆さんも思い起こしてもらえればわかると思うんですけれど、その会話以外他のことを考えられないんですよね。集中せざるを得ない。その話にフォーカスしないと。日常の場においては、とりわけ親しい人間関係は、大事な人と話す場であればあるほど、集中して聞くじゃないですか。だけどなかなかそういう瞬間って、 実はないんじゃないのかなと思っていて。この情報が多い世の中において、集中したり、夢中になったりできる瞬間って、その時々はあったにしても、なかなかその継続っていうのは難しい環境にあるのではないのかなと思うんですね。視覚、目から入る情報が圧倒的に多かったりもするので、目のみならず、もちろんいろんな五感から得る情報が多かったりするので、 人の話を聞いていながらも夢中になってたり集中したりすることっていうのは、得難い経験なんじゃないのかなと思ったりもするんですね。そうした意味でも、自分自身の今のこの願望というか思いの中で、夢中になれる瞬間を増やしたいなと思っていて。去年ぐらいまでは熱量高くなれるものを意図的に追いかけてたような気がするんですけど、それだと、俯瞰で見ると、とてもアップダウンが激しかったりもするんですよね。ずっとそればっかり追っかけてられないというか。で、それを考えた時に、 静かに夢中になるというか、静かに熱中することの方が、なんとなく日常的に適用しやすいんじゃないのかなという風に思っていて、最近そのことをよく考えています。

何かのCMのキャッチコピーで〝夢中になれる明日〟という言葉が、それを考えていた時に思い出したんですけど、でもぼくの場合はその夢中になれる明日というよりかは、もう今日この瞬間から何か夢中になれることに少しでも身を投じていきたいというか、それがある人生がすごく幸せかどうかわからないんですけど、充実度で言うとすごく高いんじゃないのかなという風にも思っていて。これはぼくの中で今まだちょっとこう、考え始めたばかりの言葉なので、まだうまくお伝えしきれてない部分もあるんですけれど、 そういう夢中状態みたいなものを追い求めていきたいなと。そういう意味では、ぼくにとってこのインタビューセッションみたいな場合は、もしかしたら多分そうした場になるのではないかと思って、自らそういう場を作ってみて、ぼく自身の視座としては、ぼく自身が夢中になれる場としてそうしたものが出来上がるんじゃないのかというテーマもあって、もちろんそれ以外にも、さっき申し上げたような、 話し手にとっては、自分の中のことを物語化して話してみることで何か解決するものがあるんじゃないのかなという部分もあってですね。いろいろなテーマというか、課題というか、そのインタビューセッションの場で試してみたいこといっぱいあるんですけれど、 でも、何かそういうちょっと不思議な場になるといいなという風に思っています。

手応えのあることを続けてみる

夢中になれることとか働くとかという文脈の中で言うとですね、昨年それから一昨年と、 SPBS(SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS)というお世話になっている本屋さんがあって、 そこで、自分自身で立ち上げた企画というか、みんなで「はたらく」を考える朝の連続講座という講座があって、それはもう2期やらせていただいたんですね。2期とも、 輩出者というか、卒業生がいらっしゃって、ほんとにみんな多彩な動きをされてる方がいて、彼らから勇気をもらうことがいっぱいあるんですけれど。今年2024年も第3期をやろうと考えています。SPBS THE SCHOOLの冠のもとやらせていただくことになっていって、その話も年明け早々から話をし始めていたりもします。今年はちょっと趣向を色々凝らしてというか、 すごく簡単に言うと、大きく展開したいなという風に思っていて、なるだけこのWSのことを知ってもらえるような場を作りたいなという風に思っています。その背景にはこの過去2年作ってきたワークショップの場が、個人的にはすごく手応えがあって、手応えというのは、さきほど言ったみたいに、その輩出された人たちがいい動きをしていて、 単純にその人たちをもっと増やしたいというか、見たいというかですね、ぼく自身が 生きる上での勇気をもらいたいという思い、個人的な思いもすごい強くて、そうした個人的な動機もかなりあります。だけど一方で、さっき言ったようなインタビューセッションみたいな意味合いもあったりして、自分の個人的なやりたい領域とも重なるところもあって、 人に話してもらう場作りみたいなところにおいてもすごく機能してたりするので、 活用させてもらっているし、これもまさに役得というか、自ら企画しながら、そういう場を作らせてもらいながら、自分の中でいろいろな実験的なことをやらせていただいていて、本当にありがたく思っています。

今年はその秋の講座開講を目指して、その手前の企画をいくつかやっていこうかと思っていて、 おそらくゲストの方をお招きしてトークイベントをするみたいなことがオーソドックスな多分プランになってくると思うんですけど、そういったことも視野に入れて、今、準備をしています。この配信を聴いてくださってる方、特に東京圏の方が対象になってくるのかなと思うんですけれど、また秋にその講座もやりたいと思っていますので、引き続きウォッチしていただければなという風に思っています。最終的には、1期とか2期とか3期とか、もちろん毎期続けていけばいいんですけれど、今度は、その参加された方同士が、また期をまたいで繋がっていくようなものになるといいなと思いますし。もう1期の方のなかには海外に出られた方もいらっしゃるし、 東京から神山に移住した方もいらっしゃるしとか、本当に多彩な動きをされていて、どの人もやっぱり生きることにすごく意欲的というか、 自らの人生を自ら作ろうとしているというか、 そうした動きがある人たちばっかりなんですよね。だからこそ、ぼくのそういうワークショップに参加しようっていう気概をお持ちなんだと思うので、それは納得いくところではあったりするんですけど、 いろいろな人がいる中で、とりわけ個性ある人たちが、あるいは生きることに意欲的な人たちが集まってくれてる感じがして、本当に毎度しびれるというか自分で主催しておきながら、その参加されてる方々の動きにしびれさせてもらってるみたいな感じがあって、とても楽しい場を作らせていただいています。

SPBSでその場を作るのはもちろんなんですけど、それ以外にも、他の地方でもそのコンテンツの形を持っていこうと思っていて。今年はまだ相談し始めたばかりなんですが、神戸でもやろうと考えていたりとか、あと、場合によっては昨年同様、盛岡でもやれたらいいなと思ってますし、各エリアでできたりするといいなと思ったりもしていて。そういう形のあり方みたいなものを探る1年になるんじゃないのかなという風に思っています。

生きるということは、そもそも日々勇気を出すこと

色々こうした企画をやってゆくことはすごく心配なことが多いというか、勇気を出さなければならないことが結構多いんですよね。何の気なしに多分やってるように思われてるのかもしれないんですけど、 1つ1つがいろいろな人の協力も得なければならないし、自分自身も新たな挑戦がそこに伴ったりするので、やっぱり勇気がいるんですよね、自分自身が2018年に会社を辞めてフランスに行った時に、多分これは人生最大級に勇気を出したから、もうこれ以上勇気を出すことはもうないのかなと思ったりもしてたんですけど、いや、実は日々勇気出すことって結構あってですね、その後職業が変わって、ぼく自身はフリーランスな生き方に変わったんですけど、フリーランスこそ日々勇気を持ちながら生きていく必要がよりあるっていうかですね、 会社を辞めてフランスに行った勇気とはまた違うレイヤーの勇気が日々必要になってくるっていうか。

だからやっぱり生きるということは、そもそも日々勇気出すことなんだろうなという風に捉えていたりもして。ですのでそうした積み重ねが、 さっき言った夢中になれるその日というか、夢中になれる時間を作っていくんじゃないのかなという風に 思っていて、そういったことを日々挑戦できる、勇気をもって挑戦できる人でありたいとぼく自身は思っているのと、それが日々続いていくことで、夢中になれるその時間を増やしていきたいなという風に思っていたりもします。また、それを周りの方も理解してくれる方も多いし、集まってくれる方も同じ価値観の方も多かったりもするので、すごい嬉しいなと思うんですけれど。なので、今回もバーッと喋ってしまったんですけれど、2024年、改めて夢中になれる時間とか勇気を出せる時間みたいなものをより増やしていきたいなというふうに思っています。

(2024.3.1配信)