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友人と読書会をするためのnote 「第一回:友情 - 武者小路実篤著」_No.1

つい最近、学生来の友人Aちゃんと読書会をしようという話になりました。
*本noteにはあらすじ紹介などありませんので、本を手元に読んでいってください。よければ貴方の感想もコメントしてくれますと嬉しいです^ ^

読書会をしよう

ことの始まりはお互いの好きな本のジャンルが違うことでした。
私は純文学や海外文学が好き、Aちゃんは海外文学も好きだけれど、主にミステリなどのエンタメ小説が好き。
好きな本の話をしても少しズレがあったわけです。

そこで、それぞれ興味関心のある本を交互に一冊選び、読んだら感想を言い合おうと取り決めたのでした。

第一回目は、私(トメ子)の選書です。高校生の時に読んで以来、殆どその内容を忘れてしまっていた武者小路実篤「友情」を選びました。

再度購入して読了したわけですが、Aちゃんと読書会をする日程はまだ決まっていません。
その時まで感想を忘れないように、このnoteに書き残しておこうと思います。

高校生のときに読んだ「友情」

武者小路実篤の「友情」は高校生の時に初めて読みました。
その時はまだ読書経験も浅く、深く理解しないまま読み進めた記憶があります。

読み返すまで、この小説が「失恋」を描いていたことをすっかり忘れていたほどでした。(一体何を読んでいたんだ・・とツッコミたくなるほど忘れていました)

唯一覚えていたのは、「なんだか精神について海辺で語っていたよなあ」ということでした。
高校生という若い時分、精神の話を日常生活でするという場面が非常に面白かったことは鮮明だったのです。

好きな表現

まずは、読んでいて気に入った表現をピックアップしました。

"野島は脚本家をもって密かに任じてはいたが、芝居を見ることは稀だった。” ー7頁2行

冒頭2文目にしていきなりガツんとくる文章表現です。「(職業)をもって密かに任じる」という表現はよくあるのでしょうか。浅学のためわかりませんが、兎も角この書き下し文のような勢いが冒頭にあることで、「お?」と思わずにはいられません。この一文により、この時の野島の”芝居と脚本”に対する姿勢というのも見えてきます。

”物質論者ならば、その一言で野島の脳のなかに何か毒素が生れたと云うにちがいない。野島もまたそんな気がした。嫉妬、そんな名のつく。” ー19頁8〜10行

この”脳のなかに何か毒素が生れた”という表現から、ホルモン分泌のことを連想しました。エストロゲンとかなにかしらの嫉妬に纏わるホルモンが野島の脳内に分泌されているのでしょうか。

”しかし彼はゆかないわけにはゆかなかった。”  ー39頁5〜6行

仲田に牽制されているような気がし、野島は彼らの家(仲田と杉子)を訪ねることを気後れしていました。その時の地の文で出た表現がこちらです。恋が自らの行動に強制力をもってしまうことが端的にわかる文で、共感させられるようであり、笑ってしまうような場面でもあります。

”「ちがいます、ちがいます。人間には精神もあります、魂があります。虫けらからは耶蘇も、釈迦もでません」” ー74頁6〜7行 野島の言葉

高校生の時、この野島の訴えはとても新しい考えのように感じました。精神とは何か、虫には果たして精神がないのか、と。

”彼は久しぶりに東京の土をふむのは嬉しかった。” ー116頁5〜6行

「そうか、東京にも土があったのか」と、田舎生まれの私は改めて感動しました。

”「さもないと私が可哀そうです。」” ー136頁16行

これは杉子から大宮に宛てた手紙の中に現れた一言です。あなたの行動如何によっては、ひどく私は傷ついて、あまりに可哀そうではありませんか、という訴えを見事1文で書いています。恋文のような文章は作中に何度か出ていますが、このように相手の庇護欲を掻き立てるのに巧みなのは杉子の文章だけだったと思います。当時の”女らしさ”のようなものが伺えました。


ここで一息。。。

本文への感想等も書き起こしたかったのですが、好きな表現をポツポツあげただけでも大分疲れてしまいましたので、ここら辺で一度休憩させていただきます。

友人と読書会をするためのnote 「第一回:友情 - 武者小路実篤著」_No.2 へ続く予定です。

つづく。



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