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朝井リョウ『正欲』を読んで

  この物語には主に3人の主人公が登場する。検事であり父である寺井啓喜、寝具店で働く桐生夏月、文化祭の実行委員に参加する大学生、神戸八重子である。本来であれば関わることのないであろうこの3人が、とある事件をきっかけに間接的に繋がることになる。それは、「児童ポルノ所持の成人男性3人を逮捕」という事件である。主人公3人と犯人たちの関わり、感情移入するにはあまり複雑な彼らの心境、そして「多様性」と言う大きなテーマに、私は深く心をえぐられることになる。


  現代の「多様性」は、ただの薄っぺらい”キャンペーン”のようである。LGBTQにしても、発達に関する障がいにしても、「みんな違う」を許容するよりは、「みんないい」に新たな枠が設けられたに過ぎず、その「みんな」から排斥される人々がまだ存在する。性的な欲求に対する正しさとは一体何か、誰によって定義されているのか。多様性が重んじられるような現代社会で、「ゲイ」が認められ、「児童ポルノ」が罰せられ、「生殖のための性行為」が暗に推奨されていることに疑問ないしは不満を持つ人間がきっといる。そのようなマイノリティーにとって、「みんな違ってみんないい」のような恩着せがましい建前がいかに気持ちの悪いものなのか、いかに憎むべき社会であるか。私はきっとわかったような顔をして、実際はどこかで現実味のなさを感じていたところがある。ニュースで見る性犯罪者、アニメで見る異常性癖、エンタメとして描かれている存在に、実際は生活があり苦悩がある。

  ちなみに、私は高校生の頃『ワンダーラビットガール』という特殊性癖づくしの漫画を読んでいたので知識はある。所詮知識である。「ーフィリア」が~性愛(嗜好)で、「ーフォビア」が~恐怖症だ。

  性欲の話といえば、この前ふと思ったことがある。とあるゲーム?の広告でキャラクターの体が見えにくいよう、上から文字が書いてあるのを見たのです。太ももが性的?谷間が性的?そうやって公な広告を過剰に規制する行為こそ、秘部をより秘部たらしめる要因になっている気がせんでもない。性自認と性嗜好の話はもちろんまた別の話だが、どこまでいっても性は性である。

  もう一つ、性欲が本能って信じ難い。仮に男女を赤ん坊の頃から閉鎖空間に閉じ込めて教育の一切を施さなかったら、彼らは性行為をするんだろうか。「家族をつくることは素晴らしい」「セックスは気持ちがいい」という後天的な学習である気がしてならぬ。いや、言いたいことは、しっかり本能なんやろうけど本能っぽくないよねって話です。。。

  最後に、今まで私は多様性を認める社会に肯定的であった。しかし、この作品を読んでからはマイノリティの居場所をより狭めたとも考えられるようになった。「みんな違うのがいいよね」、「多様性を認めるべきだよね」、と綺麗事を並べている人たちの顔に本書を叩きつけたい。実際、多様性を認める事は、私たちが考えるよりはるかに難しいのである。

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