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どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードを作ることはできる (「THIS IS US」シーズン1第1話より)

私はドはまりしている海外ドラマ「THIS IS US」については、前回の記事に書いたんだけど、第1話のセリフが素晴らしすぎるので、ここに書き残していきたい。

※以下すべてネタバレを含みます。

簡単なあらすじ

第1話は、4人の男女の36歳の誕生日のシーンから始まる。

ジャックは家で妻のレベッカに誕生日を祝ってもらい楽しくはしゃぐも束の間、三つ子を妊娠中のレベッカが破水。病院で出産することになるが、いつもの担当医ではないベテラン医師がお産を担当すると告げられる。

ケイトは食べすぎの肥満に悩む女性。恐る恐る体重計に乗るも、転倒。こんなはずじゃなかったと泣く。しかし肥満に悩む人が集まるセラピーで、ユーモアに溢れケイトに気があるトビーという男性に出会う。

ケヴィンは人気コメディドラマの主役を務める俳優。主役を張りながら、番組の面白さが理解できないでいる。ある日番組内でくだらない演出をするよう指示され、観客のいるスタジオでキレて暴れ、ネットでも大炎上してしまう。

ランダルはバリバリ稼ぐ黒人のビジネスマンだが、生まれてすぐ消防署に捨てられ、養子となった。実の父親を捜し出し、暴言を吐くも、なぜか自宅に連れて帰り、子供たちに会わせる。その後、実の父親に「ガンでもうすぐ死んでしまうから、もう会えない」と告げられる。

心に残る良いセリフ

ジャックとレベッカの子供が産まれるシーン。1人目と2人目は無事生まれるが、3人目は死産してしまった。悲しみ、涙するジャック。医師はジャックの隣に座り、こう告げる。

「何か意味のあることを話してもいいかな。昨年妻を亡くした。ガンでね。それがこの年でも働く理由だ。時間を潰してる。妻とは53年間連れ添った。子供は5人、孫が11人。だが最初の子供はお産で亡くした。それがこの職を選んだ理由だ。50年間、数えきれないほど赤ん坊を取り上げてる。それでも1日たりともあの子を思わない日はない。私も年を取った。」
「こう考えたいんだ。あの子を亡くしたことで、他の大勢を助ける道に私は導かれたんだと。また、こう考えたいんだ。君も年老いた時に自分の経験を若者に語るだろうと。人生が差し出した酸っぱいレモンをレモネードに変えた経験を。そうなれば君は病院から3人とも家に連れ帰ることができる。予定とは違うがね。有意義な話か老人のたわ言か。だが伝えたかった。」

それを聞いたジャックは、子供に会いにガラス越しの面会室へと向かう。そこで、消防署前に捨てられていたという赤ん坊に出会う。黒人の男の子だった。

ケイトとトビーがデート後、二人でケイトの自宅に戻ると、スタジオで暴れてヤケになったケヴィンが待っていた。ケイトはこう言ってケヴィンを慰める。

「嫌なことが起こった時、父さんが言ってたこと覚えてる?落ち込んだりつまずいた時に言ってたこと―。『どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードを作ることができる』

ジャックとレベッカは、2人の子供と黒人の男の子を家に連れて帰り、用意していた3つのベッドに赤ん坊を3人寝かせる。

ランダルは、去ろうとする実の父親を引き留め、家に泊める。その部屋には、「姪へ、おじさんより」と書かれたケヴィンのコメディ映画のポスターが。

またソファーで酔いつぶれて眠るケヴィンの横には、ケヴィン・ケイト・ランダルが3人で仲良さそうに映っている写真が。

感想

第1話、控えめに言っても最高すぎる。号泣必至だし、心がこんなに暖かい気持ちで終わるラストはそうそうない。

最初は4人の関係性が不明だったけど、クライマックスにかけて、ケヴィン・ケイト・ランダルは兄弟で、3人はジャック・レベッカの子供ということが明らかになる。さらに、ランダルは消防署に捨てられていた赤ん坊だった!

このラストで驚きを与える見せ方に感動するとともに、医師のレモネードのセリフが胸に残る。

どんなに辛い現実に直面しても、自分次第でその経験を糧にできる。悪い経験も、自分次第で後から見た時に少しでもいい経験にできる、というメッセージ。これから生きる上でお守りとして持っておきたい、素敵な言葉。

ジャックは、3人目の死産という酸っぱいレモンを使って、捨て子を養子にして3人の子供を病院から連れ帰るというレモネードを作った。そしてこの言葉は、子供たちにも語り継がれている。

英訳

■【医師の言葉より】I'd like to think that maybe one day you will be an old man like me, talking a young man's ear off, explaining to him how you took the sourest lemon that life had to offer and turned it into something resembling lemonade.(こう考えたいんだ。君も年老いた時に自分の経験を若者に語るだろうと。人生が差し出した酸っぱいレモンをレモネードに変えた経験を。)

最後の部分を直訳すると、「レモネードのようなものを作ることができる」となるが、「レモネードを作ることができる」としないのは、完璧じゃなくても、なんとか努力して、いい方向に持って行くことができるといったニュアンスなのかなあと思う。

■【ケヴィンとケイトの言葉より】There is no lemon so sour that you can't make something resemblimg lemonade.(どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードを作ることができる。)

医師の言葉がきちんと格言としてジャックから子供たちに受け継がれ、ピンチの時に子供たちを励ましている。私も落ち込んだ時は、この言葉の力を借りたいな。







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