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花玉

 かつての日本には当たり前のように神と妖精がいた。
神々は万物に宿り、妖精達は自然の中を自由に飛び回り、人間達はその領域をみだりに侵すことなく共生していた。

 ある時、農家が不毛の大地に苦しんでいると、親切な妖精達が不思議な種を蒔いた。その種は作物が育たぬ土でもしっかりと根を張って発芽し、太陽の光や雨が少なくてもすくすくと育った。

不審に思った人間達が引っこ抜いてしまわぬよう、妖精達はその植物に自らの鱗粉を振りかけた。すると、植物は開花し、キラキラと輝きながら人間達を魅了する香りを放ち始めた。

この時初めて、人間に妖精の姿が見えるようになった。人間が妖精の声に耳を傾けると、妖精はこの聖なる植物に様々な効能が宿っていることを伝え、次々と証明してみせた。


 張り巡らされた根は土壌を改良した。更に、葉が肥料となって土はよみがえり、再び農作物が育てられる状態となった。
動物達が葉を食べると健康になるのを見て、人間達も食べ始めた。種も煎れば香ばしい食べ物に、絞れば油にもなった。

丈夫な茎の芯は紙や建材の他、燃料となった。繊維の豊富な皮は糸になり、織れば布になって衣類を、まとめれば頑丈な縄を作ることができるようになった。

そして、蜜をたっぷり含んだ花は、喫煙することによって心身を癒し、多幸感や安眠を与えた。様々な痛みの緩和だけでなく、これまで治らないとされていた病気までも治癒した。
これらの素晴らしい効果から、この植物は「薬草」と呼ばれるようになった。


 しかし、天候は一向に良くならず。日照りの悪さが続き、かといって雨は滅多に降らないので、薬草は育てど農作物の育ちは今一冴えぬままである。

村人の一人が言った。
「天の神様に薬草を捧げてみてはどうだろうか?」
これには妖精達も賛成した。さっそく万物に宿りし神々は天に行き、天候を司る神を地上に連れてきた。
人間に神の姿は見えないが、神は確かに薬草の束を受け取ると、満足した表情で空へ戻っていった。


 すぐに雲は払われた。
やわらかな太陽の光が射し込み、雨が優しく降り注いで大地に染み入り、農作物もそれ以外の植物も生き生きと顔を上げ始めた。
空には大きな虹が架かり、人間も神々も妖精も歓声を上げながら歌い舞い踊った。
菌類などの微生物、虫、動物、あらゆる生き物が各々の美しさを取り戻していった。



 やがて時は流れ、戦争という名の殺し合いが始まった。
一部の人間が始めた戦争で犠牲になった命は数えきれず、動物達も次々と殺され、毛や皮膚や肉や血液を利用された。全ては強制であり、家族の一員であるペットも例外ではなかった。金属やゴム、子供の玩具、仏像までもがその形を変えられて殺し合いの道具となった。

戦火が地上を焼き尽くし、この世は地獄絵図と化した。そこらじゅうから無数の呻き声が聞こえ、次々と死体の山ができては腐っていった。
空や海にも恐ろしい毒が染み込み、黒い雨となって更に地上を襲った。


 戦争が終わっても、生き残った者は病と飢えに苦しみ続けた。
希望の光だった薬草は法律によって厳しく取り締まられ、妖精達も国内への立ち入りを禁じられた。
一握りの農家のみ薬草の栽培を許可されたが、もはやそれは薬草としての効果が無い、繊維や油ぐらいしか作れぬただの植物であった。


 その後、社会が目まぐるしく変化し、時代はすっかり移り変わった。
海外では薬草の研究と栽培が企業や個人によって進み、より強い陶酔作用を求めて掛け合わされた様々な品種が誕生し、種もブランド化した。
このビジネスチャンスを日本の暴力団組織が見逃すはずはなく、海外マフィアとの間で大きな取引が行われ、日本で薬草の花の相場は海外の何倍にもなった。暴力団にとって、花の密売は覚醒剤などのドラッグと同じモノ。買う側も世間も薬草の歴史を知らぬ世代は、花イコール悪いものだと認識していった。

 海外各地の妖精達は乱獲され、日本に連れてこられては奴隷のように働かされて死んでいった。
そして、ほとんどの花が医療用ではなく娯楽用としてハイスピードで消費された。


 もちろん逃げ出した妖精を匿う者もいた。そして、日本にルーツを持つ妖精が自ら海を渡ってくることもあった。
大切に扱われた妖精が作る薬草の花は、美しく香り高く育った。

花は隠語で呼ばれた。
そのうちのひとつが「花玉」である。