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花玉

 かつての日本には当たり前のように神と妖精がいた。 神々は万物に宿り、妖精達は自然の中を自由に飛び回り、人間達はその領域をみだりに侵すことなく共生していた。  ある時、農家が不毛の大地に苦しんでいると、親切な妖精達が不思議な種を蒔いた。その種は作物が育たぬ土でもしっかりと根を張って発芽し、太陽の光や雨が少なくてもすくすくと育った。 不審に思った人間達が引っこ抜いてしまわぬよう、妖精達はその植物に自らの鱗粉を振りかけた。すると、植物は開花し、キラキラと輝きながら人間達を魅了

    • 取引

       今日は待ちに待った取引の日だ。この裏稼業も長年続けていると、当たり前のように日常の中に組み込まれてしまうが、緊張感を忘れてはならない。無理矢理にでも気を引き締め、表にはそれを一切出さず、安全に取引を済ませることが大切なのだ。決して油断してはならない。 投獄されたいのなら別だが。  スーパーマーケットで適当に買い物をして、午前10時半ちょうどに駐車場へ出ると、約束通り取引相手の車が入ってきた。まさにファミリーカーといった感じで、助手席のチャイルドシートでは赤ん坊がすやすや眠

      • 虫医

         私にとって初めての患者は、クロアゲハの幼虫だった。 当時私は9歳ぐらいだったと思う。とても暑い夏の日、庭にある金柑の木で、葉にしがみつくのもやっとな状態のそいつを見つけた。  その患者には抵抗する気力も無かった。緑色の柔らかな体をそっとつまみ上げても臭角を出さず、手のひらに乗せると、腹脚に力が入らないためコロッと横になってしまった。しかも体がとても熱い。 私はすぐにその患者を家の中に運び、台所のひんやりとしたステンレスの上に乗せた。霧吹きで水をかけても反応は無い。 しか

        • ママとぼうや

           還暦を迎えた21歳上の夫は、夜遅くに飲食店の仕事から帰ってくる。朝起きるのも早いため、常に寝不足だ。 真面目で寡黙だがお茶目な面もあり、オシャレでスタイルも良く、あまり年齢差を感じさせない夫。私と同じくギターが弾ける点も嬉しい。 そして何よりも、私の求める形で接してくれるのでとても助かる。 新しいママと誘拐されたぼうや。 人買いマダムと靴磨きの少年。 ヘルパーと山下正治さん。 ヤクザの女とヤクザ。 患者とコッペンハウザー先生。 酔っぱらいのおじさんと、なだめる人。 お客と

          共生

           精神科の待合室にあるウォーターサーバーは、紙コップに水を注ぐたびゴボッと大きな立てる。私はいつも誰かが驚いて恐怖を感じてしまわないか、場所が場所だけに心配になる。 実際誰もこっちなんか見ちゃいない。でも、見ないようにしているだけで、本当は動悸で苦しんでいるのかもしれない。 そう思いつつも薬の副作用である口渇には耐えられない。  そんな気遣いも、徐々に虚しくなっていった。 受付のスタッフに対して強い口調の人もいれば、気持ち悪くなる香水の匂いをプンプンさせている人もいて、うる

          廃墟メシ

           その柿は、あと少しで指先が届きそうな距離に実っていた。 何度かジャンプするも失敗。私はこんなに跳べないのかと、己の身体能力の低さを突きつけられる。 雑草の生い茂る中に腰を下ろして見上げると、そこに太陽は無かった。まだ午後三時だというのに薄暗く、廃墟と化したこの四棟の社宅を冷やしている。全てが灰色の世界だからこそ、オレンジ色の柿はより魅力的に映った。 ふと、いつかテレビで観たマサイ族の垂直ジャンプを思い出した。彼らは最も高く跳べる者を尊敬するらしい。 私はマサイではない。

          廃墟メシ