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取引

 今日は待ちに待った取引の日だ。この裏稼業も長年続けていると、当たり前のように日常の中に組み込まれてしまうが、緊張感を忘れてはならない。無理矢理にでも気を引き締め、表にはそれを一切出さず、安全に取引を済ませることが大切なのだ。決して油断してはならない。
投獄されたいのなら別だが。


 スーパーマーケットで適当に買い物をして、午前10時半ちょうどに駐車場へ出ると、約束通り取引相手の車が入ってきた。まさにファミリーカーといった感じで、助手席のチャイルドシートでは赤ん坊がすやすや眠っている。
私が後部座席に乗り込むと、通称ハナヤは「モグリさん、お疲れ様です。うちの子さっきまでグズってたんですけど、ちょうど寝てくれて助かりました」と苦笑した。

さっそくハナヤから紙袋を受け取ると、いつもと同じくパンパンになったオムツ用の防臭袋が入っていた。パッと見はただのゴミである。

私は足元に紙袋を置き、防臭袋の結び目をほどいた。中にはグシャグシャに丸められた新聞紙と、それに包まれた4つの瓶。ガラス越しにキラキラと輝くたくさんの花玉を見て、私はホッとした。
ハナヤとの信頼関係は結べているし、車のナンバーも職場も把握している。しかも赤子まで連れてきているのだから…と思ってはいるが、取引相手の中には突然裏切る奴もいるのだ。

よく耳にするのは「お金だけ取られて逃げられた」「中身が空っぽだった」「中身が偽物だった」というパターン。もっと酷いと「いきなり数人に殴られてお金も花玉も全部奪われた」なんて話もある。
私のようにしっかりと対策を取っていても、いつ何があるかわからない。


 花玉、それはハナヤに預けている妖精達が咲かせた、様々な病気に効果のある薬草の花である。
私はこれを定期的に買い取り、ちゃんとハナヤにも儲けさせる。妖精達の面倒を見てもらっているのだから当然のことだ。
ハナヤがその報酬の一部で、妖精達にとって居心地の良い環境を整えれば整えるほど、妖精達は薬草に鱗粉を振りかけ、更に良い花玉を咲かせてくれる。妖精狩りや害虫から守り、安心して暮らせる場所を提供しているだけでも充分と言えば充分だが、妖精達が弱ってしまっては意味が無い。

 ハナヤに万札の入った封筒を渡すと、ハナヤはしっかりと枚数を確認して「ありがとうございます!助かります!」と笑顔を見せた。
これで取引は終了だ。


 車を走らせながら会話は続く。

「ハナヤさん、今弱ってる妖精はいます?」

「いえ、みんな元気に飛び回ってますよ」

「良かった。ビビさん宅の妖精は害虫に殺されて全滅してしまったそうです」

「去年うちに来た奴等と同じ害虫ですかね?」

「そうです。ハナヤさんは早く気付いたから被害が少なかったけれど、ビビさんはあまりチェックしてなかったみたいで」

私は友人の住むアパートの近くで車を降りた。ハナヤは「今からカミさん迎えに行ってきます」と苦笑いして去っていった。


 合鍵で友人宅へ入ると、さっそくテーブルに4つの瓶を並べた。中の花玉は車内で確認した時の何倍も細やかに輝き、まさに神秘的。ハナヤが一生懸命妖精達の世話をしてくれただけあって、前回よりも蜜がたっぷり詰まっている。

蓋を開けて匂いを嗅ぐ。ラベルなど貼っていなくても、私にはどの花玉をどの妖精が作ったかすぐわかる。嗅覚には自信があるのだ。夫の陰嚢の匂いを嗅ぎ、昼食の内容を高確率で当てることができるほどなのだから。
嗅覚以外にも聴覚や味覚などの感覚が過敏なのは病気の影響であり、吐き気がするほど苦痛な時もあるが、こういう時には役に立つのだから皮肉なものである。

それにしても、なんて新鮮な匂いなのだろう。匂いだけで酔ってしまえそうだ。全ての症状が癒されそうだ。
どこかで出回っているボッタクリの枯れ花玉とは大違いの、これぞ花玉といった感じ。国産でここまでのレベルは珍しいだろう。

 私はラテックス製の青い手袋をはめて、ソファーの中に隠してある友人のタッパーを取り出した。
さて、ここからの作業も慎重に。

持参した精密デジタルスケールを鞄から出し、テーブル代わりの段ボールに置いた。このデジタルスケールはキッチン用とは違い、0.001gから量れるものだ。
ピンセットでそっと花玉をつまみ上げ、スケールの台座に置いて重さを量る。基本的に1gずつ分けるのだが、初めてこの作業をした時は苦戦した。
今はだいたいの重さが感覚でわかる。これくらいで1gだな、これはあっちの花玉をバラしてこれくらい加えれば1gだな、と。狙った重さピッタリだと気持ちが良い。

 友人に頼まれていた10gを空瓶に移し、再びソファーの中へ。
私は冷蔵庫側面にマグネットで挟まれた花玉の代金数万円を自分の財布にしまい、友人宅を出た。
これでまた取引完了だ。

 夕方過ぎ、仕事を終えた友人から電話がかかってきた。
「今帰ってきて確認したよ、ありがとう」
「こちらこそ毎度あり」