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雇ってはいけない人の基準

◉元Microsoft社員で、Stack OverFlowの創業者が、雇ってはいけない人の基準として「頭はいいが物事を成し遂げない人々」を挙げているそうです。なかなか、痛いところを突いてきますね~。思い当たるところがあるだけに、アイタタッタ。もちろん、企業が求める人材と、自営業に向いている人材と、研究職に向いている人材とは異なる、という部分は前提としても。本業が編集者であり、天才と呼ばれた作家にもそれなりに会い、これでも10年間と2ヶ月ほど出版社に勤務したサラリーマンでもあるので。思うところをいくつか書いてみます。

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ヘッダーはMANZEMIのロゴより、三島由紀夫が絶賛した平田弘史先生、最後の揮毫です。

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■オタクとサブカルと■

何度か書いていますが、世の中には創作者・表現者型と、編集者・評論家型と、消費者・無関心型がいます。編集者や評論家って、創作や表現の近いところにいながら、作家や作曲家のような創作者でもなければ、役者や芸人のような表現者でもない。編集者というのはそれでも、作品作りに寄り添う部分があるんですけれど。評論家となると、立場が曖昧に。本来は小林秀雄が言うような、この作品の凄さがわかるのは自分だけだという、ある種の傲慢さを持って、見巧者としての作品の見方を伝える役目なんですが。町山智浩氏も昔は、そういう部分が強かったんですけどね。そこは今でも尊敬しています。

ところがどうにも、世の中には作品を貶すだけの「あすなろ根性」とでも言うべき、歪んだ部分を持つ人間がありますね。作家にも一流から三流までいるように、編集者にも評論家にも一流から三流までいるわけです。で、同一視されがちなサブカルとオタクですが。実は編集者・評論家とクリエイターの関係に近いです。日本のサブカルは、メインカルチャーではないという意味を離れて、和製サブカルとでも呼ぶべき、特殊なポジションになりつつありますね。セミプロも含め。

頭でっかちの評論家タイプは、下手くそなのに嬉々として創作するオタクが嫌いだったわけで。DAICON FILMが世に出たときも、否定的に論じられましたが。しかし徒然草の芸事論の言葉通り、下手くそとバカにされながらもいつの間にか、ポジションを作るオタクがいる。そうすると、嫉妬や恨みが出る。松本零士先生の『クイーン・エメラルダス』も、欠陥だらけのポンコツ宇宙船で旅に出る海野広と、天才的な設計ができながら旅立てない宇宙船設計者が、対比的に描かれますが。自分も、ダメ元で作家の世界に踏み出したからこそ、気づけた部分もあります。自分の才能の限界も含めてですが。

■使われる人と使う人■

自分もある意味で、編集者であり、評論家的なポジションでもあります。ただそれが、作品を作る若きクリエイターの卵に対して、手助けとして機能しているってだけで。作品については基本、好きな作品について語るぐらいですし。評論の専門職として、食っていこうって気はないですしね。作家としては、三流ですしね。まぁ、中の人のひとりはそれでも、紙と電子で単巻で30万部という一流作家のラインを超えていますけれど。ただ作家として長くやれば、部数は作家の才能の反映ではないと気づく訳ですから。尾田栄一郎先生はどんなに売れても、徳弘正也先生には敵わないと、謙遜でなく思うでしょうね。そんなもんです。

その作家の才能というのは、非常に隔たった2つの概念の間の、論理的類似性に気づく部分があります。そう、上記のMicrosoftの元社員が否定した才能です。で、その違う2つの間にある何かを、物語に落とし込めるかどうかが、作家と評論家を分けるものなんでしょうね。日本がサンフランシスコ講和条約で、いよいよ占領軍が去って、自立するという社会情勢に、戦国時代が終わりつつある時代の地方の、野党との戦いを重ね合わせれば『七人の侍』になり。国際社会の中で日本は東西冷戦に巻き込まれるかもという思いがゴジラ対アンギラスを描いた『ゴジラの逆襲』になるわけで。

でも、そういう才能は、和を以て貴しと為すの文化とか、組織の文化にはあまり馴染みませんね。だから、研究者や芸術家に向くのでしょう。映画はもうちょっと、総合芸術としてスタッフを使いこなさなければならない、難しい部分もありますが。芸術家も、快慶のような一匹狼的なタイプもいれば、運慶とかプロデューサータイプもいます。そこは向き不向きもあるでしょう。ひょっとしたら、組織人に向く芸術家もいるでしょうけれど、それは社員ではなく社長タイプでしょう。スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような。そう、社員には向きませんよね。本田宗一郎のような創業者タイプ。

■ゼークトの軍人分類■

コレは逆説的に、AO入試組が使えない、という人事部の愚痴の話にも繋がります。ある意味で八方美人で、教師に取り入るのが上手いタイプがAO入試の恩恵を受けやすい(あくまでも一般論でAO入試組はダメだと全否定はしていません)のですが、そういうタイプはクリエイティブではないですから。島津斉彬公が、誰もが褒めるタイプは八方美人で、重要な決断ができないので要職に就けてはいけないと、遺訓を残されていますが。圧倒的なカリスマ性を持った斉彬公の言葉は、重いです。そこで思い出されるのが、ゼークトの軍人論です。利口と勤勉の組み合わせで、軍人の資質を測る。

・利口で勤勉 - 参謀に適している
・利口で怠慢 - 指揮官に適している
・愚鈍で怠慢 - 命令を忠実に実行するのみの役職に適している
・愚鈍で勤勉 - このような者を軍隊において重用してはならない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%88

これは実際には、ドイツ軍人クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトが、副官に述べた内容が元になっているそうなんですが。これも、日本人が褒めがちな利口で勤勉を、トップには向いていないとしている逆説が、いいですね。元Microsoft社員なら、社員として高く評価しそうです。知り合いの病院経営者は、息子三人を東大医学部に入れた母親の話題が出た時、マザコンは社畜としてこき使えるなと、ほくそ笑んでいました。まぁ、良い給料は出すでしょうけれど。偏差値はずっと低い彼のような経営者にはなれないでしょうね。

利口で怠け者が指揮官に向いている、と。これは、元Microsoft社員は評価しないでしょう。そんなの、組織の和を乱しますしね。先に書いたように、それは経営者向きですから。愚鈍で怠惰、これもMicrosoft社員は嫌うでしょうが、軍隊では兵を無駄にできません。追放するわけにもいかないですし。そこで、適材適所を考えて役割を与える。コレってとても大事です。そして愚鈍で勤勉、これを教師はAO入試で押し込もうとするわけで。八方美人の口八丁とは別に、ですが。でもこういうタイプって、進学校にもいるので、かえって問題なんですけどね。

ということで、結論をば。今後はこの四分類を、ベースにしていいのかもしれません。マネージャーやプロデューサーも、分類できそうですが。

・利口で勤勉 - 評論家に適している
・利口で怠慢 - 創作者に適している
・愚鈍で怠慢 - 編集者に適している
・愚鈍で勤勉 - 消費者に適している

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