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「もっと」の気持ちを手放したら、今までの頑張りがやっと報われた。

心が穏やかすぎて、もう何もいらないような気さえしている。

私、もうすぐ死ぬのか…?なんて思ったりして。


別にやりたいことがないわけじゃないし、死にたくもないし、生きていたいけど、なんか、今までみたいな「やるぜー!!!」って情熱がない。

いや、今までも別になかったかもしれないけど。


「もっとこうしなきゃ」と思うことを意識的にやめたからかもしれない。


もっとよくなりたい、常に最善を目指したい。

それは「向上心」という言葉で表されていて、とてもいいことのように思っていたんだけど。



「もっと」と思いすぎるあまりに、「今この瞬間」を常に見失っていたことに気づいた。



最善を目指して、目標を達成して、そしたら「ハイこれ次の目標ね」。


もっと、と言うのは何のためだろう。
よりよい未来を目指すのは何のためだろう。

目指したところで、達成した瞬間に目の前から消える、頑張ったことすらなかったみたいに、「当たり前」にされてしまう。

達成した「今」を味わう暇すらなく、ただただ「次」に追い立てられる。



そんなやり方じゃ、いつまでたっても苦しい。
どれだけ頑張っても、安らぐことができない。



だから私は、「もっと」をやめた。
私の「もっと」は向上心ではなく、渇望、精神的な飢えだと気づいたから。


がむしゃらに上や理想を目指すのではなく、今この瞬間あるものをしっかり見て、味わうことにした。

今あるもので、自分の心身を満たす。
今あるものが、私が昔欲しかった未来なのだから。

それでいい。
それが、今の私にとって大切なことだ。

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