月に見える色 #シロクマ文芸部
今朝の月は何色だろう。
彼女はベッドから出るとすぐにカーテンを開けて、月を探す。
「……え?」
彼女は驚きで声を詰まらせた。
今朝の月は——、黒い。
今までに見たことがない、黒い月。
彼女には、月の色が見えた。
夜には“普通の色”に見えるが、朝方の月にはたいてい色が見えた。
物心つく頃には、それが人と違うことを悟った。それは誰にでも話すことでない、ということも。
ただ、彼女の祖母だけは、彼女と同じだった。
今となっては、どちらから言い出したのか記憶は曖昧だったが、祖母と月の色について話したことがある。
「おばあちゃん、どうして色んな月が見えるの?」
うーん、と少し間をおいて祖母は答えた。
「自分の好きなふうに考えていいんだよ」
「好きなふう?」
「そう。例えば赤い月だったら赤い服を着るとか。青い月だったら少し落ち着いてみるとか。それでいいんだよ」
祖母は柔らかく笑う。
「自分だけの楽しみを作るみたいにね。私はね、赤い月のときは、赤いスカーフを巻くことにしてるんだよ。そうするとね、それだけでウキウキしちゃうもんだよ」
「楽しいことは好きだよ! 私もやってみよっと!」
祖母の膝の上で、何色だったら何をしよう、とたくさん話した。
そして彼女は赤い月が見えればお気に入りのアクセサリーを身につけたり、青い月であればお気に入りの服を着たり、緑の月が見えればお気に入りの場所へ行ったりした。
祖母に倣って自分だけの小さな楽しみを作っていくように。
「黒い……」
反芻するように彼女は呟いた。
おばあちゃんが、言ってた。黒い月。聞けなかった、黒い月の話。
彼女は不意に思い出す。
「黒い月だけはね、気をつけなくちゃあいけないよ」
「どうして」
「間違えるとね、大変なことが起こるの」
祖母の声のトーンが下がる。
「間違える? 大変なこと?」
「そう……、もう少し大きくなって、わかるようになったら、教えてあげるよ」
「そっかぁ。早く大きくなりたいなぁ」
そのときの彼女はたいして真剣に考えてはいなかった。祖母が言うように、よくわかっていなかっただけかもしれない。
大変なこと、が何なのか。黒い月を見たらどうしたらいいのか。
しかし黒い月を見ることは一度もなかったし、祖母は彼女が小学校に入るとすぐに亡くなってしまった。
今朝の月を見るまで、聞きそびれた、とさえ思い出さなかった。
どうしよう。
何に気をつければいいのか。何をすればいいのか。どうすれば間違いじゃないのか。
考えてもわからない。
それでも出勤する時間は迫ってくる。
彼女は結局、一日中、黒い月が気がかりで散々な一日になってしまった。
あーあ……、なんだったんだろう。今日は厄日、みたいなことだったのかなぁ。
帰り道にそんなことを思い、つい空を見上げると、大きな満月だった。
黒くない、“普通の色”の月。
また視線を道へと戻す。うっすらではあるが影ができるほど月が明るい。
「……え、」
今朝と同じように、また声を詰まらせた。
彼女の薄い影が、動いている。
彼女の動きに合わせて、ではない。
影が動いている。
影が、意志を持っているかのように。
『間違えるとね、大変なことが起こるの』
祖母の言葉が頭の中で甦る。
しかし、何をどうすれば良いのか、どうすれば間違いではないのか、彼女にわかるはずもなかった。
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2024.08.25 もげら
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