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「角川と共に歩む」 八幡山 廣際院 1/2

角川地域の葬儀の変遷

 新庄市内から車で約30分、戸沢村角川地区に廣際院はあります。

 永禄元年(1558年)大蔵村清水にあった清水城主六代清水孫三郎義氏の命により、興源院住持三世花陰俊英大和尚が月窓院を建立しました。義氏公は日頃から仏法を厚く信仰し、天正14年(1586年)逝去し戒名が「廣際院殿霜岩雪公大居士」となったことから、月窓院の寺号を廣際院と改めたのが始まりです。

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 「角川は助け合いが強い地域なので、葬儀に関してもお互いに助け合ってきたと思います。その精神は時代が変わった今でも残っている地域です。」そう語るのは二十一世住職、瀧田一成老師です。角川地区には無尽講というものがあります。無尽講とは相互に金銭を融通し合う目的で組織された講をいいますが、金銭以外にも葬儀の時に出すお膳や食器なども講で持ち寄っていたといいます。こうした取組みが、国民健康保険発祥の地の素地となったのでしょう。

 元来、角川地区は自宅葬が一般的でしたがこの5年ぐらいでホールでの葬儀に代わってきました。

 「葬儀はこうすべきだとか、今当てはめようと思っても物理的に大変なお宅もたくさんあります。角川の人たちは仏心があるので私が何も言わなくても、助け合い、段取りをしてくれます。そういうお気持ちに支えられています。」と語ります。

 また住職は言います。「昨年からのコロナ禍で葬儀の形も変わりました。親族やご近所の繋がりが深い角川地区では以前、多くの人たちが葬儀の時に集まっていました。しかしコロナ禍で感染を心配し気を遣って自粛をして少人数で葬儀をすることが多くなりました。一般焼香を設けないとお別れする機会もない状況です。」

 「病気から体を守るのは化学や医療ですが、心を守ることができるのは、やはり人の心です。思いやりをもち信頼に応え誰かのために祈ることが心を守ることにつながると思います。」

 瀧田住職はいつまでも角川との地縁、家族や親族の縁を大切にしてほしいと願っています。


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秋の実りと角川地区のお彼岸

 農村である角川地区にとって秋彼岸は、丹精を込めて耕した土地、収穫、周囲の人々への感謝の期間です。人々は収穫したばかりの新米で餅や炊き込みご飯を作ります。当院でも彼岸入りには餡子団子、中日には五目ご飯、送り彼岸にきなこ団子を作る風習があります。人々は、これらを仏壇や墓前に供え、近所の人々にも振る舞います。一年の苦労を互いに労い、今年の無事に感謝し、ご先祖様に報告する。農村に生きる私たちにとって「偏らない生き方」とは、「得たもの」を自分の手柄と奢ることなく、自分は誰かに生かされていることに感謝する生き方ではないかと思います。もっと言えば、「私」に生きるのではなく、「公」に生きることと言ってもよいかもしれません。故郷の素朴な彼岸の風習は私たちに「偏らない生き方」つまり「中道」を教えてくれているのではないでしょうか。

 秋彼岸を迎える角川地区は、まさに実りの秋。夏の暑さも過ぎ、田は色づき、収穫を待っています。


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曹洞宗 八幡山 廣際院 -はちまんざん こうさいいん-
場所/ 戸沢村大字角川669-1
電話/ 0233-73-2015

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