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人々の「縁」が繋ぐ 助雲山 松岡院 接引寺 1/2

浄土宗 接引寺の由来

今から四百年ほど前、寛永二年(一六二五)、良本上人(りょうほんしょうにん)によって開山されました。

 戸沢藩初代政盛公が常州松岡(現茨城県高萩市)から羽州新庄に転封された時、同行した上人が沼田城築城の残木を賜り、現在地に接引寺を建立し、羽州街道の南の備えとしました。また、接引寺のこの「接引」とは「どんな人をも最期は極楽浄土にお連れする。」という仏教の意味をもつそうです。

 御本尊阿弥陀如来は、もともと真室川町木の下の長林寺に祀られていたのですが、願い出により政盛公が許可し、以来接引寺の御本尊になったと伝えられています。

 元禄時代に興隆を極めますが、明治三十七年(一九〇四)失火により本堂等が全焼、御本尊阿弥陀如来、脇侍の観音・勢至両菩薩、鐘楼、それに歴代過去帳の一部は消失をまぬがれました。

 現在の本堂は明治四十二年(一九〇九)に再建され、昭和五十年代以降、位牌堂、庫裡、客殿、鐘楼堂等が改築、建設され現在に至っています。

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まかどの地蔵

石造地蔵菩薩座像【市指定史跡】

参道に入るとすぐ左に祀られている大きな石の地蔵様。もとは金沢町の東「並木」の曲がり角に建てられていた「曲がり角の地蔵」…「まかどの地蔵」と言うように。のち江戸時代末期に相継いだ大飢饉から餓死者の供養のために地蔵様にぼた餅を食べさせる風習が今もなお受け継がれ、この地に残っています。

また、その飢饉で心身ともに疲弊した領民たちを鼓舞し、五穀豊穣を願うために始まったのが新庄まつりです。

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いつも口もとにはあんこがついている地蔵様



浄土宗 助雲山 松岡院 接引寺
(じょうんざん しょうこういん しょういんじ)

場所/ 新庄市下金沢町8-5
電話/ 0233-22-3174


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