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【短編小説】#002:モザイク ― Episode4:残響(ざんきょう)

★短編小説 #002:モザイク ☆もくじ (全5話)

・Episode1 : プロローグ
・Episode2 : 薄片(はくへん)
・Episode3 : 余光 (よこう)
・Episode4 : 残響(ざんきょう):(← いまココ
・Episode5 : 遥遠(ようえん)

*バックナンバー*
#001 : グッバイ!タモリ倶楽部

Story

(Episode3 :余光(よこう)のつづき)

玄関から入ってすぐの居間に通され、中央に置かれた大きな深緑色のソファに案内された私は、自己紹介を兼ねた簡単な挨拶と今回の招待に対する礼を言った。私が着席するのを見届けると、カナコの母親は「ちょっとお待ちくださいね」と言ってキッチンへ向かった。

部屋はスッキリとしていて、生活じみた物がほとんど見当たらず、母親のほかに誰か暮らしている様子は伝わってこない。西側の壁には寒色系のインクが撥ねたような抽象画が飾られていて、前に置かれた横長でシンプルなサイドボードの上に青磁色の丸い花瓶があり、白いシャクヤクの花が上品に活けられている。断捨離に迫られた実家とは全く違う様子に羨ましさを感じながら眺めていると、母親がお盆を持って部屋に入ってきたので、私は慌てて視線をテーブルの上に戻した。

「三田ヨリコさんからあなたの名前を聞いて、私、本当に驚いたんですよ。」
母親はテーブルにお茶と和菓子を置いて、私の向かい側にゆっくり座った。
ここで本来ならば、「まずは、ご仏壇にご挨拶を…。」と言うのが正解なのだろうが、彼女はそれを避けるようにずっと私に話し続けた。こちらへくるまでの道中はどうだったかとか、ここのところの天気が芳しくないとか、あの高校は校舎が建て替えられてからすっかり雰囲気が変わったとか…どれも当たり障りのない話ばかりだった。

ひと通りの話が済むと、母親は何か思い出したような顔を見せ、テーブルの上に置かれた小さな桃色の和菓子を指しながら、
「どうぞ、召し上がってください。」
と言った。私は皿を手に持ち、竹製の黒文字で菓子を半分に切ってひと口いただいた。母親はその様子を黙って見ている。静寂に気まずくなった私は、
「おいしいで…」
と言いかけると、それを遮るように、
「亡くなったのはカナコが大学2年生の時です。カナコは一浪しているから、あなたは大学3年生だったかしら…」
と、唐突に話を始めた。

「そうだったんですか…。それにしても、存じ上げないままで…すみません。」
母親から名指されるほどの関係なのに何も知らなかった私は、失礼を詫びる以外にかける言葉が無かった。
「いいえ。知らなくて当然なんです。お葬儀は自宅とは別の場所で親族だけで済ませましたし、亡くなった事情も…いろいろあって、どなたにもお伝えせずにいたんです。」
そう言って母親は立ち上がってサイドボードの前に行き、引き出しから小さな箱を取り出し、両手で丁寧に持ちながらソファに戻り、箱を膝の上に置いて、再び話し始めた。

「カナコが浪人中の時に、夫と共に隣の市の駅前にクリニックを開業したんです。息子は医学部に行ったのですが研究肌の人間で日本の大学を卒業するとそのまま海外へ行ってしまったので、クリニックはいずれカナコに継いでもらいたいと思っていたんです…。」
カナコが浪人していたことはたった今知ったばかりだが、当時から彼女が相当なストレスを抱えていたことは容易に想像できた。あの時、カナコが『避難』と話していたとおり、全てのものから逃れるように学校に来ていたのだろう。
「こんなことになって、親の勝手な希望でカナコに対して重荷を背負わせてしまったことにとても後悔しているんです。カナコは高校を卒業した後、本当に頑張って…夫と…あっ、カナコの父親と同じ医大に合格したんです。ですが、ホッとしたのも束の間、大学1年が終わるころに体調を崩してしまって…。」

大学1年の後期試験が始まった頃、カナコは体調不良を訴えるようになった。初めはペンを持つ時に力を入れにくいと話していたらしい。そのうち治るだろうと思っていたが、食べたり飲んだりする時にも違和感がするようになり、やがて、階段の上り下りが辛くなり、病院で精密検査をすると筋萎縮性側索硬化症、いわゆるALSといわれている病気が判明したのだ。

はじめは大学に在籍したまま闘病生活を送っていたが、進行が思いのほか速く、大学2年の秋口には車いすの生活を余儀なくされた。このまま医学部で学ぶことは困難と判断したカナコは退学を決めて、病気と付き合いながらの将来を考え始めた矢先、検査入院していた病院のスロープから転落し、頭部を強打してそのまま帰らぬ人となったそうだ。その日は12月24日、クリスマスイブだったそうだ。

「まだ学生だったとはいえ、医学的な知識があったカナコは、自分の未来をある程度想像できていたのだと思います。転落したスロープには立ち上がって越えなければならない高さの柵があったのですが…。たぶん、最後の力を振り絞ってあの場所を…。」
母親の手が強く握られ微かに震えているのが解った。
「病院からは富士山がとてもきれいに見えるので、入院中のカナコは天気がいいと外の空気を吸いに屋上へ行ったり庭に出たりしていたそうです。あの日は、とても寒く北風も吹いていたので、早朝でしたが空気が澄んでいたのでしょう。カナコは立ち上がって富士山を見たかったのかもしれません…。」
涙ぐみながら話す母親は、カナコが自ら死を望んでスロープを越えたとは思いたくないようだった。
もしかして、本当に立ち上がって富士山を見たかったのかもしれない。澄んだ空を仰ぎたかっただけかもしれない。真実はカナコに尋ねるしかない。

母親は膝上の箱をテーブルの上に置くと、
「亡くなった後、カナコの机を整理していたら、高校の文集の隣に日記のようなノートがあって…。そこに書かれていた文面を見て、あなたのことを知ったんです。」
箱のふたを開けると中には数冊のノートが収められていて、一番上にある花柄のノートを取り出した。

***

「カナコはあなたのことを羨ましいと思っていました。」
母親は膝の上に置かれたノートを大切に包むように両手を添えている。
「あなたのように伸び伸びと生きられたらな…と。自分とは違うあなたに憧れていたんだと思います。幼いころから人見知りで、親しい友達がいる様子があまりないことを気にかけていたのですが、カナコから辛いとか寂しいなどと聞いたことはありませんでしたし、学校はどうかと聞いても『楽しいよ』と答えるばかりだったので、それがカナコらしさだと思っていたんです。実際、ノートを読むと友達が全くいなかったわけではなさそうでした。でも、高校2年生の後半からあなたの名前を見ることが増えてきて、あなたが“カナコにとって特別な人だったのかもしれない”と思いました。」
そう言うと、母親は膝の上のノートを私に差し出した。私は、
「読んでも…いいんですか?」
と聞くと、
「どうぞ。カナコも喜ぶはずです。」
目に涙を溜めながら、母親は少し微笑んで言った。

驚いたのは、カナコにとって私との出会いは高校2年生から始まっていたことだ。2年の時は、私はC組でカナコはA組だった。でも、当時、私が好きだった人がA組にいたので、同じ部活で仲が良かったリョウコに会うという理由をつけては、休み時間になるとしょっちゅうA組に行っていたことを思い出した。ここでカナコと関わっていたことはすっかり忘れている。

***
休み時間にC組の植田さんに、“リョウコ、どこにいるか知ってる?”と聞かれてビックリした。
私は本を読んでいたから分かるわけないのに。
首を振ったら“ちょっと待たせてもらうわー”と言いながら私の隣の空いたイスに座って、“なに読んでるの?”って聞かれて、さらにビックリ!
人見知りの私は本の表紙を見せることしかできなかったけれど、そんな不愛想な私でもめげずに笑いながら話しかけてきた植田さん、これを鋼の心という?人懐こいという?それとも何にも考えてない??
思えば植田さんは違うクラスなのによく見かける。教室の後ろの隅にいつも一人でいる私にも平気で声をかけられるなんて、どうしたらそんなふうになれるだろう…。
反省点は私がビビッてうまく返事ができなかったこと。もし、明るく返事ができたら植田さんともっと話ができたかもしれないのに…。それからすぐに長谷さんが教室に戻ってきたので植田さんは“リョウコ―ッ”と言って席を立ってしまった。去り際に私に向かって笑ってくれたのに、私はといえば軽く会釈するのが精いっぱい…。我ながら、自分のコミュニケーション力の無さにウンザリだ…。
***

そんなことがあったのか…。自分が登場しているのに初めて知る出来事のようだった。カナコとは高3になって知り合ったと思っていたのに。ノートに綴られた文字を追いかけながら、私は高校時代のカナコに寄り添っていった。
日記の大半は1日の出来事が淡々と、その合間に読んだ本の感想や受験勉強の悩みなどが書かれていた。彼女は相当なプレッシャーに悩んでいたはずだが、親の話はほとんど出てこない。大人しく勉強ができる優等生の彼女らしい日々が綴られていた。

3年のクラス発表の日、カナコは私と同じクラスになったことが“ウレシイ!楽しみ”と書いてあった。私にとっては2学期の後半の、あの英語の自習の日まで彼女との記憶は無かったが、日記を読むと、私とカナコの関りはそれまでにもいろいろあったようだ。視聴覚室への移動のときに廊下で話をしたとか、体育の授業でバレーボールをしたときに同じチームになって、運動が得意でないカナコの分も私が張り切ってコート内を動き回ったとか、書かれていることすべてが私にとってはなんてことのないものばかりなので、記憶に残っているはずはない。

ノートの後半に例の英語の自習の日のことが書いてあった。

***
今日はラッキー!!
3限の英語が自習になったおかげで、植田さんとたっぷり話をすることができた。(以降は美乃里と呼ぶことにします)
受験勉強に疲れていたし、誰かと思いっきりおしゃべりでもして発散したいと思っていたところに、美乃里が「なんで自宅学習にしないの?」なんて聞いてくるから、なんだか嬉しくなっていっぱい話してしまった!
始めは少し緊張したんだけど、「植田さんって呼ばれることないから、私のこと、美乃里って呼んでくれる?」と言ってくれて、急に親近感がわいちゃった。
やっぱり美乃里は違うなぁ。お互いに家の話までしちゃったんだけど、伸び伸びと育ってきた感じ。いいな。
でも、運命って自分じゃ決められない。私は私の運命を生きるしかないんだよね。
2学期が終わればもう高校生活も終わりだなぁ。最後に美乃里と仲良くなれて良かった。
***

この日以降も私とのたわいもない会話が記されていたが、彼女が学校を休みだした日から記載は途絶え、日記が再開されたのは受験が終わった3月になっていた。

「カナコはあなたのことを高校時代の大切なお友達だと思っていたようです。大学生になったら、どこかのタイミングでカナコからあなたに連絡をして再会することがあったかもしれなかったと思うと…。」
私がノートを返そうとすると、母親は心底残念そうな顔をしてそう言った。

日記のノートは数冊あって、最後のノートに『自分にもしものことがあったら渡して欲しい』と、あて先に私の名前が書かれた水色の封筒が挟まれてあったそうだ。
「本当は、カナコが亡くなってからすぐにお渡しすべきものだったと思います。でも、私たちの心の整理がつくまでは長い時間がかかりましたし、どうすればあなたに連絡がつくかも分かりませんでした。高校の同窓会やクラス会のお知らせの封筒は何度か来たのですが、返信先はあなたではないし、幹事さんに連絡するような話ではなくて…。」
母親はテーブルの上に置かれた箱を再び開けると、水色の封筒を取り出して私に差し出した。
「よかったら、この手紙をもらっていただけませんか?」

当時の私はカナコのことなんて単なる隣の席の子という程度でほとんど考えたことはなかった。高校を卒業すると、特に仲が良かった友達以外との付き合いはなくなったし、彼女の存在すら忘れてしまっていた。カナコの日記を読みながら、懐かしさと罪悪感が混ざり合い、彼女に対して本当に申し訳なく思った。

「ありがとうございます。私の名前を覚えていてくださったおかげで、今日、カナコさんと再会できました。」
私は深く頭を下げてから両手で封筒を受け取った。思いのほかずっしりと厚みが感じられたのは、カナコへの罪の意識が重なったからだ。封筒を鞄の中にしまうと、母親は居間の奥にあるドアを指さして、
「隣の部屋にお仏壇があるんです。よかったらカナコに挨拶をしていただけますか?…8年前に亡くなった主人も一緒ですけれど。」
と言って席を立った。
私もほぼ同時に立ち上がり、彼女の後をついていった。

居間の隣の和室には、この立派な家には少し不釣り合いのこじんまりとした仏壇があった。そこには高校時代とほとんど変わっていない色白で細面のカナコと、カナコの父親であろう白髪の男性の写真が置かれている。
私は仏壇の前に座り手を合わせた。
(カナコちゃん…いろいろあって、やっと挨拶に来たよ。覚えてる?…こんなに時間が経っちゃって…ごめんね。)
心の中で声をかけた。

カナコと彼女の父親が眠る墓は、私がいま暮らしている家からそう遠くない隣接区の寺院にあるそうだ。私は後日に墓参したいと願い出て、母親から寺の名前と場所を聞いた。


「カナコに会いに来るつもりで、ときどきいらしてくださるとうれしいわ。」
帰り際、カナコの母親が言った。この広い家で彼女は一人で暮らしているそうだ。カナコの兄はアメリカで暮らしていて、年に1~2回程度しか帰ってこないらしい。もともと、仕事中心で働いていたというともあってご近所付き合いも深くなく、8年前に夫が亡くなったのを機に引退し、クリニックは夫の後輩に譲ってしまったそうだ。
確かに、ここで誰とも話さずに暮らすのは寂しいだろう。趣味のサークルに入ったりして余生を楽しめばいいのに、彼女の様子ではそういうことは苦手なようだ。私が、
「帰省した際に、ときどき顔を出させていただきます」
と話すと、カナコの母親はとても嬉しそうに、
「絶対よ。絶対いらしてね。」
と言った。

帰りは夕陽がまぶしすぎてまともに目を開けていられなかった。運転に集中しようするが、カナコの日記がリフレインされて涙で視界がにじんでしまう。
「カナコちゃん、ごめんね。本当にごめん…。」
車内は一人だったこともあり、私は声を出してカナコに謝った。

実家に戻って両親と夕食をとったあと、帰省の本来の目的である物置き部屋の整理をしていると、両親が次々に「先に寝るね」と告げ寝室に入っていった。私は一階の居間に戻ると自分の鞄から例の水色の封筒を取り出し、食卓に座った。本当はすぐに封を開けたかったが、カナコの気持ちを思うとなかなか勇気が出ず、家事や断捨離の続きをして気持ちを紛らわせたのだ。私の中に在るカナコへ後ろめたさが開封とともにどんどん膨らみそうで怖かったのだ。

「フゥーッ。」
とひとつ深呼吸をしてから封筒の角をハサミでカットした。封筒はそれなりの厚みがあったが、中から3つに折りたたまれた4枚の便箋が出てきた。

●Episode5:遥遠(ようえん)へつづく

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