見出し画像

生成AIをきっかけに創作について考えた


好きな絵を描いてインスタグラムに投稿し始めて約5年。

当初生成AIの「せ」の字も無かったです。

それどころか新聞広告の裏が白いものを探してきてボールペンでお絵描きしていた子供時代の私からすれば、お絵描きアプリで色んなブラシを使えたり、左右反転させて描けたり、インスタグラムで世界中の人に自分の絵を見てもらえるなんてことは本当に衝撃で、なんていい時代なんだ!と思ったことを覚えています。

お絵描きの楽しさに改めて目覚め、承認欲求と闘い、いいねやフォロワー数の過多に一喜一憂し、世界中の作品への圧倒的敗北感に打ちのめされ、、、まぁあるあるですよね。

これも含めてああだこうだと試行錯誤出来る。100%自分の自由に出来る遊び場。
それが私にとってのインスタグラムで、そこに作品をアウトプットしてまた次の作品に向かうというのが私の創作サイクルになっています。

そしてここ1ヶ月で一気に、昔からフォローしている創作者さん達の作品よりも「Al で生成」の作品の方が目にする機会が上回ってきました。

しかもちょうど、もっと自分のキャラをイケメンに描けるように頑張りたい!と思ったタイミングでAI生成のイケメンイラストを見てしまった訳ですよ。


あ、無理だ。


以外の感想無かったですね笑


私があと5年描き続けてもここまで描けないものがもうあって、

たぶん描く練習するより生成AIを使う練習した方が遥かに早く「イケメンイラスト」に辿り着けると思います。

で、私もアナログではなくお絵描きアプリを使っているので、創作者が生成AIというツールを使って作品を生み出すのはごく自然なことだと思います。


・音痴だけどすごくいいメロディが思い浮かんだからボーカロイドに歌ってもらう

・見た目に自信無いけどアイドルとしてファンと交流したいからVTuberを始める

・絵下手だけどこういう世界観を表現してみたいから生成AIを使う

・・・

【表現したいという欲求×そのツールの進化】ってもう誰にも止められるものでは無いんですよね。


では受け手側に回ってみたとき、私は絵を描く人なので正直生成AIの作品には抵抗がありますし人が一から描いた作品の方に価値を感じます。
デジタルよりもアナログならなおさらです。

でもそれは、どちらも生成AIで創られた作品に片方は「Al で作成」、片方は「適当な作者の名前」というラベルが貼られていたら後者を選ぶということであって、恐らく作品自体の価値を感じようとすることなく「誰が、どういうツールで創ったか」を価値判断の基準にするということです。


ですが、自分が全く創作出来ない分野、例えば音楽にあってはどの段階で生成AIが使われていようが出来上がった曲が好きかどうかが価値判断の基準になって、「誰が、どういうツールで」創ろうが好きじゃないものは好きにならないのです。


これから創作においてAl を排除していくのは絶対に無理です。
人間じゃなきゃ創れないものもどんどん減っていきます。

だったら、

生成AIで誰でも何でも創作出来る時代に、創作者としての自分は何を目指していこうか】

結局自分はどうしたいのか?に行き着きますね。

インスタグラムでは自分の絵をAl に学習されたくないから投稿を控えると発言している創作者と、

生成AIを使って自分好みのイラストを創作して楽しんでいる投稿者が同時に存在していて、

創作者が試行錯誤を繰り返し長い時間をかけて習得したものが一瞬で誰かのツールになっていくのは「何か違う おかしい ズルい」と思いますが、それを止める術もない無力感があります。

かといって、

Al の方が上手いから凄いから

そんな理由で自分の創作を諦めるなんてそれこそ何か違うだろ!と抵抗したい自分がいます。

「自分より上手い人がいるから」は自分がやりたいことをやらない理由にしなくていいんです。


それに自分にしか出来ないことなんてそうそう無いです。自分が出来ることは大抵誰かも出来ます。

でも自分がしたいと思うことを知っていること、そしてそれにいいよって言ってあげられるのは自分しかいないです。


これから正しい知識、正しい答えはAlが全て回答出来るでしょう。


では

私はどうしたいの?
私は何が好きなの?
私は何が楽しいの?
私は何が嬉しいの?

これもAl に回答させるんでしょうか。


(回答させる人が増えるんだろうなと思います。性格診断テストであなたはこういう人でこういうことが向いてますって提示されるとめっちゃ安心しますもんね。一旦Alに聞かなきゃ決められない状態に容易になってしまいそうです。)


【自分自身のこと】について自分が知っているか?自分が答えてあげられるか?

何を望んでいて
何を幸せと思うか

自分はこうだよねって自分とおしゃべり出来なくなったら…

そうなった自分はもう創作者になれない気がします。


人間が一生かけても得られない知識量、技術量に一瞬絶望しましたが、もう正しさ・凄さをAl に任せてもいいならば

自分の欲
自分のダメさ 弱さ
かわいさ 

この部分を隠さず表現していきたいです。

人は人のこういう所に魅力を感じたり安心したりするんじゃないかなと思います。

ドジな人って可愛いじゃないですか
スキップして歩いてる人いたら微笑ましいしこっちまで嬉しくなっちゃうじゃないですか

人はもっともっと完璧じゃない創作していいんですよ

最高じゃないですか






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?