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【#7】「指輪してないよね・・」離婚を選んだ先輩。お酒は充実の味。

 ”3組に1組が離婚する”と、よく耳にするが。アラサー独身女子・萌花の会社の先輩で、上司にもあたる香川。彼女は、「最近、結婚指輪をしていない」と職場で囁かれていた。
 萌花にとっては、今の部署に配属されてからの出会いで、7つ年上の先輩上司だ。香川は、細身の小柄、目がくりくりとした、小動物を思わせる可愛らしい顔をしていた。パンツスーツだとより小ささが強調され、小走りすると風のようで、体重を感じさせない。笑うとリスのようで年上であることを忘れてしまいそうになる、童顔なキレイ可愛い女性だ。一方、仕事は、その姿を裏切り、出世欲が強く、野心家だった。”女性だから”、”男性だから”という言葉を嫌い、与えられた仕事に対し、結果を出すんだという気概をもっていた。萌花が出会った頃には、香川は既に結婚していたが、その仕事に向き合う香川の姿に、萌花は憧れを抱くようになった。
 萌花は、深夜残業になることの多い香川の体調を心配した。照明が研ぎ澄まされたように白く輝き照らす、だだっ広いフロア。ただ一人ポツンとパソコンに向き合っている香川がいた。連日の残業に、倒れやしないか気がかりで、萌花は香川に声をかけた。
「お疲れ様です。体調大丈夫ですか?まだ帰れないんですか?」
「そうねー。萌花ちゃん、人間にはね、岩にかじりついてでもやらないといけない時があるのよねー。それが今なんだよね。」
化粧崩れし、額がテカテカと光りながら、疲れた笑顔ではっきりと香川は答えた。”人間には岩にかじりついてでもやらねばならない時がある”この言葉と、香川の表情が、映画のワンシーンのように、強烈に萌花の記憶に刻まれた。
 そんな香川は、文句なしの異例の速さで会社のポジションを駆け上がった。積極的に女性を管理職へ登用しようとする組織改革も、追い風となった。昨年、新プロジェクトのリーダーに任されたところで、仲間を束ね、結果を出すべく邁進していた。
 萌花の愚痴がたまると、香川と一緒に夜飲みに行ったこともよくあった。否定することなくただただ、愚痴を聞いてくれる。仕事の悩みも受け止めてくれて、そして、萌花が社会的な人間に成長していることを優しい言葉で気が付かせてくれた。プライベートでは恋愛相談、つい最近まで、元カレ・堤との別れの傷を癒してくれた香川。そんな彼女が、今どんな気持ちで仕事をしているのだろうか。萌花は、彼女が好きだからこそ、彼女が話してくれるまで、待っていた。
 萌花の席へ近づいてくる香川。パソコンに付箋を静かに張った。
”今日時間ある?久しぶりに飲みにいかない?”と香川が、いつものつぶらな目を向けて、静かに横に立ち誘ってきた。”もちろんYES!”と、萌花は彼女を見上げ、黙って胸を張り、小さく敬礼の真似事をして、にんまりと笑って答えた。萌花は、次の香川からの誘いは、絶対に断らないと決めていた。

UnsplashのPatrick Schneiderが撮影した写真

「行ってみたい、いい感じのお店あるんだよねー」と香川。香川はいつもお店のチョイスがうまい。価格もほどほどで、オシャレ女子になった気分にさせてくれるような雰囲気、キレイ美味しいを期待させるビジュアルのお料理のあるお店。看板メニューを見ては、頼みたくなるようなワクワクを検索するのが好きだった。
 店内を入ると、すぐ出迎えてくれる裸電球が優しい光を放っていた。柱に巻き付く観葉植物が、どことなく開放的な空間を演出していた。カウンターいく?とチラッと指を向ける香川。萌花は「いいですね!」と一緒に中へ進んだ。
 
 ドリンクメニューページを開き、二人はオシャレにスパークリングワインを頼み、乾杯した。一口、キリっと冷えた泡たちが、喉の奥で弾けてくれる。オシャレ女子たちは、一気に、疲れたサラリーマン男性のように、染みると言わんばかりに目をギュッと閉じてうなった。
「ん~。。。」
「くーー・・」
疲れに染みるスパークリングワイン。言葉にならない。やっと発した香川の言葉は、「オヤジみたいじゃん、私ら」
二人の今日のスパークリングワインは、”仕事の充実の味”だった。

 二人でお食事メニューを見て、次なるメインを決めた。それはフォアグラソテー。二人の好みがここでも一致した。

シンプルにフォアグラを楽しむ一品

ナイフとフォークで、口へ運ぶ。濃厚で、もったりとした食感。少し噛むだけで、口の中に溶け広がっていく。悶絶する美味さ。シェフ、ありがとう。

「知ってるよね。」
「ああ、なんとなく噂になってますね」
「隠してるわけじゃないけど、いちいち言うことでもないから」
「そうですよね。理由聞いてもいいですか。」
「もちろん、萌花ちゃんには話すつもりだったから」

 離婚理由は、香川らしいものだった。簡単に言うと”仕事と家事の両立ができなかった”というものだった。
「夫は決してわからず屋ではないのよ」
と、前置きしながら、「すみません」と店員を呼び、スパークリングワインをもう一杯頼んだ。少し寂しそうに香川は話してくれた。妻となっても、社会人として、正社員のまま仕事を続けていくことをもちろん納得の上で、夫は結婚したはずだった。だが香川のキャリアを積んでいきたいという夢や情熱は、夫婦関係を深めることや、家事をすることよりも強く、それは夫の想像を超えていた。仕事を優先する生活に、「家庭とのバランスが取れないものなのか」と話し合うことは常にあり、折り合いがつかないときは、何度もぶつかった。それでも、香川に離婚する選択肢はなかったという。
「簡単に離婚なんて口にしちゃいけないじゃない。一生人生を共に歩むと誓ったんだし」
そういうと、夫婦喧嘩を語った。
「夫婦喧嘩なんて、鎖でつながれたままボクシングするようなもの」
でも、最後は、ボクシンググローブを外す時が来る。つながれたままの鎖が、いい距離感で、心地よくなるはずなのだと。素敵なことは2倍の幸せ。悪いことは半分こ。互いを理解することを、粘り強く探っていくことは、夫婦の試練だと思っていた香川が、あることをきっかけに離婚すると切り出した。決め手は、夫が我慢を通り超した呆れ顔で「まるで男と暮らしているみたいだ・・」と言った一言だった。香川は、彼の艶のない表情に、”私が不幸にしたのだ”とハッとしたと同時に、これ以上、この結婚にしがみついてはいけないと思ったというのだ。
 白ワインボトルを頼み、二人で注ぎあいっこしながら、香川は言った。
 「次結婚するとき、まだ仕事が大事だとしたら、それをもっとちゃんと説明して、理解してくれる人とするわ」
”次結婚するとき”は、大切なものが変わっているかもしれないが。今の香川にとっては、仕事が何より優先で、香川なりに一生懸命、悩み抜き、考え抜いた離婚という選択。隣で萌花は、白ワインを飲みながら、俯きながらゆっくりと話す香川の横顔を見ていた。今日は香川がよく話し、お酒の進むペースが速いが、”次”を語る頃には頬がほどよくピンクに染まり、どことなく晴れやかな顔をしていた。「結婚なんてもうコリゴリ」なんて言わず、”次の結婚”を見据えている彼女に、萌花は安堵した。
「香川さんが出した答えですもん。私はこれからも味方だし、全力で応援してますから」
「持つべきものは、萌花ちゃんよね~」
と、乾杯した。今夜は何度乾杯したことだろう。

UnsplashのAlexandra Sloが撮影した写真

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