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愉快なパノプティコン見学 後半

 この見学の中で、一番面白かったのは、受刑者がゴーグルを介して見ている夢です。その中のいくつか、特に興味深かったものを列挙したいと思います。
 まず、何よりインパクトが強かったのは、幼稚園児と一緒に園庭で遊んでいる様子を妄想する人でした。42歳の男性です。幼児の誘拐殺人で逮捕された有名な犯罪者だということは後で知りました。でも、その夢の中では包丁を持ったり、暴力を振るったり、危険なことをしているわけではありませんでした。ただ小さなプールで自分の体も小さくして水遊びをしているだけです。そこでは何の会話も行われていません。注意をする大人の姿も見当たりません。ただ、只管無邪気で文明が育まれる前のような遊戯がなされているのです。勿論、全員が裸です。
「すごいものを見てしまったわ」
 サナナは震えていました。僕も慄然として開いた口が塞がりません。
「多分、自分の社会性を育てる機会を失くしたまま、大人になってしまったのだろう。彼の精神性もまた、幼児レベルのまま、止まっているんだ。しかも心がそれを求めてしまっているから、ゴーグルもそういう映像を作り出す」
 僕は、この映像を見て初めて、ゴーグルが「つけている人が見たいものしか映さない」ということの恐ろしさを感じました。多分、あの性犯罪者はどうやってもあの映像から抜け出せません。彼を見たのは、このパノプティコンに入ってから4番目、つまり「第四号」です。
 次に衝撃的だったのは、酒池肉林の夢を見ている28歳の男性でした。背中には小さな蜘蛛の刺青があります。彼は闇バイトでオレオレ詐欺の受け子をして捕まり、余罪で複数件の空き巣、強盗致傷を認めたそうです。
 彼の脳が欲する映像はとても単純です。キャバクラで豪遊したり、ランボルギーニでドライブをしたり、とにかく景気のいいことばかりです。何だか見ていて辛くなってきます。書いていても辛いです。彼は細い牛蒡のような手足をダラりとさせたまま、寝そべってずっとその夢を繰り返しています。彼に犯罪を唆した指示役は身元こそ解っていますが、まだ捕まっていません。
 他にもショッキングな夢はいくつかありました。ずっとコロッセオのような競技場で敵と戦っているもの、剣と魔法のRPGの世界で個性溢れる仲間と冒険する大長編と思しきもの、奇妙な触手を持つ生物と性行為をしているものなどです。僕たちは色々見て回りましたが、次第に慣れていきました。性的に過激な映像を求める人は、男女問わずかなりいました。ちなみにそういう映像は僕たちが見るためにモザイク入りでカーゴの中に届けられます。暴力行為やストリートレースの体験をしたがる好戦的な人も一定数いるみたいです。
 ただ、一番寂しかったのは、ずっと人に話を聞いてもらっている32歳の女性です。自分で出産した子供をトイレに放置して逮捕された彼女は、ひたすら自分の過去の話を聞いてもらっていました。場所は教会や聖堂を思わせる大きなホールで、聞き手は4,5人です。彼女は最初、自分の栄光を語っています。学歴がどうとか、実績がどうとか、もっと遡ってバレエがどうとか、そのようなことをつらつらと話していました。聞き手は全員、上下運動をする人形のように頷いて、彼女の経歴を肯定しています。
 後半は彼女が罪を告解します。聞き手は険しい表情になります。しかし、それは糾弾に走りそうな激しい目つきではありません。同情と憐憫を向ける眼差しです。僕は、多分、同じ班の3人もそうだったと思いますが、とても寂しい気分になりました。彼女が孤独な部屋で只管、人の反応を求めているのです。そして、そのためにはゴーグルを通さなければならない。これはとても不自由なことだと思いました。ちなみに彼女との面会を希望する人はこれまで一人もいないそうです。なぜそれを知っているかというと、彼女が自分の夢の中で告白していたからです。
 覚えておきたいのは、ゴーグルを付けていない人もいるということです。ゴーグルを付けずに何かの書き物をしたり、時代遅れの紙の本を読んだりしています。独房では、紙でない本を読むこともできるのですが、それにはゴーグルを装着しなければなりません。紙の本を読む人たちはゴーグルを付けない自由を行使する人たちだそうです。
 最後に、パノプティコンから出てきた僕たちを出迎えてくださった係員の方が、このようなことをお話になっていました。
「皆さん、今日、この下の人達を見てどう思ったか、多分、人それぞれだと思います。でも、包み隠さず言うと、ああいった存在は世間で差別されています。過去の罪によっても、今の生活によってもそうです。見下されています。そういうスティグマがあります。スティグマというのは社会の中で差別や偏見の対象になる属性のことです。皆さんには罪を犯す自由があって、その結果として、公共空間の安全性確保のために、この下に閉じ込められる可能性が出てきます。そしてそこでは望むものを見せるゴーグルを与えられます。ずっとそれを使う自由があります。ただ、そういう様子さえ、本人たちに告知されないまま、こうして見世物になっています。皆さんにはそういう扱いを受けることの意味を考えていただきたいです」
 僕はこの言葉を失くさずに心にしまいたいと思います。今日、同じ班で同じ光景を目にした友達は、檻の中の生活に冷ややかな視線を向けていました。多分、それが答えだと思います。僕は、心の中で思い描いた景色をいくらでも体験できる自由が手に入るということが、素敵なことだとは、思いません。
 重罪犯を含めた全員の「最大多数の最大幸福」を実現するべく構想された刑務所ですが、咎を持ってしまった人に更生の機会を与えずに飼い殺す側面もあります。これに対する批判が殺到している理由も理解できました。異常者は、自身の倒錯した性欲や愛情障害、精神疾患に起因する心理的課題を抱えたまま、それを発散させる仮想体験に時間を費やしています。僕はそうした仮想に浸らされる人生に、主体性や目標達成というものはないと思います。つまり人生における最上級の快楽を省かれるという点で、この監獄は受刑者の人生を無碍に取り扱うのです。それはある意味で最上の刑罰と言えるかもしれません。

 しかし、疑問に思ったことが一つだけあります。それはついに誰にも言えませんでした。
「あの、ゴーグルを付けた人で満たされたパノプティコンは、果たして本当に実在したのでしょうか?」

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