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【歴史雑記】新元号「令和」について②

 歴史雑記007
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 さて、今回は予告の通り、「令和」を題材に、『万葉集』からはじめて、東アジアにおける文明の大河をさかのぼっていきたい。
 それに先立って、もう皆さん何度も目にしたと思うが、「令和」の出典とされる『万葉集』巻五、「梅花の宴」の序を掲げる。

  梅花の歌三十二首幷序
 天平二年正月十三日、帥老の宅に萃まり、宴会を申ぶ。時に、初春の令月にして、気淑しく風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫る。加以、曙の嶺に雲移りて、松は羅を掛けて蓋を傾け、夕の岫に霧結びて、鳥は縠に封されて林に迷ふ。庭に新蝶舞ひ、空に故雁帰る。ここに於て、天を蓋とし地を座にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然として自ら放にし、快然として自ら足る。若し翰苑に非ざれば、何を以てか情を攄べむ。詩に落梅の篇を紀す。古今それ何そ異ならむ。宜しく園梅を賦して聊かに短詠を成すべし。

 天平二年は730年にあたる。この「序」の著者には諸説あるが、この宴の主人であり、現行『万葉集』の成立にも深く関与した大伴旅人とするのが通説である。特にそれを覆す材料もないので、本稿では旅人の作としておこう。

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