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茶道部での3年間

部活の思い出、というテーマでお題を募集されていたのをTwitterで見て、書いてみようと思い立った。
これは私が中学時代、3年間熱中して取り組んだ、茶道部の話。

小学6年生の秋。入学前に中学校の見学も兼ねて行った、PTA主催の伝統行事の、あるお祭り。私はそこで、ある催しに一目惚れした。それが茶道部のお茶会だった。凛とした佇まいで、その場所だけ厳かで、かつ独特なオーラを放っていた。先輩のお点前姿に、私は一目で心を奪われた
その瞬間、私は心に決めたことがあった。

「私はこの中学に入学して、先輩のようにお点前を披露する」

それまで内向的で、人に合わせてばかりだった私が、初めて自分の意思を持った瞬間でもあった。

私は茶道部に入りたくて、その中学を選んだと言っても過言ではない。地元の公立中学。区内でも文武両道で知られるその中学は、毎年人気が高じた結果、抽選になるほどだった。そこに運よく、入学が決まった私。数週間後には、憧れの茶道部への正式な入部が決まっていた。私の他にも、数名の同級生が、新入部員として入部を決めたようだった。

この子たちと、これから一緒に、切磋琢磨して、頑張っていくんだ。

当初の私が、同級生のことをよくも知らずに、そんな風に思ってしまったのが、今思えば大きな間違いだったのかもしれない。それが幻想でしかなかったと私が気が付くのに、そう時間はかからなかった。

入部して1カ月が過ぎたころだった。
その日は、先輩方が一通り、茶道具の名前や使い方などをやさしく教えてくださって、次のステップ、実践練習として、「畳の上での歩き方を、実際に歩きながら練習してみよう」と言う時のことだった。「じゃあ誰かやってみたい人~?」と先輩方の声掛けに、私はすぐさま「はい!」と高らかに手を挙げた。「おお~!じゃあ美咲ちゃん、やってみよっか!」と先輩。その後、私は先輩と一緒に、嬉々として練習を行っていた。

(私が先頭に立ってお手本になっただろうから、みんなその後に続いて練習に励むんだろう、私もみんながやっているところをしっかりと観察して、ノートに歩き方をまとめよう。)そんなことを考えていた時。「次やってみたい人!」との先輩の声掛けに、誰も手を挙げなかったのだ。始めは緊張しているのかな?ということになって、その時はそれでお開きになった。

でもそれが、緊張ではなく、ただやる気がないだけなのだと言うことを、後々、直接的に知らされることになった。

数カ月が経ったとき。部活の中で、少しだけ時間ができて、同級生と一緒に「何でこの部活に入ろうと思ったのか」を話し合う場面があって。私はその時に、先述したようなことを語った。そうしたら周りから、「美咲ちゃんは、ちゃんとした理由があってすごいね」って言われた。どういう意味かよく分からずにいると、周りの子が話す理由に、私は目を疑った。

「週一回しかなくて楽そうだから」「お菓子食べてお茶飲むだけでしょ?」「とりあえず部活に入っているっていう肩書が欲しかったから」

こんな理由を堂々と私の前で、あの子たちは言ってのけたのだ。その言葉を咀嚼するのに、私はひどく時間を要した。一瞬、何を言っているのか分からなかった。ただ分かったのは、(みんなは私と同じ熱量では、茶道に取り組んでいないんだ)ということだった。

それが分かった途端、同級生の多くを、私は冷めた目で見るようになった。一瞥、と言ってもいいのかもしれない。

そんな理由で、入ってこないでよ。茶道を、馬鹿にしないで。

そんな風に、思い始めた。もちろん、同級生全員がそんなろくでもない理由というわけではない。ちゃんと、私と同じように「茶道をやりたかったから」という理由で入部をしてくれた子もいた。ひとまずほっとした。

でも今思えば、1年生の時が何だかんだ言って、みんなちゃんと部活に来ていた気がする。2年生になって、それまで新入部員としていちばん下っ端だった私たちにも、後輩ができるようになった。

そして、それまで1年間、手取り足取りやさしく教えてくださっていた1個上の先輩は、3年生になってから、各々が受験勉強やなんやかんやで、部活に足を運ばれる頻度が、減っていった。その分私たち2年生が中心となって、後輩に教える立場に回った。

はずだった。実際には、回れていない人が多かった。
そもそも、教えるにはまず、自分がそのやり方をしっかりと覚えていなければいけない。茶道具にしろ、畳の上での歩き方にしろ、お点前の流れにしろ。それなのに、2年生は。それを覚えていない人が、あまりにも多かった。多すぎた。

そりゃそうだろうな、と思った。同級生のほとんどは、1年生の時に、部活には来るけど、ろくに練習もしないでくっちゃべっているだけ、とか、部活のノートもろくに取ろうとしないとか。(部活のノートと言うのは、お点前の作法など、各自覚えたいことを適宜メモしていくノートのこと。取ることは任意だったけれど、先輩方は全員取っていたし、私ももちろん取っていた。でも私以外の同級生は、これを真面目にやっている人がほとんど皆無だった。)

だからすぐ、私が質問の的にされた。「美咲ちゃん、これって何だっけー?」とか「美咲ちゃんここわかんないから教えて!」とか。

私は内心、(そんなの1年生の時に先輩が教えてくださったじゃん、基礎でしょ?しっかり聞いていれば分かるよ、なんでそんなこともわかんないの?そうだよね、あなたたちは私と違って、やる気ないんだもんね。)とまあ嫌味なことを考えながらも、それを見せないようにして「えっとね、ここはこうしてこうして~こうだと思うよ」って、何でもないかのように教えていた。ただ最初はそれでよかったものの、何度もその攻撃を受けると、もう私も頭がパンパンになってしまっていた。

後輩からの質問攻撃なら、よろこんで受けた。(おっ、熱心な後輩だあ~!私も復習して、ちゃんと正しいことを教えてあげたいな)って思うくらいだから。でも、後輩ももちろん質問してくれたんだけど、何より同級生からの質問、それもちゃんと、先輩や講師の先生の話を聞いていれば分かるような基礎的な質問ばっかりしてくるから、私は完全に呆れたし、嫌気が差した。

この人たちと同じ空間に居ることが屈辱的だと、何度も思った。でも私は、何とか表面上、うまくやり続けた。

部室には誰よりも早く行って、率先して準備をした。分からないことは講師の先生でも先輩でも、とにかく聞いて、自分のものにしようと努力した。同級生ともコミュニケーションを取って、後輩からも慕われていたと思う。(自惚れ過ぎか?)

それらが功を奏したのか、2年生の文化祭が終わって、3年生が正式に引退をすると同時に、次の部長就任の発表が、顧問の先生から言い渡された。そこで名前を呼ばれたのは、私だった。

嬉しかった、と同時に、不安だった
私は人前に立って何かをするタイプじゃないし、みんなをまとめて引っ張っていくタイプでもない。そんな私に、部長職が務まるのだろうか、という不安。でも、これまでの頑張りを先生は認めてくれたんだ、だから部長に選ばれたんだという喜び。相反する2つの感情で、私の心は満たされていた。

しかし、喜んでいられるのも、束の間だった。先輩が引退したことを皮切りに、2年生のほとんどが、部活を休むようになった。いわゆる、サボり。それも無断で。私が部長になったのをいいことに、「美咲ちゃん私今日、部活休むからよろしくー」と、何度も言われた。私も私で強く「部活きてよ」って言えないことを相手も知っていて。利用された、と思うことも多かった。

あまりに部活にこないから、顧問の先生から指導が入った。渋々来るようにはなったものの、今度は同級生たちの私語の多さに、迷惑を被った。それは「賑やかでいいね~」じゃなくて、同級生たちのそれは明らかに「騒がしい」と言う表現が当てはまるレベルだった。少なくとも、茶道をやりながら出す声量じゃない。流石に見かねた講師の先生がやさしく指摘しても、一瞬収まっただけでまたガヤガヤ。

いちばん酷い時には、部活の最初の挨拶の時に、講師の先生が一言話される時があったのだが、先生が話されているのにもかかわらず、同級生たちの私語がやまなくて。後輩も、顧問の先生もいる手前、流石にこれでは先輩としてよくない、と思った私。初めて少しだけ声を大きくして「今、先生が話をしているから。今は静かにしよう」と同級生に対して言い放った。そうしたらそれまでの喧騒が、一瞬で静かになった。

そして何よりも、私の部活には、入部当時から、いじめがあった。
それも、私が思うに、かなり陰湿な。
同級生の中に、入部当初から、言い方が悪いが、周りから「変わっている」と言われている子がいた。

先輩に敬語が使えない。(先輩からも嫌われていた)
体臭をからかわれる。
自転車に乗れなくてからかわれる。
誰もその子の隣に行きたがらない。距離を開けたがる。
その子が使ったものを、バイ菌扱いする。
その子の失敗を、みんなで後ろ指さして笑う。

先輩に敬語が使えないはまだしも、他の項目については、完全にいじめじゃん、と私自身が思うものだった。

私は、いじめはよくない、と思った。なくしたい、と思った。だから勇気を出して、同級生たちに「やめようよ」と言った。でも聞き入れてくれるほど、まともな人の集まりじゃなかった。結果として私はそれ以上、介入することができなかった。いや、しなかった。

私は、いじめのことを、先生に言えなかったのだ。
密告したと言われるのが怖かった、わけではない。
ただ単に、「私が先生に対して意見を言う」という文字通りのことが、当時の私にはできなかったのだ。

いじめを止められない代わりに、私は一切そのいじめに介入しなかった。その子のことも、他の子と変わらずに接するようにした。無視されていることを知っていたけど、私は素知らぬふりしてその子に話しかけに行ったし、その子自体は、私はいい人だと思っていたから。茶道に対する熱量もあるなって感じさせるものがあったし、先輩に敬語が使えないのは、そういう人もいるんだって私自身勉強になったから、その場その場でその子に対して、「今のは先輩だから、敬語を使った方がいいと思うよ」って伝えるようにしていた。その子に私が話しかけに行っても、同級生たちは何も言わなかった。

(じゃあ今度は、その子たちは、私のことも一緒に無視するようになるのかな)って思ったら、私のことは一切いじめてこなかった。なんでだろうと、不思議に思った。こういうのって、いじめられている人とかかわっている人って、だいたい次の標的になるのになって。自分の経験からそう思っていたけれど、運がよかったのか、私がいじめられることはなかった。

今でもいじめを止められなかったことは、申し訳なかったと思っている。ただ、幸か不幸か、その子は一度も部活を休まなかったし、3年間部活をやり遂げた。やっぱり熱量があったのだと思う。

こう書くと、私は部長としてそれなりにうまくやっていけていたのか、と思う人もいらっしゃるかもしれない。でも、そんなことはなくて。中学2年3年は、私にとって暗黒期も同然だった。なぜかわからないけど学校に行くのが怖くて、毎日息苦しさと動悸に耐えながら通学した。クラスメイトが怖かった。人間不信になった。知らぬ間に、笑顔を顔に貼り付けて、毎日を過ごすようになった。乖離したのか、ピュアで明るい子を演じるようになった。

そんな私が、唯一素の私を見せられていたのもまた、「茶道部」と言う居場所だった。だから私はこれだけ、他の同級生のことを馬鹿にしているけれど、救われていた部分ももしかしたら、あったのかもしれない。そう思うと、馬鹿にした私も同罪かな、と思うこともある。ただ誰かのことを悪者にすることはできないんだなって思うと、人間関係って難しいなって、改めて思う。

私自身、中学時代の部活のことを、こんな風にエッセイ調にして書けるようになるまで、10年と言う時間を要した。当時は思い出すだけでつらくて、たくさん泣いて、フラッシュバックしていた。だけど今はもう、「過去の経験のひとつ」として、冷静に割り切れるようになるまでになった。私も、成長したな。

この経験があるからこそ、今の私が存在しているんだと思うと、あの中で3年間、生き抜いてくれてありがとうって、私は自分で自分を褒め称えたい。

ちなみに、まったく触れていなかったが、お点前のこと。
中学での文化祭や、区のお祭りなど、私の通った中学は、年に数回、中学校の代表としてお点前を披露する機会に、ありがたいことに恵まれていた。緊張しつつも、楽しんでお点前を披露することができた私。あの時は自分が、他の誰よりも輝いていたと思う。今くらい、自画自賛してもいいよね。

読んでくださってありがとうございます。

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部活の思い出

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