どうして私は、心を保てなくなってしまったの
ふと、どうしてと思うことが増えた。
どうして私は精神科に通わないと、抗うつ薬と抗不安薬を毎日飲まないと、生活ができない状態になってしまったのか。どうして私は、精神を保てなくなってしまったのか。
いつだって思うことがある。私は絶対、もっと早く治療を始めるべきだったと。中学生、せめて高校生。だけど、もう戻れない過去のことを嘆いたって仕方がないから、今を向くしかない。
それにあの頃は、今以上に自分の気持ちを表出するのが苦手だったから、話せなかったかも。だからいいんだ、私はこれでよかったの。通院を始めるのに、早いも遅いもないと、私は信じている。
言い換えれば、通院できる、服薬治療ができていると言う時点で、誰かからしたら「羨ましい、恵まれている」と思われるのかもしれない。それでも今だけは、自分はこうなんだって主張をしたいと思う。
人目が怖い視線恐怖と、人前で落ち着いて食事ができない、会食恐怖。私は大学一年冬の当時、この二つが主症状としてあったためか、医師から社交不安障害と診断がなされた。数年経った今となっては、上述した二つはほとんど落ち着いてきている感じがある。
今はうつ状態の方が重い気がしていて。だけど、それすら怠けなんじゃないかと思う。心身ともに疲れやすいとか、日によって気分の変動が大きい、と感じることだとか。天候気候の影響を、この頃いつにもまして、もろに受けている感じがある。
だけど、そんなの誰だって一緒じゃん、と思う。誰だって疲れるし、休むでしょって。気分の変動なんて、そりゃあ毎日、完全に同じコンディションを保てる人の方が少ないでしょ、って。
あたかも私だけが苦しい、みたいに書いているけれど、そんなことない。苦しいのは皆一緒。自分だけって悲劇のヒロインぶるなよ。
本当は泣き喚きたくて、もう全部ぶち壊したいと思う。
今月に入って何度、自室からの飛び降りを思いとどまったかなんて、誰も知らなくていいことをわざわざここに書くなよ。何?被害者アピール?気持ち悪い、傲慢。そういうところだよ。
そのくせ、人の方が苦しそう辛そう、自分なんかまだ軽い方だからって、自分の苦しさを蔑ろにするところ。他人のこと案じる前にすることがある。まず私は、自分のこと考えるべき。何勝手に、世界を担いだような気になっているんだろう。
読んでくださってありがとうございます。
また飲みたいなあ、タリーズのハニーミルクラテ。これ飲みながら書くと、執筆が捗るんです…!