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人からの「ありがとう」が嬉しい

今の私、端的に言えば病んでいる。まだそこまで深くない。お風呂入るの面倒くさいが続いて、数日連続で日付変わってから渋々入っていることを除けば、大丈夫。そうまだ入れているだけ大丈夫。本当にだめなときは入れない。そのまま苦しくて寝落ちするから。

余談は置いておいて、理由は分かっている。同期と比べて働いていない、働けていないことへの焦りと不安が、募る一方だから。

早くアルバイトすればいい。働けばいい。そうすればきっと、この訳の分からない焦りと不安からは解放されるんだろう。続けられるのかどうかなんて、やってもいないのにそんなこと、わかるはずもなくて。

ただ明らかに、その所為で精神的な不調を来たしてやめた過去の接客業のアルバイトが、苦すぎる経験として、心に黒い影を落としているんだ。あれから踏み出すことをやめてしまったから。

私はあれから、働けなくなったんじゃなくて、働かなくなっただけ。今私が生活できているのは紛れもなく、親のおかげ。温かい浴槽につかれるのも、温かいご飯を食べられるのも、雨風をしのげる家があるのも、自分の部屋があるのも。全部全部、親の収入のお陰。私は金銭面の援助を、大学卒業しても尚、受け続けてしまっている。金銭面では何も貢献出来ていない、ダメ人間。

と言いつつ、最近、台所で母親の隣に立ち、一緒に料理する回数は増えたから、料理がちょっとはマシになってきたかなあと言うところ。冷蔵庫の具材から、何を作れるかなって考えて、自分なりに形にすることが出来るようになってきた。手の込んだ料理とかはまだ無理だけど、焼く、炒める、茹でると言った、基礎の基礎?は、前よりも上手くなったんじゃないかなあ。成長?


最近、近所の、まあそれなりに規模のある公園で、花のお祭りをやっている。今日そのお花を撮りに、散歩していたら。

中国と韓国寄りなのかなあ、の海外の方に「写真を撮って貰えませんか?」と声を掛けられた。別段驚かなかった。なぜなら私はよく、見ず知らずの人から声を掛けられることが、昔から多いから。大抵は今日見たく、写真撮影依頼。あとたまに、道案内依頼。しかも海外の方の率高め。私、海外の人達から見て、話し掛けやすそうな顔してるのかなあ笑。

それで今日もまた、なんの問題もなく撮ったんだけど、その後「ありがとうございます」って言われた時、とっても嬉しかったんだよなあ。誰かの役に立てた時って、こんなにも嬉しい気持ちになるのかと、改めて感じられたし、私はやっぱり人の役に立てた時、大袈裟じゃなく、「死なずに生きていてよかったな」って思えるんだなあって。


大仰かもしれないけれど、私はやっぱり誰かの役に立ちたいし、社会の役に立ちたい。そのために働けばいい。


そうなのだ、分かっている。

でも、またあの時見たく、大声で罵られることが怖い。邪魔って言われることが怖い。それがいつも足枷になって、私を動けなくさせる。体調不良になるんじゃないか、動けなくなるんじゃないか、またうつ状態になるんじゃないか、やっぱり続けられないんじゃないかと。

それが怖い。アルバイトの時、休憩で、御手洗の個室に入ったあの数分だけが、当時の私にとって、心が休まる時間だった。それ以外はずっと張り詰めていて、気がおかしくなりそうだった。またそうなるんじゃないかと、怯えているんだと思う。


読んでくださってありがとうございます。

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