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能動的な路上の楽しみ方。/『路上観察学入門』赤瀬川原平 他・編

路上観察学とは何ぞや?タイトルに惹かれて書店でなんとなく手に取った。

編者の赤瀬川原平は白衣の集団が道路や敷石を清掃する「首都圏清掃整理促進運動」や、通貨模造で起訴された千円札の模写作品などで知られる前衛芸術家。一方で作家としての顔も持っていて、尾辻克彦名義で書いた『父が消えた』は芥川賞も受賞している、ヘンで面白いおじさんだ。

じゃあ路上観察学は現代アートなのかというと、そうではない。簡単に言えばフィールドワークだ。

アートは「表現」であって、作り手の「~したい」という意思が存在している。しかし、路上観察学の対象は川を流れる漂流物や、マンホールの蓋などの「無意図の産物」。そういった物体の観察におかしみや、面白さを見出すのが路上観察学なだ。路上観察すなわち「面白がり」。

本書は全4章構成で、前の2章は路上観察の概論のようなモノが赤瀬川を中心に語られる。後半2章は研修者やアーティストなど、様々な分野の路上観察学者による自分の観察領域についての具体的な説明。例えばマンホール、建物の欠片収集、超芸術トマソンなど。

特に面白いのが「超芸術トマソン」だ。

トマソンとは

「街中の建造物や道路に付着する、無用の長物でありながら美しく保存された不可解な凸凹」

のこと。(出典 赤瀬川原平『路上観察学入門』、ちくま文庫、1993、p.231)

これでは何のことかよくわからないと思う。

例えば「純粋階段」。普通、階段は1階から2階に上がったり、移動するための設備だ。しかし「純粋階段」は階段を登った先が行き止まりで元に戻ることしか出来なかったり、台形型で段を登っても、同じ高さに戻されてしまったりする。つまり純粋な昇降のみしか出来ず、違う場所へ移動するという目的を達成できない。こうした奇妙な階段を「純粋階段」と呼ぶ。それでもよくわからないという方は、一度新宿ミロードのモザイク通りに行ってみて欲しい。台形型の「純粋階段」が見られるはずだ。

街中の取るに足らない凸凹を「トマソン」と命名し、「純粋階段」や「無用門」「阿部定」など独自の分類をする発想が面白い。でもそれ以上に、日常よく目にする風景も視点を変えればこんなに面白くできるんだ、という赤瀬川原平の魅せ方、ある種の編集センスに感動する。

みうらじゅんの「since」とか「飛び出し少年」とか「空あり」などの看板収集も、こうした路上観察学の「見立て」にインスパイアを受けているんじゃないかと勝手に思ってしまう。

路上観察はなかなかにディープな世界だけれど、マンホールマニアなんて一時テレビなんかでもよく紹介されてたし、トマソンも「ナニコレ珍百景」の元祖と言えなくもないし、意外とポピュラーなコンテンツなのかもしてない。

ちなみにこの本の単行本が出版されたのは1986年、ギリ昭和。近所のイヌと仲良くなるために勝手にビスケットをあげる実験とか、女子高生制服ウォッチングとか、昭和のおおらかさもほのかに感じられる1冊。

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