長月スピカ
亡き父が遺した小説です。小説家を目指し、新人賞に応募したけど 選考に落ちた原稿です。 叶わなかった父の夢を叶えたいと思い、マガジンに投稿します。 40年以上前の作品です。
長月スピカと申します。よろしくお願いします。 10年以上前に亡くなった私の父。 小説家を目指し、働きながら執筆し、新人賞に応募したとの事。 残念ながら、その賞の選…
二 4 『馬酔木」のドアを叩くと、しばらくして名美が現れた。 「テッちゃん!待ってたんよ。さあ入って」 名美は嬉しそうに言うと、 若原を抱き込むようにして中に入れた…
二 3 何故、由希は失踪したのか-- 若原の胸をその問いが重苦しく締め付ける。 愛し合っていた、と思う。 心変わり、とは思えなかった。 判らぬが、彼女に失踪させた理…
二 2 ひとつの光景が目の前にある。 むしろ妄想であった。 由希の、清楚な白い肉体が見える。 その周りに数人の男達が居る。 どれも残忍な目を持ち、 毛だらけの無骨な…
二 1 広瀬由希が失踪して一週間になる。 若原徹也の焦燥は日ごとに深まり、 快活な顔に苦悩の翳りが刻まれていた。 深夜。 若原は安物のコートの襟を立て、 寒風に晒…
一 5 「名美さん、またモスコ?」 村上は、二人の時間の空虚を少しでも 言葉で埋めようとするかのように言う。 「モスコねえ。 ふん、やっぱりモスコ飲もうかなあ。」 …
一 4 村上は、ストイックに自己を抑制し、 大学で兄と共に行動すべく、 着々と日々をこなした。 そして入学したのだった。 しかし、兄の笑顔は見られなかった。 村上と…
一 3 およそ、生き甲斐とか理想とかと、対極的な 位置に自らを設置しようと思って来た村上であった。 股間からは継続して快感が届けられていた。 名美は、まるでペッ…
一 2 村上は、いつもと変わらず あまり機嫌の良い状態ではなかった。 ここ1、2年、この虚無的な表情が、 村上の平均的な顔と言っても良かった。 何かを考えている、と…
一 1 京都。 11月も末になると、京都の冷え込みは一段と厳しくなる。 落葉は歩道を敷き詰め、寒風に乾いた音を立てて舞う。 並木にも、もはや身にまとう葉は残り少なく…
序 6 少女の名を呼ぶ声が、あちこちに聞こえた。 人々が慌ただしく走り回る足音が続いた。 そして、総ての報告は、少女がどこにも見当たらない、と 言うものであった。 …
序 5 夜10時。 京都から知人が駆け付けた。 夕刊で読み、取る物もとりあえず飛んできたのだった。 まだ若い夫妻であった。 取りあえず、少女を見舞った。 妻は少女の名を…
序 4 青年達は緊張して働き続けた。 そして、2つの死体を車から運び出した。 皆の見守る中、ひとりの青年の腕の中で、 奇跡的に命を取り留めた少女が、今は泣く元気もな…
序 3 宮西浩二はジャンパーの襟を立てながら、斜面を走り下りていた。 昨夜の情事で寝過ごし、遅刻しそうであった。 朝の冷え込みもキツくなった。 宮西の母は、きちんと…
序 2 恭一が、バックミラーに不審を感じたのは間も無くだった。 通行車はほとんど無い。 しかし1台だけ、執拗にくっついて来る大型トラックがあるのだった。 車間距離を…
序 1 昭和40年。 1台の乗用車が、国道168線を北上していた。 和歌山県の那智勝浦を発って4時間、十津川を過ぎて、 車は谷瀬にかかる所であった。 国道とはいえ、168号線…
2022年7月21日 21:45
長月スピカと申します。よろしくお願いします。10年以上前に亡くなった私の父。小説家を目指し、働きながら執筆し、新人賞に応募したとの事。残念ながら、その賞の選考からは外れてしまいました。編集部から返却されたその原稿を、父は大事に保管していました。そして、遺品整理をしていた時にその原稿が出てきました。それらずっと、父の遺した小説を発表したいと思っていましたが、どうして良いか分からず
2022年10月15日 21:19
二 4『馬酔木」のドアを叩くと、しばらくして名美が現れた。「テッちゃん!待ってたんよ。さあ入って」名美は嬉しそうに言うと、若原を抱き込むようにして中に入れた。「すみません。こんな遅くに・・・」歩きながら若腹は詫びる。「何言ってんのよ。ほら、愛人のお待ちよ!」「よお、若原。」カウンターから村上が迎えた。「すまんな村上。邪魔だろうとは思ったんだが、つい甘えてしまった。すまん。
二 3何故、由希は失踪したのか--若原の胸をその問いが重苦しく締め付ける。愛し合っていた、と思う。心変わり、とは思えなかった。判らぬが、彼女に失踪させた理由があったのだろうと思う。それなら何故、一言、自分にそれを言ってくれなかったのか--いや、その理由まで言わなくとも良い。何故、別れも告げず消えてしまったのか?--あと、残された手がかりはあるだろうか、と若原は考える。
2022年9月22日 21:30
二 2ひとつの光景が目の前にある。むしろ妄想であった。由希の、清楚な白い肉体が見える。その周りに数人の男達が居る。どれも残忍な目を持ち、毛だらけの無骨な体をしている。男達は、美味そうな餌を前に、その体の奥から欲情の焔を燃やしていた。由希は無力であった。恐怖と絶望に見開かれた由希の目を、若原ははっきりと見た。誘拐の妄想は、若原を絶望の淵に追い込んだ。もしそうなら--若
2022年9月22日 21:24
二 1広瀬由希が失踪して一週間になる。若原徹也の焦燥は日ごとに深まり、快活な顔に苦悩の翳りが刻まれていた。深夜。若原は安物のコートの襟を立て、寒風に晒されて東山通りを南に歩いていた。どこに行くのか、あては無い。頭の中は、広瀬由希の行方の事で一杯であった。この一週間、若原は、刻一刻と身を削がれる思いで暮らしていた。由希の家には毎日電話を入れた。母親は、今日も帰っていな
2022年9月9日 23:25
一 5「名美さん、またモスコ?」村上は、二人の時間の空虚を少しでも言葉で埋めようとするかのように言う。「モスコねえ。ふん、やっぱりモスコ飲もうかなあ。」名美は殆ど独り言のように言うと、グラスにアイスボックスから氷を放り込み、ウォッカに手を伸ばした。モスコミュールはすぐに出来た。名美はカウンターから出ると、村上の横の椅子に坐り、今一度村上の唇を求めた。ふたりがグラスを合わ
2022年9月5日 20:51
一 4村上は、ストイックに自己を抑制し、大学で兄と共に行動すべく、着々と日々をこなした。そして入学したのだった。しかし、兄の笑顔は見られなかった。村上と会っても苦しそうな表情が目立った。本心は常に聞けなかった。帰省した時の、両親の声が聞こえる。兄は日本を捨てる気になっていた。オヤジは怒り、オフクロはヒステリックに泣いた。今思えば、兄にしても、両親にしても、仕方なかったのか
2022年9月5日 20:03
一 3およそ、生き甲斐とか理想とかと、対極的な位置に自らを設置しようと思って来た村上であった。股間からは継続して快感が届けられていた。名美は、まるでペットを可愛がるかの様な熱の入れようだった。この数瞬に、彼女のそれまでの知識全てを動員させて、村上の局所に対峙しているかであった。「もう!マーちゃんったら、また考え事してるんでしょ!少し真面目に感じなさいよ!」村上の股間で、
2022年8月27日 17:22
一 2村上は、いつもと変わらずあまり機嫌の良い状態ではなかった。ここ1、2年、この虚無的な表情が、村上の平均的な顔と言っても良かった。何かを考えている、と言うよりも、常に、得られなかったものを回顧しては、不毛な追想にふける、と言ったイメージであった。そして、アルコールの摂取量と比例して、体の奥から、不気味な、陰鬱な、殺気のような妖気が滲み出すのだった。もう店には客はいない
2022年8月20日 13:47
一 1京都。11月も末になると、京都の冷え込みは一段と厳しくなる。落葉は歩道を敷き詰め、寒風に乾いた音を立てて舞う。並木にも、もはや身にまとう葉は残り少なく、寒々とした細い裸身を、冬空に晒そうとしていた。平安神宮より西へ少し、東山通りに面してスナック『馬酔木』がある。昼は観光客や学生で賑わうこの界隈も、夜12時を過ぎればさすがに人通りは少ない。時折、飲んだ帰りの学生がある位
2022年8月1日 20:54
序 6少女の名を呼ぶ声が、あちこちに聞こえた。人々が慌ただしく走り回る足音が続いた。そして、総ての報告は、少女がどこにも見当たらない、と言うものであった。やがて駐在が駆け付けた。まず、少女の部屋を調べた。全く異常がなかった。少女が収容された時と同じ状態であった。あたかも、少女がベッドに寝た姿のまま蒸発したようだった。駐在は頭を抱えた。とりあえず、村にこの件を通報する事にし
2022年7月29日 20:57
序 5夜10時。京都から知人が駆け付けた。夕刊で読み、取る物もとりあえず飛んできたのだった。まだ若い夫妻であった。取りあえず、少女を見舞った。妻は少女の名を繰り返し呼んでは泣いた。何度も少女の髪を撫でた。夫は、目をつぶって壁際に凝然と立っていた。そして案内を請うと、両親の、ふたりにとっては帰らぬ友人に面会すべく出発して行った。ふたりとも、今夜はこの村で過ごすつもりでいた。
2022年7月28日 20:45
序 4青年達は緊張して働き続けた。そして、2つの死体を車から運び出した。皆の見守る中、ひとりの青年の腕の中で、奇跡的に命を取り留めた少女が、今は泣く元気もなく、ぐったりと横たわっていた。母親の体がクッションとなった事は、全員に理解された。それにしても、20メートル以上もある絶壁での転落である。青年達は物も言えず、背筋の寒くなる思いで、腕の中の少女を見つめた。あたかも、母から
2022年7月25日 19:09
序 3宮西浩二はジャンパーの襟を立てながら、斜面を走り下りていた。昨夜の情事で寝過ごし、遅刻しそうであった。朝の冷え込みもキツくなった。宮西の母は、きちんと宮西の朝帰りを知っていた。寝ぼけまなこの息子に、露骨なイヤミを言うのを忘れなかった。「年寄りは眠りが浅く、耳が良くなると来るわ。やりにくいと言うたら…」それでも宮西は、口元に自然と笑みを浮かべ、軽やかな足取りで勤務に向かった。
2022年7月23日 20:42
序 2恭一が、バックミラーに不審を感じたのは間も無くだった。通行車はほとんど無い。しかし1台だけ、執拗にくっついて来る大型トラックがあるのだった。車間距離をほとんど取っていない。運転を始めて、まだ3ヶ月の恭一であった。おまけに、道は急カーブの多い難所である。追突されるのではないか、との怯えが恭一を襲った。道を譲ろうにも、それらしい路肩も見当たらなかった。スピードを落とすと、バッ
2022年7月22日 22:04
序 1昭和40年。1台の乗用車が、国道168線を北上していた。和歌山県の那智勝浦を発って4時間、十津川を過ぎて、車は谷瀬にかかる所であった。国道とはいえ、168号線の路面はお世話にも良いとは言えない。舗装されている所はほとんど無い。凹凸が激しく、雨の後は水溜りが道を覆う。山間を縫う道は細く、カーブも急で運転は困難である。奈良の五条に出る168号線は、右手は落石の恐れのある山