突然吹奏楽部の顧問になる(22)最終回
本当は5回くらいで終わるはずが、こんなに長くなりました。すいません。しかし、いろいろ思い出しながら書くことで、自分の心の整理と浄化が進みました。この時、吹奏楽部の顧問になったことで得たものもあります。しかし、もしこの時、吹奏楽部の顧問にならなければ、私はまだ高校の教員を続けていただろう…と思います。
最後に、少し後日談を。
一般論としては…
年度末、地区吹奏楽連盟の会議で新しい事務局の先生を決めることになりました。就任条件が1年ですから。ただ、規約上の任期は2年です。2年やるべき、全国大会に出るような学校が事務局をやるべき、高校の先生はヒマだという主張をする先生もいました。
私は、異動すること、異動に伴って吹奏楽から離れることを伝えました。
一般論としては、全国まで進んだ部活動を自ら手放す人はいないとのことです。しかもF高校在籍は4年。強制異動の対象ではありません。
本当は、いろいろ言いたいことはありました。しかし、慣れない業務を支え協力してくれたから、事務局を務めることができたのも事実です。私は感謝を伝え、感謝を伝え、感謝を伝えました。
しかし、移動先が県庁所在地の高校であること知った某小学校の先生がこんなことを言い出しました。
「結局、県庁所在地に行くんだ。F市は踏み台なんですね。そうやって逃げ出すんだ」
公立学校によくある価値観ですが、県庁所在地の学校に勤務することは出世・栄転なんだそうです。みんな利便性の高い都市部で暮らしたいと思っている、田舎は見捨てられるというコンプレックス的な思い込みもあるのでしょう。
個人的には、あなたのそういう価値観が嫌だから、あなたの学校の保護者が大会でルールやマナーを守らないからという部分もあります。しかし、私は、この場では「申し訳ありません。決まったことなので」とだけ伝えました。あとは、みなさんで決めてください。もう、知りません。
職員室の反応は…
進路部長が感情を高ぶらせ「あなたが異動したら、課外講習は、小論文はだれがみるんだ」と言ってきました。これは誉め言葉としてありがたくいただきました。そうやって嘆いてくれる人がいるのはありがたいです。
教頭先生は、「ずいぶん、いい学校に行くね」と言っています。次の高校は、学区内では3番手くらいの進学校。学校創立30年少しの新設の共学校。私はよく知りませんが、中学生からだけではなく、教職員からも「あの学校で働きたい」という希望の多い人気校だそうです。そんなことがあるんですね。そこに私が行くということは、教頭先生からすると意外。まぁ、そうでしょうね。部活動人事のことでは教頭にはかなり逆らいました(もちろん、最終的には受け入れましたけどね)。「実業高校に飛ばされると思ったんだけどな」という管理職にあるまじき発言は、聞かなかったことにしておきましょう。
3学年主任は、普段はややシニカルな物言いをする人。私に対しても、クラスに私大希望者が多いこと(生徒の希望でしょう)、部活動ばっかりしていること(私の本意ではないぞ)について、いろいろ言われました。その先生から、「お世話になりました。ご栄転おめでとうございます」と珍しく腰の低いあいさつをいただきました。この態度の変化の理由は、4月にわかりました。その学校に、学年主任の娘さんがいたのです。偶然というのは重なるもの。私はその娘さんの副担任になっていました。ちなみに、娘さんは吹奏楽部員。私に対するシニカルな物言いは、娘さんについての愚痴だったようです。
部員が私の異動を知ったのは…
新聞発表です。その日は、東京での本番当日。部員がA県のローカル新聞を見ることはありません。しかし、朝、新聞を見た保護者が子供に伝えたようです。朝食会場に行くと、何となく空気が…。「知ってしまったか」と思いましたが、知らん顔をしていました。次に来る先生のこともわかっているはずですし、その先生はA県の吹奏楽業界ではビッグネーム。私より適任、問題はない。
予定通り会場に入り、Sさんも合流して会場リハ~本番と流れていきます。吹奏楽・合唱としてはこれで最後と思うと、感慨深いものはあります。そこに手放す寂しさはありません。むしろ、手放す解放感。素人が指揮をする罪悪感からの解放と、次の顧問の先生が、部員を正しい道に導いてくれるという安心観です。
演奏会が終わってのミーティングで、部員に感謝を伝え、感謝を伝え、感謝を伝えました。Sさんが、今日の演奏も奇跡だった、君たちはすばらしいと絶賛してくれました。
新しい学校では…
朝は7:00に3人で朝食、7:30に出勤、8:00に学校到着という生活が始まりました。夢のようです。
2年生の副担任と授業。2コマだけ3年生の選択授業を担当。
文芸部の顧問と、女子ハンドボールの副顧問。分掌は総務部。
1年間が穏やかに終わりました。落ち着いた暮らしの中で、近代論をまとめ、入試問題の分析も進みました。何より「夏休み」が取れました。夢のようです。
前任校で、私が吹奏楽の顧問だったことを知っている生徒さんもいましたが、知らん顔をしていました。新しい学校にも、吹奏楽部・合唱部があり、音楽の先生(合唱)と数学の先生(吹奏楽)とが顧問をしています。
ただ、このお二方の仲があまりよくないそうです。
時間はめぐって3月の卒業式。吹奏楽部の顧問である数学の先生は3年生の担任。卒業生入場では、クラス担任として入場の先導をつとめます。
指揮は、音楽先生がすればよいのですが、「数学の先生が指導する吹奏楽部の指揮はしたくない(音楽の先生)」「音楽の先生に吹奏楽部を指揮してほしくない(数学の先生)」とそれぞれが主張します。
卒業式は「総務部」の管轄。
式典演奏は「学生指揮者で」という案は、総務部長が却下。もし、何か間違いがあった時、生徒に責任を取らせることはできない。これは教員がすべきこと…というのがその見解。もっともです。私もそう思います。
そして、総務部長は私の方を向いて、「この問題は、総務部で解決します。先生(私のこと)、指揮できますよね。総務部長として、総務部員への業務命令です。先生、卒業式の指揮をしなさい。二人の顧問と部員とには私から説明します。」
入場曲は、「アイーダ」というオチ。
卒業式の2日前、部員に紹介され、指揮台に立ちました。
2回とおしてその日は終わり。
前日は、会場で2回とおして終わり。
卒業式後、音楽の先生、数学の先生、それぞれから「来年度は、副顧問に」と誘われましたが、丁重にお断りしました。
というわけで、22回も書いてしまいました。
お付き合いいただきました読者のみなさまに感謝申し上げます。
改めてわかったのは、あの時、吹奏楽部の顧問にならなければ、まだ教員を続けていた可能性が高いということ。
ちなみに、音楽の勉強、指揮のレッスン、レッスンのための移動費、演奏曲の音源購入、演奏会本番用の衣装の購入などなど、これ全部自腹。接待というわけではないですが、音楽家の方に部員の指導をお願いした日の昼食・夕食なんかもこちらが払うことも多かったです。
妻が音大卒のピアノ弾きでしたから、そういうことにも理解を示し、時には我が家に招いて鍋をふるまうこともできましたが、慣れない部活動の顧問になると、お金も時間も失われます。自身の健康や家族との関係性も損なわれます。何より、この時間とお金とを国語の勉強に使っていたら…とつくづく思います。
もちろん、部活動を否定するつもりはありません。ただ、「顧問=監督・コーチ・指揮者」なわけで、その能力・意欲・経験のある人を顧問にしないと、いろいろな意味で「犠牲」が発生します。
教育の場で、犠牲を強いるのはどうなんでしょう。
その反動は、結局子供たちが負うことになります。
今の日本は、そういう方向に向かった結果ではないかと個人的に思います。
(完)
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