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じぶんnote(お義母さんと呼べなくて)

雨。梅雨なのに雨が降らないでいると雨が恋しくなるのに、雨が降ると少し憂鬱な気分になる。雨は必要なものだから適度に雨の日もないと困るのだけど、梅雨はどうしても雨が続くから憂鬱だ。

こんな前置きは置いといて。
わたしは義母のことを下の名前にさん付けで読んでいる。付き合っていた時から少し話したことがあった。友達の母親を呼ぶわけでもないから〇〇のお母さんとも呼ばなかったし、当時は結婚している訳でもなかったからお義母さんと呼ぶのもおかしい気がした。
その習慣が残っており今までずっと呼び続けていたのだが、今日「〇〇さんって言った?お義母さんって呼んでくれる?」と言われた。笑いながらであったので冗談半分だったのだろう。

恐ろしいほど自分でも顔を引きつったのが分かった。なぜわたしがあなたのことをお義母さんと呼ばなくてはならないのか。文字では実母と義母、「おかあさん」と同じ音でも違いを表現できるからまだ理解できる。だけどなぜ音に出して実母と義母の区別がつかない「おかあさん」と呼ばなくてはならないのか。そんな決まりがいつから出来ているのだろうか。
あなたはわたしにとっては「おかあさん」ではない、わたしにとっての「おかあさん」は実母だ。
結婚したら家と家の結び付きで、わたしたち夫婦だけの問題ではないことはこの数ヶ月で十分に理解した。だけど「結婚したら相手の親をお義母さんと呼ぶ」という感覚は理解出来なくて苦しい。果たして理解する必要があるのかどうかも疑問だが。

わたしは敬意を込めて名前にさん付けをしている。一個人として関わっているつもりだ。世の中の「おかあさん」と呼ばれる方々にも名前がある。子どもが出来たら名前が呼ばれなくなるのは悲しいとわたしは思っている。
わたしが小さい時は同級生は下の名前で呼ぶことが当たり前だった、それが中高生、大学生になるに連れて下の名前にちゃん付けになった。社会人になったらもはや自分の下の名前なんて滅多に呼ばれない、比較的珍しい苗字だったから苗字を呼ばれるだけで生きてきた。
そんな世の中なのに家に帰ったら役割で呼び続けられるのは悲しくないのだろうか。昔の考え方が強い人だからわたしのこの感覚をきっと義母に理解してもらうのは難しいと思う。

嫁姑関係を上手く築けなくてごめんなさい。だけど機能不全家族で育ったから家族に対してのこだわりが強くてわたしも譲れない部分がある。家族だけど身内なだけでわたしにとっての家族じゃないんだよ(この感覚伝われ)。
今は義母の言葉が何度も頭の中で再生されて、苦しい。今まではご飯をご馳走になったり、食材を貰いに行ったりしていたがこんな苦しい思いはしたくないからしばらくは夫の実家に行くのは辞めようと思っている。

結婚している方はこの問題どう乗り越えたんだろう。そもそも誰も疑問にも思わなかったのかな。
わたしのこの気持ちを理解してくれる人が一人でも居たらいいな。

おわり。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! あなたにとっての”心の住処”となれるよう、穏やかに頑張っていきたいと思っています。良いな〜と思って頂けましたらサポート是非よろしくお願いいたします。素敵な1日を🌿