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北村早樹子のたのしい喫茶店 第9回「新宿 名曲・珈琲らんぶる」

文◎北村早樹子
 

名曲・珈琲らんぶるの外観


 5年くらい前まで、わたしにはマネージャーさんのようなおっさんがついていた。
 H澤さんという、でっぷり太ったお菓子大好きおっさんで、当時45歳くらいだった。H澤さんはなりすレコードというレーベルをやっていて、わたしはそこからCDを出させてもらっていたので、必然的にH澤さんと行動を共にすることが多かった。しかし、このおっさんがとんでもなくたいへんなおっさんだった。
 まず、いちばん困ったのは失踪癖だ。H澤さんはよく嘘をつく。出来ないことも出来るといい、その場ではいい顔をする。でも、結局出来なくなって、どうしようもなくなって示しがつかなくなったら、失踪する。そう、本当に消えていなくなるのである。携帯電話もオフにして、メールの返信もなくなり、2週間ぐらい本当に音信不通で行方不明になる。行方不明になる度、わたしは共通の知人ミュージシャンやライブハウス関係者、レーベル関係者などに「H澤さん知りませんか?」と聞いて回っていた。H澤さんをよく知る人たちは口々に言った。「あ~いつものやつでしょ。きっと2週間ぐらいしたらひょこっと出てくるよ」そう、H澤さんの失踪は、知っている人からしたら、いつものこと、なのだ。そして、ひょっこり戻ってきた際、いつも言い訳は「体調崩してました」だった。
 実際H澤さんは糖尿病を患っていて、一緒にごはん食べる際などはいつも隣でおなかにインシュリンを打っていたのだけど、糖尿病は失踪の理由にはならない。その証拠に、失踪中、わたしが探偵のように包囲網を広げて色んな人に目撃情報を聞いていたら、「あ、昨日〇〇のライブ見に来てたよ、元気だったよ」との情報が何度か入って来た。ライブ見に行くぐらい元気なのに、なんで連絡返せへんねん、なんで電話無視すんねん、とわたしはいつも腹を立てていた。
 その次に困ったこと、それはデリカシーのなさだ。H澤さんは、固有名詞をめちゃくちゃ間違える。これはもう、ちょっと病的である。ツイッターなどでわたしの宣伝をしてくれるのはいいのだが、北村早紀子になっていたり、アルバムタイトルを間違えていたりなど日常茶飯事。でもまあ、自分のことはまだいい。最低だったのは、わたしのMVを撮影してくれる映画監督さんとメールをやりとりしているのだけど、その映画監督さんへのメールで監督さんの名前を完全に間違えていたり、アルバムの推薦文を書いてくださったアーティストさんの名前を完全に間違えたまま本人に原稿チェックを送り付けていたり。(この件ではわたしが菓子折りを持って謝罪に行きました)相手に失礼なことを平気でするのに、大して謝りもしない。だからわたしが代わりにいつも謝りに行くことになる。
 H澤さんはなりすレコードのアーティストがライブする際はわりとついてくるのだけど、本番中、客席で堂々とスマホを触っている。客電が落ちている中、スマホのブルーライトに煌々と照らされたH澤さんの顔がステージからまる見えで、わたしは何度もやる気を削がれた。ライブ見ないなら来ないでください。
 それからレコーディングしていたときもそうだ。レコーディングというのはそれなりに緊張感のある現場で、こんなわたしでも一応ピリピリしていたりするのだけど、ブースの中でわたしが歌録りしていて、終わって出てきたら、H澤さんはソファーで鼾をかいて爆睡していた。寝るなら来ないでください。
 そんな風にアーティストは一生懸命レコーディングして、アルバムを作り、レーベルはそれを売り込み用のサンプル盤というのをまず作って、関係者にばら撒く。そのサンプル盤の渡し方がひどかった。なりすレコードの他のアーティストのアルバムが出る際、H澤さんはわたしにサンプル盤を渡して「はい、これ、ゴミ」と言ったのだ。え、アーティストが一生懸命作ったものを、レーベルのあなたが『ゴミ』と言うのですか? もちろん、冗談のつもりだったのだろう。わたしも、ギャグをちゃんと笑うぐらいのユーモアは持っている。しかし『ゴミ』は酷すぎる。冗談でも絶対いけない。あ、きっとわたしのサンプル盤も、こうやって周りの人に『ゴミ』と言って渡してるんだな。怒りを通り越して、身体が冷えていくのがわかった。この人とは一緒に仕事出来ないな。わたしはなりすレコードを離れることを決意した。
 しかし、H澤さんは一部の音楽関係者からは何故かちゃんと信用されていて、わたしがなりすを離れると言うと、結構な大人たちから止められた。「Hちゃん、いいとこもあるから」と、何故か、みんなやさしくあたたかくH澤さんの肩を持つのである。嘘つくし、失踪するし、デリカシーないのに、そのすべては謎の愛嬌のようなもので許されているらしい。しかし、わたしは許せなかった。わたしの心が狭いのでしょうか。
 そんな、H澤さんと打ち合わせやインタビュー取材なんかでよくお邪魔していたのが、ここ、名曲喫茶らんぶる。近くにH澤さんの好きなディスクユニオンがあるので、待ち合わせはだいたいらんぶるだった。らんぶるのBGMは有線ではなくちゃんとレコードがかけられていて、地下の大階段を降りると赤いビロードのソファーがびっしり置いてあって、とてもゴージャス。ひとりでお茶を飲みながら読書をするにはもってこいのとてもいい大箱喫茶店なのに、わたしは未だにH澤さんのことを思い出してしまう。だけど、もう5年経ったことだし、そろそろ忘れて、ひとりで読書しにいってみた。

ゴージャスな店内


 らんぶるには琥珀セットというとても素敵なネーミングのセットがある。トーストとサラダとヨーグルトのセットなので、まあ、要するにモーニングのような内容なのだけど、一日中いつでも頼める。わたしは朝昼晩いつでも朝ごはんが食べたい人間なので、これはうれしい。トーストはしっかり厚焼き。可愛い木のプレートに乗って来る。一口サイズのヨーグルトは上にジャム。うんうん、味も量もちょうどいい。スピーカーから流れる交響曲に耳を澄まし、優雅な気持ちでアイスコーヒーを飲みながら読書していたら、H澤さんへの怨念はもう綺麗に水に流れました。こんなに居心地のいい素敵な喫茶店なのに、5年も来ていなかったなんて! 勿体ないことをしました。これからはちょくちょくお邪魔します。
 

琥珀セットは一日中オーダーできます


今回のお店「名曲・珈琲らんぶる」


■住所:東京都新宿区新宿3―31―3
■電話:03―3352―3361
■営業時間:9時半~18時(ラストオーダー17時)   
■定休日:年始休


撮影:じゅんじゅん

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。


■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

7/26(火)
『アウト&セーフ』
場所:下北沢ろくでもない夜
時間:19時開場19時半開演
料金:前売3000円
出演:第十四代目トイレの花子さん、北村早樹子、白玉あも、かものなつみ
ご予約はwarabisco15@yahoo.co.jpまでお名前と連絡先を。


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