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「モネ 連作の風景」展 in 上野の森美術館

先月、上野の森美術館で開催中の「モネ 連作の風景」展に行ってきた。

2024年1月28日(日)まで
休館日:12月31日(日)と2024年1月1日(月)のみ。
上野の森美術館は、他の美術館と違い、毎週月曜や火曜が休業というわけではない)
入館料:一般平日2800円、土日祝日3000円!

巡回情報:大阪中之島美術館
2024年2月10日(土)~2024年5月6日(月・休)
休館日:月曜日(2/12、4/1、15、22、29、5/6は開館)
入館料:一般2500円(前売り2300円、2月限定割引2000円などもあり)

フランス印象派を代表する画家の一人、クロード・モネ(1840-1926)は、日本でも人気が高い。
印象派」展や「モネ」展は、頻繁に開催されているが、今回の展覧会では、70点以上の作品がすべてモネで、国内外からの多くの美術展から集められているということで、貴重な展覧会である。
そんなわけで、高額チケットが飛ぶように売れ、予約制、平日にもかかわらずかなり混雑していた。
印象派以前の作品から、「睡蓮」まで、モネの人生も追うように工夫して配置されていて、わかりやすい。モネのことをあまり知らない人でも、理解できる、楽しめる構成だと思う。

しかし、一方で、モネの作品を今までにたくさん見てきていると、(もちろん、日本初公開の作品などもあって、それなりに楽しめはするのだが)、今までの展覧会に比べて、これは高すぎだろう!という気持ちが先に立ってしまう。

せめて、もう少し広い会場だったらな、とも思った。
モネの作品は、少し離れてみるのが一番美しいし、近寄ってタッチの粗さに驚くのもまた面白いものだ。
ところが、「上野の森」は、もともと狭く、遠くから鑑賞することが難しいうえ、これだけ混雑していると、行ったり来たりするのも困難。惜しい、としか言いようがない。

まあ、文句はこれくらいにして(笑)、展示内容に入ろう。
入り口を入ると、睡蓮の池が投射されていて、これは美しい。

全体は、5つの章に分かれている。
前半は、写真撮影が不可なので、気に入った作品の画像は、ネットから。

1章 印象派以前のモネ

パリで生まれたモネル・アーヴルで成長し、風景画家ブーダンとの出会いを契機に戸外で風景を描き始めました。
画家を志して18歳でパリに出て、アルジェリアでの兵役を経て絵の勉強を続けます。画塾で出会ったピサロ、ルノワール、バジールらと親交を深めました。
画家の登竜門であるサロンに1865年に初入選しますが、審査の厳しくなった保守的なサロンでは評価されず、その後は落選が続きました。
1870年に普仏戦争が始まるのを機に、妻子とともにイギリスオランダに滞在します。
本章では、初来日の大作《昼食》やオランダで描いた風景など、モネの初期作品をご紹介します。

―サイトより
ルーヴル河岸

昼食

食卓に座るのは、後に結婚するカミーユと息子のジャン
幸せそうな2人を見守る来客の女性と、様子をうかがう使用人の姿もあります。
プライベートな情景をモネは高さ230cmを超える大きなカンヴァスに描きました。
周到に準備した意欲作でしたが1870年のサロンに落選。希少な「モネの黒」を味わえる初期の代表作は今回が初来日です。

サイトから

この絵は、以前、何かの本で見たのかもしれない。
サイトをチェックした時は、この絵は知っているなあ、と思っていたが、実際に実物を見ると、その大きさに驚く。
モネは、画面が暗くなるのを嫌い、黒を使わなくなるが、このころはまだ使っている、というのが新鮮。


ザーン川の岸辺の家々


2章 印象派の画家、モネ

1871年末から、モネはパリ郊外のアルジャントゥイユで暮らし始めます。
モネと仲間たちは1874年春、パリで第1回印象派展を開催し、サロンとは別に発表の場を設けて活動しました。
精力的な制作の一方で、景気後退により経済的に困窮し、1879年には妻カミーユが亡くなるなど苦しい時期でもありました。
本章では、1870年代から80年代にかけて、セーヌ川流域を拠点に各地を訪れて描いたモネの作品を展示します。

―サイトより


ヴェトゥイユの教会
ヴェトゥイユの春

こういうのをTシャツにしてほしいんだけどな。

ヴェルノンの教会の眺め


3章 テーマへの集中

モネは新たな画題を求めて、パリ近郊はもちろん、ノルマンディー地方ブルターニュ地方、地中海の港町などヨーロッパの各地を訪れて制作します。時には数ヶ月も滞在して、人影のない海岸などを好んで描きました。
本章では、ノルマンディー地方のプールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、モネが何度も訪れた場所の作品群をご紹介します。
滞在中、同じ対象であっても季節や天候、時刻によって、海や空、山や岩肌の表情が絶え間なく変化する様子をモネはカンヴァスに描き留めていきました。

サイトより
ヴェンティミーリアの眺め

これは、パンフや看板にもなっている。

<プールヴィルの断崖>2点と、<ラ・マンヌポルト(エトルタ)><エトルタのラ・マンヌポルト>の比較は、直接展覧会サイトを見ていただいた方がよいだろう。

同じような構図の風景画。
今回の「連作」のテーマに沿う展示だと思うが、初公開作品より、以前見た作品のほうが、やはりいいかな、という気もした。好みもあるだろうけど。

4章 連作の画家、モネ

1883年、モネはセーヌ川流域のジヴェルニーに定住します。
やがて、自宅付近の積みわらが光を受けて刻々と変化する様子を同時進行で何枚も描くようになりました。1891年にデュラン=リュエル画廊でそれらを「連作」として展示すると大好評を博し、国際的な名声を築きました。
以後は別のテーマでも次々と連作に着手します。
「連作」という手法の着想源の一つにはモネが愛好した日本の浮世絵版画の影響も指摘されています。

―サイトより


ジヴェルニーの積みわら


積みわら、雪の効果

この2作品、とても美しい。
やっぱり見に来てよかったな、と思う。

とともに、連作っていうのに少ない!モネがどんだけ積み藁を描いていると思ってるんだい、10枚くらい並べてほしかったなあ、という気持ちも。

積みわら以外の連作も何セットか展示されているが、他のものは霞んでみえる。

5章 「睡蓮」とジヴェルニーの庭 

ジヴェルニーの自宅はモネの創作にとって最大の着想源となりました。
「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備し、花壇の草花や、睡蓮のある池を描いています。次第に制作の大半は〈睡蓮〉となり、池の水面に映る色と光の抽象的なハーモニーが次々に誕生します。
晩年のモネは、視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けました。本章ではモネがジヴェルニーで描いた村の様子や、モネが愛した庭のさまざまな情景をご紹介します

―サイトより

この章は、撮影可能だったので、バシバシ載せる。

ジヴェルニーの風景、雪の効果


ジヴェルニーの草原

あれ~写真がよくとれてない~でも、のせたい。

黄昏時の流氷
ジヴェルニーの洪水
芍薬


睡蓮の池の片隅
睡蓮の池

全体の枚数としてはまあまあだけど、モネの「睡蓮」、もっといいものがたくさんあるのになあ、と思わなくもなかった。

少々文句が多い記事になってしまったが、事前に色々うわさを聞いていたので、驚きもせず、がっかりもせず、まずまず楽しめた。

お土産売り場はやはり、行列。「ここまで15分まち」のプラカードの後にも結構並んでいた。
並ぶのが部屋の中ならまだいいけど、外だから、ちょっとねえ。
というわけで覗くのをあきらめる。
チケット代高いし、お土産にまで散在しないですんで、丁度よかったかも。

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