繰り返しは消費すること
繰り返しって何事もよく印象に残るって言われるけど、
繰り返すことは消費することだと感じている。
たとえば、音楽。
歌詞とそれを彩るメロディーに対して、初めて聴いた時のインパクトや押し寄せる感情を2回目に聴いた時に再現することは不可能である。
この曲好きなんだよねと言って繰り返し聞いていると、本来その曲に持ち合わせていたメッセージ性とか感じていた核の部分がいつの間にかなくなっていく。やがてその曲はそこら辺のありふれた曲と変わらない位置づけになり、やがて聴くことはなくなる。
あとは、人によるであろうが友達。
同じ人に毎日会っていると自分の感性が鈍くなっていくことがある。
昨日別れてから今日会うまでの短い時間にあった出来事は、会った時の時間を完全に埋められるほどの内容ではない。
他愛もない話が苦手なので、そう感じてしまうのかもしれないが。
娯楽に関しても然り。
映画だって、2回目の感動は1回目を決して超えることはないし、
ビールだって、一口目が一番美味しい言われているのもそういうことであろう。
これらはすべて、繰り返す行為によって価値を消費し減衰させていることに他ならない。
それは新たな刺激がないことが一つ理由として挙げられると思う。
だからこそ、本当に大切にしたいものは自分の中で価値を保つべきであると考えている。
本当に大切な曲は本当に困ったときしか聴かないし、お酒もたくさんは飲まない。
ディズニーにだって月一で行くこともないし、親友とは3か月に1回ぐらいしか会わない。
はじめてに関する感度を高めておくために。そして自分が持ち合わせている感性を必要以上に消費しないために。
なるほど、今書きながら思ったのだが、感情が伴わないものに関しては繰り返しても減衰しないのか。
と思ったのだが、さっそく薬が反例であることに気づいた。
やっぱり何事もほどほどにがちょうどいいや。
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