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20代女の失敗に満ちた半生を公開

私の半生を語ります。
先に言っておきますがめちゃくちゃな過去です。恥ずかしいので人に言いたくないですが、過去を恥じる自分を克服したいし、ダメな自分を受け入れたい。そのために、ここで過去を語って人に読んでもらうことで自分を許す足がかりにならないかな……という試みです。

いつか書こうと思っていましたが、執筆にあたり過去と向き合うのが辛くてずっと出来ずにいました。ですが今回は、書ける範囲で過去を語ります。



中学時代

普通の陰キャ。人付き合いが苦手で、この頃が人生で一番人見知りだった。友達はいたけど別に好きではなく、私も好かれていなかった。人間関係に悩んでおり、友達との間でも色々あり、小学校時代からの友達(最低な友達だった)といつ絶交しようか考えていた。
さらに受験期に母が病気になり大変だった。(母は今も健在です)

卒業間際、以前からトラブルがあった友達の裏切りにより自ら絶交して孤立し、卒業までずっとボッチだった。正直辛かったが耐えた。

精神面で言えば、「自分は誰にも必要とされていない」「生きてる意味が分からない」などと思い悩み、孤独感に苛まれ、初めて自殺願望を抱いた。毎日死にたくてたまらなかったが、夢があるから死ねなかった。今思えばこのときに心療内科を受診して適切な診断・治療を受けるべきだった。

このときの自殺願望は今も引きずっており、現在に至るまで希死念慮として心に深く残っている。みなさん、病んだらちゃんと心療内科に行きましょう。初期治療大事。

高校時代

相変わらず陰キャだった。友達作りに失敗し、自分と合わない子達と友達になったためアウェー感があった。この頃も生死、人生、存在意義など難しいことを考えては憂鬱な日々を過ごした。

修学旅行でオーストラリアに行ったことが、「海外へ行きたい」「ワーホリに行きたい」という思いを持つキッカケとなった。

専門学校時代

人生で最も苦しんだ時期と言っても過言ではない。子供の頃から憧れて目指した飼育業界。私はドルフィントレーナーになりたくて入学した。入学当初は期待と夢に溢れ、夢は叶うと信じていた。

私が行った学校は、最低2週間は研修に行かねばないルールがあったので、2つの施設に研修に行った。ここから全てが壊れ始める。

地獄の研修
その①

1つ目の施設では、ひたすら掃除がメイン。まあ最初はそんなものです。
調餌(ちょうじ:動物の食事を作ること)は魚類部門での研修の際はさせてもらえたが、海獣部門(海洋哺乳類の飼育部門)ではほぼ掃除しかさせてもらえず終わった記憶。(※研修内容は施設と研修生の能力により異なりますので、どこでも同じではありません)
孤独で過酷な研修に心が砕かれていく。飼育員がミスをすれば飼育動物の死活問題になるので厳しく指導されるのは当然だと分かっていても、なかなか辛かった。
さらに、あまりにも強い日差しにより腕が真っ赤に腫れ、一週間以上我慢していたが見た目もすごいので現地の皮膚科に行くと、日光湿疹と診断されて塗り薬を処方され、薬パワーで次第に治った。(飲み薬もあった気もするが忘れた)
自分は優秀な研修生じゃなかったが、自分なりに真面目に一生懸命頑張ったつもりだった。しかし、研修後の評価シートには辛辣なコメントと最低評価がズラリ……。それを受けて学校のキャリア担当の先生にも評価シートに辛辣コメントを書かれ、親にも怒られ、心が完全に折れた。「あんなに頑張ったのに……」と。ひたすら辛すぎて死にたかった。
これが挫折の始まりであった。

地獄の研修
その②

2度目の研修では離島に行った。初めから行きたくなかったが、行かなくてはという謎の気持ちに押されて。

そこが最悪で、同じく研修に来ているクラスメイトからの陰湿な嫌がらせイジメとも言う)と、ミスした際のトレーナーからの厳しすぎる言葉により心をやられ、一日目から空腹なのに食事が喉を通らなくなる
3日目の夜に親に相談し、存在しない祖母を死なせて嘘をついて帰宅。このことでも親に怒られたが、「夜逃げしてやろうか」「船の最終便が過ぎても泳いで戻ってやる」などトチ狂ったことを考えるほど追い込まれていたので、逃げたことは後悔していない

思い悩む

1年のときからうすうす気づいていた。
「自分には向いていない」と。
私が研修に行った施設では割と体育会系な人が多く、動物の命がかかっているのでとても厳しかった。そういった厳しい教育……強い口調と態度で指導されることがメンタルが弱い私には合わなかった。

1つ目の施設では、魚類の飼育員の人たちと海獣の人たちで雰囲気が随分違った。
私が行った施設では海獣部門は時間に追われており迅速な動きが求められるが、私は急いでいても遅いと言われるようなトロい人間。そして、上記のように非常に厳しい指導。そんな私にこの業界が向いていないのは一目瞭然。目指すのをやめるべきか、やるだけやってみるかで数ヶ月悩んだ

1年の時点で辞めていった人が、私のクラスでは2人いた。彼女たちにどんな事情があったかは知らないが、私のように向いていないと判断してのことならそれは賢明な判断であったと、後になって思った。

地獄の就活

この間に就活が始まる時期に突入。しかしまだ悩んでいた私は就活に踏み出せず出遅れる。考えた結果、「目指すのはやめよう」と決意し、業界と関係ない職種で就活する。そして事務系で仕事を探すも上手くいかず。
その中で、ペットショップでの就職も視野に入れ、面接を受けるために必要だったので実務の研修に行き、そのあと面接にも行ったが、研修で見たペットショップの裏側と、面接で「保険の勉強も必要で、勉強会に行ってもらうがその時間は無給」という旨の話を聞いて、私には無理だし興味も無いのでやる気は皆無になる。それが顔に出ていたのだろう、面接は落ちた。落ちてよかった。

この頃から悪夢を見始める。
夢の中でも私は就活のことで焦っていた。
そしてそんな夢を見た日は非常に暗い気持ちで目が覚める。

冬頃になって「やっぱり業界に行きたい」と思い直し、業界での就活を始めるが書類選考すら通らず全落ち。周りはみんな苦労なく内定を貰っているのに自分だけいつまでも決まらないのでヤケクソになった私は、今度は動物病院の受付に絞り就活する。バイトと正社員の募集に応募し、正社員のほうが採用となり、自宅から片道1時間半かかる他県の動物病院に就職する。
ここが最悪で、1ヶ月で退職した。
・先輩からの悪口
・遅くまで残業
・客層が悪い
・客といい加減な獣医の間で板挟みになり、客から理不尽に怒りのクレームをぶつけられる
など環境が最悪だった。
 
辞めるに至った経緯はこうだ。
ある日、先輩Aに呼び出され、「あなたは他の2人に比べて仕事覚えが悪い。今も募集をかけてるのに、あなたがいたら新しい人が入って来れない」と言われ、受付として入社したのに動物看護に異動しろと言われる。覚えが悪いのは自覚しているのでメモをとって復習もするなど努力していたのが、あまりにハッキリ無能と言われたのでショックを受けた。しかし無理なので断ると「なんで?」と蔑んだ目で何度も聞かれ、潔癖なので無理だとやんわり伝えると「そういう理由で受付なんすね(笑)すごいね(笑)」とまた蔑んだ目で吐き捨てられた。
今思えばこのAは多分、本院勤務の古株だったし、代表取締役とやり取りがあったようなので平社員ではなく何らかの役職についていたのかもしれない。

次は代表取締役に呼ばれた。
話し合いの結果、元々勤務していた他院Bでの勤務に戻ることになった。

しかし、色んな要因が積み重なって病みに病んだので退職することに決めるで、ここからが私の黒歴史のはじまり。それに際し代表取締役と電話した際に彼がふざけたことを抜かすので、当時20歳の私は軽くブチギレて電話口で代表取締役(4、50代のオッサン)と口論した。

短気な割にほぼキレたことがない私がなぜそんなに怒ったかと言うと……。

       B院勤務で入社
          ↓
  研修のためと言われてしばらく本院勤務
          ↓
        B院勤務に戻る
          ↓
   本院に異動してもらうことになったと
   上司から言われ、本院勤務へ

……という流れだったのに、「“異動”なんて言ってない」と代表取締役が言うからだ。
今思えば相手があんな感じなのでこっちが大人な対応をすべきだったが、当時は今より血気盛んだったので少々乱心してしまった。
私が上司に言われたことを代表が「そんなこと言ってない」と言うのはおかしいし、勤務中に起こった事実や会社側の非を認めない傲慢な態度に腹が立ったのだ。仕事の出来が悪かったのは事実だが、会社の体制にも問題があったのに全てを私のせいにする腐った根性も気に入らなかった。

だから当時の私は20歳の新入社員(退職する)という立場でありながら、代表取締役のオッサンと電話で喧嘩した。20歳の女が代表取締役のオッサンと揉められるのはある意味すごい。「よく言った!」と思う反面、大人な対応をすればよかったという思いもあり、これは黒歴史です。これ以来毎回揉めずに辞めてます(それが普通)。

(実は専門学校時代にしていたバイトで男性社員もしくはバイト?の男の人にお客さんの行列の前で大声で理不尽にブチギレられるなど我慢ならない出来事があったため、そのときも辞めるとき店長に電話口で文句を言った)


フリーターになる

まず、1ヶ月で辞めてしまったことと代表取締役と喧嘩したことを後悔し、恥じていた。ずっとそれを後ろめたく思っていて、重大な過ちを犯したと自分を責め続けた

正社員で転職するつもりだったが、前職でのトラウマがあり正社員転職をする気が起きずそれはやめた。そして3ヶ月ほどのニート期間にまたドチャクソ病みながらも、フリーターとなる。

バイトから契約社員へ

飲食店とCD屋でのバイトを経験した。
どちらのバイト先でもやはり「覚えが悪い」ということを言われた。もう「覚えが悪い」と言われるのは嫌だったし、見聞きするだけじゃ覚えられないので毎回メモをとって復習もしていたが、どうしても他の人より覚えが悪く時間がかかってしまうのだ。

結局飲食店は売上低下による人件費削減により大幅にシフトを減らされ月に1万あるかどうか程度にまで収入が減ったので辞めた。 
CD屋は、店長と先輩がかなり横柄だったのと、一度教わったことをもう一度聞いたら嫌味をネチネチ言われたりブチギレられるなど非常に酷かったのと、ただでさえ最低賃金なのにタイムカードを切ってから入金に行かされるため、ラストまで入る日は毎回サービス残業が20分ほど発生するので辞めた。馬鹿らしすぎです。

次は百貨店に新規オープンする飲食店にオープニングスタッフのバイトとして入った。これが今年の3月。そこで契約社員にならないかと誘われ契約社員になった。そこでの仕事は楽しかった。仕事内容も嫌いじゃなかったし、仲のいい同期と話すのも楽しかったし、初めて優しい社員さんに出会うことが出来て、その人と仕事する日はすごく平和だった。今でもその人が上司なら良かったのにととても思う。(その人は週に一回、他店舗からヘルプで来てくれていた平社員。彼が店長なら私は辞めることはなかった)
たくさん怒られたし、嫌なことも沢山言われたけれど、いい経験になった。

この会社は非常に昭和気質で、店長も社長も典型的な昭和おじさん。60代の職人気質の昭和店長はパワハラ気質でストレスだった。彼は私がいる間だけでも3人辞めさせた。店にはカメラが付いていて社長が見ており、気に食わないことがあると社長自ら従業員に直接電話して怒鳴り、帰らせたこともあった。ちなみにそれをされた人はその後すぐに辞めた。私も社長にブチギレられたことがある。そして店長からのパワハラは日常的だった。

そういうストレスに耐えかねて辞めた。
店長に退職を伝えようと思っていた日、タイミングよく人事も担当してる総務の人が店に来たので直接退職を伝えた。「店長に耐えられないから辞める」と正直に伝えたし、店長に言われたパワハラ発言のことなど言いたいことは言った。
その後店長にも「退職します」と伝えたが理由は聞かれず、「あっそ。いつ?」で終わった。15日付けで辞めることに決まったが、その後私が仕事でミスしたことをキッカケに「今日で終わっていい」と言われて、予定より早く退職した。ミスる前から、その日の店長はいつもと違い別人のように静かだったので、会社から何か言われたことは明らかだった。いつもお気に入りのパートさんに喋ったり、バイトに怒鳴ったり、非常によく喋る店長が静かなのはおかしい。何を考えていたのかは知らないし、辞めた店のことなどどうでもいいけどね。

現在

そうして退職し、現在に至る。

こうして見ると、私の人生と心の中はまるでとても複雑な迷路をグルグル回っているかのようです。とても複雑な心境で日々を生きている。
自分が歩いてきた道、選んできた道は間違っていた……という後悔の念は今でもあります。
今歩いている道とこれから行く道について悩み、迷い、考える日々。未完成でダメな自分を許そうともがいている自分もいます。

だけど前向きに考えたいし、「死にたい」なんて思うのはとても苦しいのでもう思いたくない。そんな思いになるほど苦しい環境に身を置きたくない。だから落ち込まないように前向きに考えようと努力しています。そんな感じです。


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