【エッセイ】「家に帰りたくない」

 今、大学の図書館にいる。別にここは、居心地がいい訳ではないけど、特別悪い訳でもない。
 ふと、「家に帰りたくない」と思った。それがどうしてかは、分からない。ネットで検索してみると、僕みたいな一人暮らしで独身の男性が「家に帰りたくない」と思う理由の大半は寂しいから、らしい。
 自宅に帰っても誰もいない。迎えてくれる誰かがいない。今日一日のお互いを労い合う誰かがいない。電気の点いていない真っ暗な部屋に明かりを灯すのも、夕飯の匂いを漂わせるのも、全て自分から、自分のために、自分でやる。家に帰ると、そんな寂しさをまざまざと突きつけられる。あなたはそれに耐えられないでしょう? 要はこういうことらしい。
 でも僕が家に帰りたくない理由は、さっきも言ったけど、分からない。この漠然とした「反帰巣本能」は、別に寂しさに由来するわけじゃない。一人暮らしも長い。家に帰って真っ暗な部屋に潜っていくことも、誰もいない部屋で一人過ごすことも、すっかり慣れてしまっている。
 寂しさとは相対的な感情であって、他に誰かといたりすることによって寂しさが排除された、ある欠如から守られている状態がデフォルトになっている(あるいは、そうであると一時的に錯覚した)人間の感情だ。僕も寂しさがどんな感情なのかはもちろん知っているけど、一人暮らしも長いから、「家に帰ること」と「寂しさ」がすっかり結びつかなくなった。端的に言えば、「家に帰ること」が必ずしも「誰かの元に帰る」ことを意味するわけではない、ということがデフォルトである以上、「家に帰りたくない」と思う理由に、寂しさを挙げるのは納得し難い。
 それでもやはり、家に帰りたくない。なぜだろう。その理由は、今日一日のどこかにあるのだろうか。朝起きて朝食を食べて、部屋の掃除をし、昼食の後に学内のカフェへ出かけ、こうして今、図書館で帰りたくない理由についてネットで調べ、その結果出てきた「一人暮らしの独身男性」というカテゴリーに付与されたあるイメージに忠実なもっともらしい理由に満足できず、何か別の理由があるかもしれないと延々と考え書き連ねている。この一連の流れのどこかに、しっくりくる理由はあるだろうか。
 多分、その理由は、今日一日のどこかではなく、その全体にあるんだと思う。それは寂しさなんかじゃない。今日一日が退屈だったからなんだと思う。今日一日がいつもと変わらなくて、あるいは、今後も続いていくであろう「いつも通り」を攪乱するような何かが、何も起こらなかったからだと思う。
 そんなのいつものことじゃないか。毎日毎日、これから継続していくであろう「いつも通り」がかき乱されるようなことに遭遇していたら、それこそやっていけない。確かにその通り。君の言う通りだ。でも、今日に限っては、そんなことを期待してしまったのだ。そして、現にまだ期待しているのだ。
 だから僕は、今日一日の退屈の元を取れるような何かしらの「アクシデント」を探しているのかもしれない。家にいるよりも家の外の方が、そういう「アクシデント」に遭遇する可能性が高いと直感しているのかもしれない。ふと、「家に帰りたくない」と思ったのは、家の外で「アクシデント」に遭遇する未来を期待して賭けた結果かもしれないし、今日一日の退屈に嫌気が差していた心奥からの、最後の悪あがきだったのかもしれない。
 僕はこのあと家に帰るつもりだけど、その時に感じるのは多分、寂しさよりも軽い失望のようなものだと思う。ネットなんて、アテになりゃしねぇ。

 さあ、帰ろう。

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