マガジンのカバー画像

【連載小説】『晴子』

33
全33本
運営しているクリエイター

2022年7月の記事一覧

【連載小説】『晴子』1

【連載小説】『晴子』1

 晴子。これが私の名前だ。
 でも、私はこれまで、自分の名前に納得がいったことがない。厳密に言うなら、自分にこの名前が付いていることが、昔から腑に落ちないのだ。別に、晴子という名前自体に問題があるわけではない。晴れやかな子なのか、周りを晴れやかに照らす子なのかは分からないが、それでも、それを命名した者の祈り自体は理解できる。
 実際、これまでも私と同じ名前の人間とは何人か出会ってきた。彼女たちはと

もっとみる
【連載小説】『晴子』2

【連載小説】『晴子』2

「その傷、どうしたんだい?」
 ベッドの上であの人は、私の右手の傷を見つけて、そう聞いた。
「大したことないの。料理の時、ちょっと手が滑ったの。」
 嘘にしては、あまりにもどうでもよすぎる。本当のことを言っても、大して結果は変わらなかっただろう。
「気を付けなきゃダメだよ。」
 あの人は、私の右手をとって、傷のあたりを少し強く吸った。その感触が少しくすぐったかった。
「ダメだ。」
 口を離してあの

もっとみる
【連載小説】『晴子』3

【連載小説】『晴子』3

 あの人は、私の本当の名前を知らない。私が晴子だということを知らない。彼は私を麻美と呼ぶ。麻美という名前は、彼が名付けてくれたのだ。
 あの人と出会ったのは、先日例の変な男に絡まれたあのバーだった。季節は冬で、その日は風の強い日だった。日が出る時間も短く、昼で晴れていてもなぜか明るく感じない季節だった。
 仕事終わりに飲みに来ていた私は、いつものようにカウンターでカクテルを煽っていた。その日は何故

もっとみる
【連載小説】『晴子』4

【連載小説】『晴子』4

 仕事を終えて、今日はまっすぐ帰ることにした。あの人に会う予定もなかったし、気に入っていたあの店も、例の件があって以来、行きづらくなっていた。梅雨は明けて、昼には入道雲も見えるようになっていた。蒸し暑く汗も噴き出して、肌がべたつく。
 家に着くと、ストッキングを脱ぎ捨てた。こんなもの、ずっと履いていられるわけがない。私は、後ろに束ねていた髪を雑にほどいて、衣服を剝ぎ取っていく。シャワーを浴びた。気

もっとみる
【連載小説】『晴子』5

【連載小説】『晴子』5

 大学も敷地内禁煙なんかやめてしまえばいい。
 正門前で煙草をふかしながら、俺は正門から出ていく学生をにらみつけていた。といっても、俺も奴らと同じ大学に通っているわけだが。
 大学時代を人生の夏休みと言う馬鹿が世の中には多数いるが、大学生活なんて夏休みよりも退屈だ。授業は何一つとして面白いものはないし、課題だって上手くやれば簡単にちょろまかせる。レポートもテストも、暇な知り合いに頼むか、同じ授業を

もっとみる