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【連載】還らざるOB(3)

 彼らの勤めていた会社は、青山には似つかわないバンカラな社風の会社であった。
 野森はそこに十年ほど勤め独立した。社長となったのである。
 野森の妻が経理担当。ほかに従業員三名でスタートした。
 当時はバブル景気で大忙しだった。しかし、徐々に陰りが出始め、あのリーマンショックのとき、会社をたたむ決心をした。従業員の一人に会社を譲った。その会社が忙しいときには手伝っている。
 娘が二人いるが、上の娘が、国際結婚をして海外に住んでいる。野森は一年に最低一回は妻と海外の娘と子供に会いに出かけた。孫が可愛いらしい。
 社長時代の顔と、孫を見つめる顔はどうしてこうも違うものなのか。

  佐枝は東京で生まれ育った。それも、戦後のベビーブームの終わりかけに生れた。小さいころからお母さん子で、甘えん坊だった。
 佐枝の成長は著しかった。背丈が伸び高校時代は百八十センチメートルにもなった。
 新宿御苑界隈が行動範囲であった。結構やんちゃ坊主で、悪戯をしては大人に怒られていたようだ。
 高校時代のある日の夜、友達と新宿歌舞伎町で、酒の勢いでチンピラと大喧嘩をして、警察に引っ張られたことがあった。豚箱に一泊したが、泰然自若として一向に動じる気配がなかった。
 ほかの連中はおどおどして、情けない言動を繰り返した。一泊で帰してくれたが、このときのことが身にこたえたか、それ以来悪さから卒業した。
 彼が小さいころ、父親が他界した。そして高校時代、母親も病気で他界した。大層苦労したようだ。
 高校卒業後、その青山にある会社に入社して、配属になった部署に野森がいた。 彼の上司だった。
 毎晩のように青山や渋谷、新宿を飲み歩いた。清算は上司の野森がする。
 給料日ともなれば、飲み代の支払いに給料が消えてしまう。野森の妻の実家に生活費を工面してもらっていたのであった。当時は仕事と私生活が一緒で、先輩が後輩の面倒を看ることが、当り前であったのである。
 絆は強かった。その絆がその後、皆六十代になっても続いていた。

  新賀も九州男児である。
 高校卒業後、東京の専門学校を出て、その会社に入社した。
 野森と佐枝と同じ部署で仕事した。その部署に在籍中、海外出張で中東へ行った。帰りの飛行機で飲めない酒を飲み、酔いが回って気を失ってしまった。スチューワデス(当時)に大層世話になった。
 そして現在まで、その会社で働いていた。
 歌手のみなみらんぼう似の風貌でモテそうだが、それがモテないのである。
 世の中、不思議なこともあるものだ。

  田川は声が大きい。歌も上手い。演劇や芸能の道を行ったほうが良かったかもしれない。
 ギャンブル好きで、特にマージャンが大好きである。自宅にジャン卓を置いてある。
 世の中、道楽という道があるらしいが、彼はまさにそのギャンブル道を行く人間なのだ。
 その会社では入社当初、別の部署で仕事をしていたが、その後、その部署で皆と知り合った。
 世田谷生まれで、江戸っ子気質を地で行く。曲がったことが嫌いで気が短い。
 仕事はまじめで、現場では良く通る声で、まくし立てていた。
 酒は一滴も飲めないが、ウーロン茶を飲みながら飲んべい連中と同レベルで騒いでいる。
 江戸っ子は気風がいいというが、彼はそれほどでもない。

  信木はその会社に入る前は、航空自衛隊にいたが、どういう理由か定かではないがそこを辞め、その会社に入った。
 最近残念なことに奥さんを急性白血病で亡くし、またその後、義母も亡くした。
 彼はベトナムやカンボジアで建築関連の仕事をしていた。
 国内にいる時には仲間と合流し、飲み会や旅行に参加している。

  中田は青森の五所川原出身。寡黙な好男子であった。実弟は埼玉で警察関係(デカ)らしいのだが、身内のことに関しては語らない。
 それでいいのだ男は、と思っているようだ。

  小平は頭がいい。常に小脇に本を抱えて読んでいた。
 仕事をしていないせいか、毎日ジョギングは欠かさない。
 飲み会があるときは、自宅の杉並から錦糸町まで歩いて参加する。 
 昔は、東南アジアのある国に度々出かけていた。目的があったようだが。

  羽田は北海道出身、一見派手なようで意外とナイーブな面も持ち合わせている男であった。子供はいない。この中では面白い存在であるようだった。
 その会社に入社した当初は、なぜか大阪勤務となった。彼は高校卒業後、茨城県にいたことがあったので、大阪の茨木と茨城を会社が間違え、大阪配属に決めたのだろうと本人は皆に話していた。
 自分は世界的にも有数なエンジニアと自負しているが、四十代で管理職になってからは、人事のことや売上粗利のことなどが主な仕事になり、技術力は落ちてしまったと嘆いている。

  

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