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対等を気取る 謝罪 危険 盗人に追い銭 若さ喧伝の利権継承 難癖 陰謀論者は浅い 覇権 他

1、対等を気取る 
学校の勉強ができるけど教養がない人間は邪魔になる。
学校の勉強はできないが教養もない人間は有害になる。

対等を気取る人は、学校の勉強すらできない。
平等教育は、自分より下の人間を自主的に平等に扱う事だ。
自分より上の人間に平等を要求する事ではない。
対等を気取る奴は、ココを履き違える。
上から目線まで傲慢になる奴も存在する。
学校の勉強すらできない人間はココを履き違える。

自分より上とは、財力とか権力が上ではなくて、知能や経験や識見が上の事だ。
履き違える奴は、権力が上の相手にはペコペコする癖に、識見が上の人間には平等を要求する。

貴族が貴族として長続きするのは、国王が変わる度に国王の価値観に合わせて自分を変えられるからだ。
世間の価値観が変わった時の、世間の価値観に合わせて迎合できる。
庶民は、価値観を変えられないから貴族になれない。
世を愛してはならないと聖書にはあるけど、世間に迎合すらできない人間も存在する。
世間に迎合できないし、神に合わせる事もできないから、何だったらできるのか。「君、何だったらできるの」という状態になる。

自分より上の相手に対等を気取るなら、自力で何とかするしかない。
自分の判らない事があるなら、相手の方が知識は上なのだから、教えて欲しい時は尊重しなければならない。相手が何百時間・何千時間も勉強をしたのだから、その努力に敬意を表さなければならない。
他人の成果物を上から目線で無料で手に入れようという発想。
イラストレーターに無料で書かせようとする奴と同じである。

神の信者なら割と無料で教えてくれるけど、神の信者にも寿命があるから、反抗的な人間に時間を使うほど寿命は長くない。
神が人間の寿命を短くしたのは、こういう反抗的な人間に時間を使わないように仕向けるためだろう。
そして、反抗的な人間も改心するチャンスを短くして、早く改心しないと時間切れになると思わせる意味もあるのだろう。
ヘタに寿命が長いと「後でいい後でいい」と先送りするようになる。
イエス・キリストも、同郷のナザレの住民が反抗的だから、立ち帰る人は少なくなったし、治療する人数も少なかった。
神が人間の姿になったのがイエス・キリストだから、3年半の布教しかできないので、一か所に時間を使う暇はない。
人間には寿命が存在する事を理解すべきである。
寿命が存在する事を理解していないから、相手の時間を無駄にする。
自分の時間も無意味な犯行で無駄にする。

こんな人間でも、強制された教育に嫌々従っていれば、それなりの社会的地位になれる。労働力が目当てだから、性根なんか演技できればいいだけ。

学校の勉強は、勉強ではなくて、厳密に言えば取引である。
時間と引き換えに社会的地位を貰う取引だ。
学校の勉強を、学校で勉強と言われているから、本当に勉強だと思い込んでいるのだろう。自分の頭で考える能力が欠落している。
自分の頭でモノを考えられないなら、せめてあらゆる人に対して敬意を払う姿勢が必要である。教養のある人ですら他人に敬意を払っているのだから、教養のない人は他人に敬意を払わなければならない。
俺もリアルでは、それなりに上辺だけでも敬意は払っている。

理解できる人に説明しているのであって、理解できない人には説明していないけど、理解できない人はこんな事も理解できない。
大学生以下なら、教える方は教えるのが仕事だから、生徒の態度なんか気にしないで丁寧に教えるけど、社会人だと理解できない事を教えて欲しいなら、敬意を払った態度が必要になる。
対等を気取って説明を要求するなら自分で考えろ。こんな事も叱られないと理解できないのだろうか。対等を気取った時点で全て自力でやらなければならない。
自分に理解できない事があれば、まず自分が理解できていない事を言ってから、教えてもらうように敬意を払う必要がある。

何者の下に付く気がないなら、全て自力でやらなければならないし、丁寧な態度が必要である。
神の信者は天の主の下に付くから、努力は続ける必要はあるけど全てを自力でやる必要もないし、丁寧な態度もそこまで必要ではない。場合による。
神がこの世を創って食べ物などを与えたのだから、神の信者は自力で食べ物を揃えなくても神が与えてくれる。自力でやれるならやった方がいいけど、無理ならやる必要はない。

神の信者同士なら、互いに尊重はするけど、そこまで徹底した礼儀作法は求めないと思う。きちっとした作法は聖書には書かれていなくて、心構えぐらいしか描写されていないからだ。
一挙手一投足から表情に声の抑揚なんか全く書かれていない。
直立するとか、神にひれ伏すとはあるけど、食事の作法とかは細かく決まっていない。
異常に礼儀作法を細かく決めるのは、神のルールを守らないから、別のルールを守って安心したいからだ。

神の信者は、聖書に書いてあることが理解できなくても、とりあえずルールの通りに守ろうとする。

2、謝罪
理解できていないのに説明を要求する人間が存在するから、イラついて勢いで昨日から書いてしまったけど、申し訳ありませんでした。
謝罪はするけど、内容そのものは、そこまで撤回しない。
怒りは良くないと聖書に書いてあるから、とりあえず、怒ったことに対して謝罪している。
神が怒るなというのは、改善策に頭が回らないからだろう。

人生の改善策として、理解できていないのに対等を気取ると、相手を苛立たせるのは、覚えておいた方がいい。
人生の改善策として、自分が知っている事なんて、世の中の数億分の一もないと思うぐらいでちょうどいい。
神の信者なら、神の視点で物事を見通せるから、ほぼ全てが判る。ただ、最後の裁きの日は判らないし、そういうのは判らない。

神の信者なら、神に背いている者は対して挨拶しないで家に受け入れないだけで済ませる。
俺は、まだ神の信者を目指している最中だから、相手にしないで無視するという事ができなくてイライラしてしまった。

理解できていないのに対等を気取ると、助けてくれる人が居なくなるから、大した出世も出来ない。
だから、出世したいなら、無闇に対等を気取らない方がいい。
まあ、出世はサタン側が決めるから、一定の出世で頭打ちになるけど。

仲間内なら説明を求めてもいい。
突飛なユーモアの新ネタなら説明を求めてもいい。
しかし、普通に生きていたらタブーそうなモノだと判りそうなモノで説明を求めると、難癖人間と判断されて切り捨てられる。
だから、場合による。

神の信者なら、神が言うなら意味があると考えて、今の自分に理解できなくても神のルールに従う。

怒った事に謝罪したから、少し落ち着いて、理解できない人間の改善策が何となく出てきた。
怒ると相手のためになる事が言えないから、怒るなと神が言っているのだろう。
謝罪して、怒りが少し落ち着くと、昨日に気付かなかった事も気付いた。
怒りが少し落ち着くと、「物事を理解できない人のための改善策」という大事な事柄に頭が回るようになる。

警告しても従わないなら、後は相手の問題だから、俺の問題ではない。
相手の問題と自分の問題を区別すれば、怒らなくて済む。

3、危険行為
昨日から続いて、対等を気取る人について書いたのは、相手が危険な行為をしているからだ。
悪魔崇拝に近くて際どい行為である。

相手が危険な行為をしていて、その行為は危険だと警告しても、相手が従わないで、危険な理由の説明を要求してくる。
その危険行為は、確実に危険かどうかは断定できない。しかし、際どい危険行為は、ワザワザやる必要がない。ましてや、その危険行為をしなくても、他に何万種類も安全な代替行為がある。
だから、際どい危険行為をやめて、確実に安全な行為をしろと言っているのに、説明を求めるなら、後は自力で何とかして欲しい。

何十年も生きて、自分の行為が危険な事は、なかなか気づかないモノだと痛感した。
俺も聖書を読む前は、悪魔崇拝の行為があるのは、ネットサーフィンをやっていて何となく知ってはいた。しかし、危険な行為だとは認識できなかった。
世の中の99・99%の人は、自分が際どい危険行為をしていても、危険に気付かない程度の危機管理能力なのである。
そりゃエセ予防薬の薬害で8割の人が注射して後遺症に悩まされるわけだ。むしろ、よく8割で済んだなと思うレベルだ。

その行為をやめて、別の方法でいくらでも代用が利くのだから、さっさと素直に従って、別の方法をしたらいい。
変更がメンドウなら、もう知らない。後は相手の問題である。

こういう類の際どい危険行為をしている人間は、何万人でも何億人でも存在するから、1人に何時間も掛ける暇がない。
人間には寿命というモノが存在するからだ。
何で他の人間も似たような危険行為をしていると思わないのだろうか。
自分の人生を考えるなら、自分と同じ危険行為をしている人間が他に存在すると思ったら、気付いて人生を改善できる。

何でもそうだけど、こういう危険行為は、1人とか数人がやるなら助けてもらえる場合は有るけど、何千人何万人も一斉にやると、イチイチ助けていられないから、見殺しにされる危険性があるのは理解した方がいい。
赤信号をみんなで渡ると助けてくれる人が居なくなる。
自分が自滅行為をしていても他人が口出しをしないのは、自分の言動が正しいのではなくて、自滅行為をやる人が多すぎて、助けるリソースが足りないから叱らないだけである。
自分の人生を改善したいなら、この事実をしっかりと頭に叩き込んだ方がいい。
子供が1人で危険な遊びをしていたら叱って止めるだろうけど、何万人の子供が一斉にガソリンで火遊びをしていたら、助けるリソースが足りないから見殺しにするだろう。それどころか自分まで危ないから逃げる。
子供が1人で刃物を振り回して遊んでいても、危険だから逃げる人の方が多いだろう。自分が切られたり刺されたりしてまで、刃物の手を掴みに行って叱りつける人は、ほぼ居ない。

知能が低くても、道徳心があれば問題に気付く。
知能が低いのが問題に気付かない原因と、これまでの投稿で言ったかもしれないから、謝罪しておく。申し訳ありませんでした。

4、盗人に追い銭
詐欺師に騙されたのに詐欺師に縋る。
悪徳科学屋に騙されたのに、まだ悪徳科学屋に縋っている。
悪徳科学屋と詐欺師にしてみたら笑いが止まらないだろう。
盗人に追い銭のコトワザは、そのままの意味で、窃盗犯に対して更に金を投げ与える行為の事である。
こういうコトワザを知らないから、自分の行為が盗人に追い銭になっている事が判らない。
コトワザを知っていたら、そのコトワザの概念が頭の中にあるから、自分の言動が盗人に追い銭になっているかどうか気付くようになる。
コトワザの効果である。

5、若さ喧伝の利権継承
利権体質の若手継承者でしかない。
若さをアピールしているだけの利権屋カルトでしかない。
まあ、あの政党だと、ほとんどの候補者がカルトの操り人形かもしれないけど。

旧体制ですらない。
古いから悪いという考え方は、「新しさに訴える論証」でしかない。
新しければ何でも正しいと思考停止になっている。
新しいモノが正しい根拠はない。

今の日本は別に飢え死にする人が居ないのだから、どうでもいい足の引っ張り合いで政治が決まる。
世間が思う「汚い金を手に入れないと政治家に成れない」ようにサタン側が仕組みを作る。
そして、弱みを握って、いつでも潰せるようにする。

何も実力がないのに選挙に出て負けたら没落するに決まっている。
政党内の選挙では、負けても冷や飯食いをするだけで、落選で全て失うわけではない。
例え負けても党員として再チャレンジできる。

都知事選と同じで、マスコミが急に持ち上げて、下地を作るつもりなのだろう。
今まで何の注目もされていなかったのに急に出てきたから、カルトが裏でマスコミを支配して報道させているのだろう。

6、難癖
裁判の延期は、今は騒がしい他の事件があるから、ずらしたいのだろう。
裁判所が延期を選んでも選ばなくても、犯罪者を擁護する連中は難癖を付ける。
延期をしたら、犯罪者が勝てるから先送りにしたんだと勝利宣言する。
延期しないと、政治とかをかき回すためだとか難癖を付ける。
どちらを選んでも難癖を付ける政治家やマスコミが存在するだろう。

マスコミは自分で殿様商売を作ってしまったから、ぬるま湯で衰退して自滅した。

7、陰謀論者は浅い
「何でバレたのか」まで考えないところが表面的である。
昔、マルサを騙す方法で、ある程度の探し出せる餌をワザと作って、それで満足させて本命を隠すモノがある。
マルサがそれで騙されるかどうかは判らないけど、こういうやり方は結構、有効なのだろう。
陰謀論者も、一つ二つの陰謀を暴いただけで得意になって思考停止に陥って、それ以上の真実を探そうとしなくなる。
それでも、陰謀論者は、サタン側の数千数万の罠のいくつかは暴けるから、1つも暴けない人間に比べたらマシなのだろう。もしくは、中途半端と見なすべきか。

ある陰謀論者は、ある都市が世論操作の生け贄にされたと言う。
何で、1つの都市が世論操作の生け贄になったのだろう。
そこまで考えないようでは、陰謀論者は表面的でしかない。
世論操作の生け贄にするのが、その都市でなければならない理由は何なのだろう。
他の都市が、上手く犯罪を揉み消しているとは考えないのだろうか。
1つの事実を暴いたら得意になって思考停止になるのは、陰謀論者にありがちな思考回路である。「得意になる」部分が悪い癖である。
謙虚な人なら、常に考え続ける。
自分が暴いた事でも「なぜ」を追求する。

原因追及の動画を参考にすると次の通りになる。
広く考える。
深く考える。
見えている反対を考える。1つの都市が犯罪の揉み消しの悪行がバレたのではなくて、他の都市が犯罪の揉み消しが上手いと反対に考える。
最低でも5回は考える。
判らないなら、考えるのをやめて、動く。フィールドワークをする。証言を聞いて回る。
考えるのと動くのを両方するのが、考えるのが上手い人らしい。

陰謀論者は浅い。
陰謀論者は生き方が浅い。
自分との戦いをしていない。
他人と比べて自分が優れていると確認できたら満足して思考停止に陥るマウント癖がある。この「マウント癖」が「悪い癖」である。
他人を比べる生き方しかしていない。
自分自身と戦っていない。
聖書で「自分の道」「自分の十字架」という文言がたくさん出てくるのは、他人と比べるな、という意味も含まれている。

陰謀論者は、陰謀を論じているだけで、陰謀を全て暴く気がない。
他人へのマウントの道具として陰謀論を利用しているだけ。
他人と比較しているだけ。
何千何万の陰謀を作っているサタン側の悪行を全て暴く意識がない。
他人にマウントを取りたいだけだから、数個の陰謀を暴くだけで自己満足して思考停止に陥る。
何千何万の陰謀を全て暴いても利益を感じないのだろう。

仕事人みたいに原因を追究し続ける人でないと、全ての陰謀を暴くのは難しいだろう。
そういう原因を追究し続ける人は、そもそも出世して、陰謀論者にならなくても社会的地位が高くなって他人にマウントが取れる。
その出世も、サタン側が「原因を追究し続ける人」が陰謀を暴く生き方をしたら、サタン側にとって不都合だから、暴く生き方ができないように出世させているのだけど。
陰謀論者は自己満足の世界だから、自己満足とマウントをする人間は社会で使い物にならないから、出世できなくて、結局は陰謀論ぐらいしか他人にマウントを取れる手段がなくなるため、陰謀論にハマる。
神の信者なら、サタン側の悪行を全て暴くまで止まらない。

そんな陰謀論者でも、数個の陰謀は暴けているから、参考にはしている。
ただし、陰謀論者は、思想や価値観などの陰謀や洗脳に関しては弱いから、全く暴けていない。範囲が狭いのである。
陰謀論者は、他人にマウントを取れたらいいため、浅くても狭くてもいいのである。
スポーツを知らない人に対して、浅い戦術を聞きかじっただけでマウントして満足するスポーツ未経験者みたいなモノだ。

8、覇権
覇権の交代を歓迎している人は、自分が次の覇者からシワ寄せされないと思っているのだろうか。
創作だけど、敗者からの裏切り者を殺処分する勝者が描かれる。
どこぞのタックスヘイブンみたいに資産逃亡できると思うのか。
覇者が変われば、前の覇者はタックスヘイブンを黙認しても、次の覇者がタックスヘイブンを黙認するとは限らない。
何で、今タックスヘイブンを黙認している覇者を助けないで、タックスヘイブンを黙認するかどうかも判らない次の覇者の応援をするのだろう。
今、自分を殺していない権力者の応援をしないで、自分を殺すかどうか判らない次の権力者の応援をするのは、どういう思考回路なのだろう。

まあ、神の信者なら、どうなろうと、神のために殉教する事を選ぶから、覇者が変わろうが変わるまいが、どちらでもいいけど。
神の信者は、無駄に生きないし、無駄に死なないから、殉教以外で死なない。自然死とか病死とか事故死とか、それぐらい。
一応、神は時の権力者に従いなさいと言っている。

主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、
あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。

ペトロの手紙1 2章14節 新共同訳

従えとは書いてあるけど、助けろとは書いていない。
時の権力者を積極的には助けないけど、積極的に反抗しないし、消極的にも反抗しない。消極的には従う。
ただし、ダニエル書の3人のように、時の権力者が悪魔崇拝をするように命令したら従わない。

生き残りたい感情を持っていると必ず選択を間違えるから、神は命を惜しむなと言っている。

自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

マタイによる福音書 10:39

神の信者は主体性があるから、覇権がどこへ行こうがどうでもいい。
自分のやる事は変わらないからだ。
主体性のない非信者は、覇権の行方でイチイチ悩んで苦しむ。
主体性がないと、他人の言動や内心に対してイチイチ悩む。

安心できる社会は不要である。
神の信者は、言論の自由が有ろうが無かろうが、権力者が悪行をしたら糾弾する。
神そのものが安心の要因になるから、社会が安心材料を作る必要がない。

9、他

世間に褒められたくて、自分の好きなモノを我慢するのは、人生を台無しにするだけ。


仕事が辛いのではなくて、つらくない仕事をしている人が仕事の愚痴を言わないから、仕事が辛い人の話しか出てこない。


建物を目印にして運転すると、建物を取り壊されると、目測を誤って、交通事故になるのだろうか。


戦争と不倫に何の関係があるのか。
戦争と不倫を結び付けて何を企んでいるのか。
どうせロクでもない事だろう。
創作者や論者の悪い癖なんだけど、自分が最初の一人になりたがる。


全ての土地は神のモノだから、どこかの国のモノではない。


竜はサタンの象徴だから、竜の漢字が入っているモノには、あまり近づかない方がいい。
いくらでも改名できるのにしないのだから、自己責任である。
滝とかも竜が入っているから、滝で遊ぶと死ぬ危険性がある。

G
死人に口なしをする奴は、英霊を政治利用して負ける戦争へ暴走する。

武士の話でも、死人に口なしで捻じ曲げ放題する。
武士そのものが存在したかどうかは怪しいけど。
死んだ人間の経歴をアレコレ捻じ曲げるのは、死人に敬意を払っていない証拠だ。

死人に対して敬意がないから食い物にする。
聖書では、死んだ者に死んだ者を弔わせなさいとあるけど、死人を食い物にしてもいいなんて言ってない。

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