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投資は人の金で 迷惑 最後の日 結婚で非信者の父の許可は不要 愛 聖書の優先順位

1、投資は人の金で
投資は不正で金を盗まれる。
サタンが権力と繁栄を与えるのだから、利殖で儲かるのも繁栄だから、サタンが都合でコントロールしてくる。

他人の金で投資をすべき。
聖書でも、自分の金で投資をしている描写はないと思う。
タラントの話なら、主人が家来に金を与えて利殖させているから、他人の金で投資をすべきであって、自分の金で投資をするかは判らない。
聖書で家畜を繁殖させるのは、しょっちゅう出てくるけど、家畜の繁殖は土地の広さが上限になるから、青天井で利殖できるわけではない。
金で利殖をすると、無限に利殖できてしまうから、実体経済がマネー経済によって破壊される危険性がある。
だから、聖書では、貸した金を7年ごとで帳消しにしてあげなさいとか、気前よく貧困者に援助してあげなさいと書いてあり、マネー経済が暴走しないようにしている。

メンタルコストの負担が大きいし、個人差もある。
メンタルコストとは、投資で心配してストレスになって精神をすり減らす状態の事。
財産が2倍になっても3倍の苦労をしていたら、損をしている。
個人差が大きいため、自分の才能を私物化している。
他人の金で投資をして稼ぐなら、才能を平等に分配しているからいいのだろう。
自分の精神力が鈍感なら、たいていの場合、失敗するだろう。
むしろ精神力が強いなら、どうして私物化するのだろうか。強い精神力をそんな事に使うのかと思う。
強い精神力を持っている人の時間をドブに捨てるために、サタン側が利殖の罠に引きずり込んでいるのではないだろうか。

自分の時間と精神力がタダと思っているなら、いいように精神をすりつぶされる。
自分の健康をタダと思っている人は、薬害に遭う。
投資のストレスで人間関係が悪化したら、どうやって補うつもりなのだろうか。

体力だけある人間なら、投資の資金を肉体労働で稼げるけど、投資の勉強ができないなら、投資をしない方がいい。

自分の金になると冷静さを失うから、他人の金で投資をした方がいい。
タラントの話で主人が家来に利殖させるけど、主人は他人へ貸した金をチャラにしたり、貧困者を助けるために使うから、自分の金と思っていないから冷静に利殖できるのである。

2、迷惑
自分の行為が他人に迷惑を掛ける事が判らない人間。
神を信じれば、人に迷惑を掛けない。

人に迷惑を掛ける人間は、無意識でサタン側の癇に障る言動をしてしまうから、切り捨てられるのだろう。
権力者・有力者・有名人が時々変なタイミングで没落するのは、サタン側の癇に障る言動をしてしまったからだろう。

3、最後の日
夢で見た事だけど、都会から何千万発もの火が飛び立って周りに衝撃を及ぼす。
手積みのいびつな石のピラミッドに当たって、割れて、中の仏像みたいな悪魔崇拝の像が現れて、その像の頭にも当たって、その頭がもげて左右に水平移動する。
こぶし大のミジンコみたいな肉の塊が大量に発生する。

4、結婚で非信者の許可は不要
父親が神の信者ではないなら、結婚で父親の許可は要らない。
信者ではない人間と挨拶をしてはいけないし、受け入れてはいけないのだから、結婚相手を持ってきても受け入れてはいけない。
旧約聖書で、神を信じない異邦人と結婚してはいけないと書いてあるから、神を信じない人間が結婚相手を連れて来ても結婚してはいけない。

この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

ヨハネの手紙二 1:10

5、愛
聖書で愛とは、一緒に天国へ入る事である。
愛するとは、一緒に天国へ入れるように、神の教えを守るのが天国へ入る方法だと教え諭しなさい、と言う意味になる。
たとえ相手が敵でも、一緒に天国へ入れる事を喜びなさい、という意味である

人間の勝手な愛は、無条件で甘やかすとか、存在を認めるとかだから、そういう愛は存在しない。ここの文節だけ徒愛(とあい)とでも名付けて、この文章で説明しようか。偽愛だと少し違う気がする。
物理的に徒愛される事象はない
他人に徒愛される事はない。
神に愛されるから、十分である。
神は愛し合いなさいと命じる。

ヨハネによる福音書 13:34
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書 15:12
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
ヨハネによる福音書 15:17
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
ヘブライ人への手紙 13:1
兄弟としていつも愛し合いなさい。
ペトロの手紙一 1:22
あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。
ペトロの手紙一 4:8
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。
ヨハネの手紙一 4:7
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。


神が愛し合いなさいと言っているから、信者は一緒に天国へ入れるように「諭す愛」をする。
他人が非信者で、コチラも非信者なら、非信者のコチラを愛する事も徒愛する事もない。
他人が非信者で、コチラが信者なら、信者のコチラを愛する事も徒愛する事もない。なぜなら、非信者の愛は愛ではなく、自己中な都合の徒愛でしかないからだ。
相手が信者なら、非信者を徒愛する事はないし、愛する事はあるか。非信者が神に立ち帰る方向へ働きかける愛があるから、愛している事になるのだろう。
相手が信者で、信者のコチラを徒愛するというよりも、神の目があり、信者同士で励まし合い、信者同士で愛し合う様に神が命じるから愛し合う事が可能である。

事象とは、現実に起きる出来事を指す。
「非信者から愛される」という現実に存在しないモノを追い求めるから、幸せになれないのである。
「非信者から愛される」というこの世に存在しないモノを欲しがると満たされなくて不幸になる。
「信者から愛される」なら、この世に存在するから求めれば満たされる。
神から愛されている事実を知れば、幸せになれる。

神に愛されているのだから、自分探しなんかする必要はない。自分探しは有害である。
サタン側は、人々に自分探しをさせる。
人々が、神に愛されている事に気付かないで神に背いて地獄へ落ちるか、神に愛されている事に気付かないで自分探しをして地獄へ落ちるか、どちらかへミスリードするのがサタン側の罠である。

サタン側の罠は何千何万とあるから、一つ一つ説明して忠告しても間に合わない。一応、気付いた罠については書くけど。
神に気付いて信仰したら、サタン側の何千何万の罠を全て見破れるから、

6、聖書の優先順位
旧約の神とイエス・キリストは同一人物だから、旧約で神が言った事はイエス・キリストも言っている事になる。
預言者や使徒が言う事も、神の言葉を代弁しているかもしれないけど、優先順位は下がる。
神が直接的に言う事が優先されて、使徒や預言者を介して言う事は優先順位が下がる。
なぜ、こんなややこしい事をするのかといったら、神の言う事でも優先順位を付ける必要があるからだ。

また、神が言う事よりも、神が行う事を優先する。
イエス・キリストは、直接的に万民を愛しなさいとは言っていないけど、行動は全ての人を愛している。
隣人を愛しなさいとも言っているから、全ての人を愛しなさいと言っているようなモノである。
神は正しい者にも正しくない者にも等しく恵みの雨を降らせるから、平等に恵みを与える必要がる。
悪人に偏って恩恵を施してはいけない。
悪人だろうと善人だろうと同じ量の恵みを与えるだけである。
人生がマイナス100の悪人だろうと、人生が20の善人だろうと、同じように10の恩恵を施すのが平等である。
しかし、貧乏人・未亡人・孤児は無条件で援助する必要がある。
イエス・キリストは、万民を愛せよとは言っていないけど、神は平等に恵みの雨は降らせる。
そして、万人を救うと書いてある。

ルカによる福音書 2:31
これは万民のために整えてくださった救いで、

古い契約よりも新しい契約が優先される。言う事よりも行う事が優先される。神の言動が優先されて、使徒や預言者の言動は次点である。

主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、

ペトロの手紙一 2:13

ペトロは制度に従いなさいと言葉で言うけど、ダニエル書の3人は悪魔崇拝をする制度に従わない行動をしたから、神は3人を炎の中で燃えないように助ける行動をした。
だから、新しい契約のペトロの言葉よりも、旧い契約の3人と神の行動が優先される。
悪魔崇拝以外の制度には従うけど、悪魔崇拝の制度には従わない優先順位になる。

イエス・キリストは、冤罪で人類の罪を背負ってくれたから、神が完璧であるように完璧な者になりなさいとあるため、人類の罪を背負って殉教するのが信者の務めなのだろう。

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