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謝罪 犯罪の覚悟 短命化の幸せ 子を守る意識の欠落 人間の生き方が獣の刻印 ナアナア

1、謝罪
創世期の楽園追放で、女の声に従うのが男だと書いてある。
しかし、女と解釈するのではなくて、妻と解釈するのが正解かも。
妻は発言権と決定権はあるけど、責任を背負わなくてもいい。
前に「女は責任を背負わなくていい」と書いたけど「妻は責任を背負わなくていい」に訂正する。
申し訳ありませんでした。

2、犯罪の覚悟
犯罪者が糾弾されて開き直ったりするけど、それは犯罪をする上での覚悟が欠落している。
犯罪をしたら、世間から袋叩きにされる現実を理解できていない。
だからと言って、覚悟があるから犯罪をしてもいい理由はない。
覚悟がないから、犯罪者として扱われたらどうなるのか判らないため、軽々しく犯罪をしてしまう。

犯罪者になると、他の犯罪者と一緒くたに扱われるから、他の犯罪者の言動で足を引っ張られる人生になる覚悟をしないといけない。
聖書では、他人の罪を背負わせてはいけないと書いてあるから、信者なら犯罪者の罪を別の犯罪者に擦り付けない。しかし、信者ではない世間は、当たり前のように擦り付ける。
それどころか世間は、偽装キリスト教団の悪行を本当のキリスト者に擦り付ける。
偽装キリスト教団が世界中で行った虐殺を、キリスト者がやった事のように捻じ曲げる。
世間は、偽物の悪行を、本物の悪行だと決め付けて擦り付ける。
世間は、A人の悪行を、B人の悪行だと決め付けて擦り付ける。
世間は、犯罪をしていない人間に濡れ衣を着せるから、本当に犯罪をした人間を迫害するのは当たり前である。
そのくせ、強者の悪行にはダンマリなのが自己保身の世間である。
聖書では、裁判で弱者を依怙贔屓してはならない、強者に媚びてはならないと書いてある。

あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。

レビ記 19章15節 新共同訳

普通の人は、犯罪しないし、犯罪自慢もしない。
普段の犯罪者は犯罪自慢をするくせに、糾弾されるとダンマリになったり、開き直る。
犯罪自慢の過去の発言が原因で蹴落とされるのは、タダの自業自得である。

犯罪者同士で庇い合ったり、犯罪をしたくせに無罪を主張する言動そのものが、犯罪者を排除する方向へ動く原因になる。
犯罪を開き直るような奴らなんか排除するに決まっている。
神の掟を破って開き直るような背教者は、天国から排除して入国させないのは当たり前である。

世間は、濡れ衣を着せるような論理だから、神は聖書で「世を愛してはならない」と書いた。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

ヨハネの手紙1 2章15節 新共同訳

3、寿命と娯楽
人間の寿命が1000年ぐらいあったのが、神が120年に縮めたのは、長生きしすぎると逆に神から離れてしまうからだろう。
娯楽や人生が100年ぐらいで飽きるから、そこから暴走して、犯罪をしてしまうのだろう。
100歳になったら、体力が完全になくなるから、その年齢から犯罪を新しくしようなんて思わないだろう。
神が人間のために寿命を短くして、老化するように変えてくれたのは、神の慈しみである。

サタン側が洗脳するための屁理屈を並べるから、どうしても娯楽の幅が狭くなって、飽きるのが早くなる。
あと、創作の作品の中に、悪魔崇拝を無理やり潜ませるから、表現の幅も狭くなるから、余計に飽きやすい。
思想や思考回路も悪魔崇拝をするように仕向けるから、特定の方向性しかないため、多様性が狭くて詰まらなくなる。

4、子を守る意識
聖書を読んでいない先住民は、子供を守る意識が欠落しているから、子供が虐殺されても意識すらできないのだろう。
人間を生け贄に捧げるぐらいだから、人間を守る意識そのものがない。
人間を守る意識がないのだから、子供を守るわけもない。
そもそも、子供が存在する現実を認識できない。
神を信じないから、神が創った現実を認識できない。
中世ヨーロッパの人々は、偽装キリスト教が蔓延していたから、子供の事を「小さい大人」と思い込んでいた。
子供の存在を認識できないのだから、子供を守れない。
そこに存在していると認識できないなら、守る事はできない。

存在しないモノを存在すると妄信すると空回りする。
存在するモノを存在しないと妄信すると無気力になる。

聖書には、親の罪を子供に背負わせてはならないと書いてあるから、神を信じる信者なら子供に人格がある事を認識できるため、子供を守る意識も成立する。
神を信じたら、子供が現実に存在すると認識できる。

サタン側は、子供を生け贄にするから、子供を守る意識を人々が持たないように洗脳する。

5、自分がない
昨日「人間と人生が存在しないからゴールもない」と書いた。
人類は存在しないから、サタン側が人類・人間の存在を捏造して、人々に人類が存在すると洗脳して惑わす。

自分がないという話も、人間がそもそも存在しないのだから、自分もないのは当たり前だと思う。
自我もないし、自意識もない。
神を信じたら自由になるのは、神を信じないと何もない状態の存在から、神を信じる存在になれるからだ。
人間は存在しないけど、信者は存在できる。
神は、信者に成れるように環境を整備してくれた。
信者に成るか成らないかを選ぶのが、神が用意したこの世の試練である。

存在しないモノを存在すると妄信すると空回りする。
存在しないモノを存在すると妄信するのも悪魔崇拝かもしれない。
サタン側が捏造した概念を妄信すると悪魔崇拝になる。

6、間違った人生
人生は存在しないのだから、ゴールも存在しない。
人間が存在すると思い違いすると、苦しみ続ける人生になる。

間違った知識をサタン側に洗脳されると思考停止になる。
間違ったゴールを設定させられていると思考停止になる。
間違った前例を正しいと思い込んでると思考停止になる。

信仰のない人は暴力に屈する。
ゴールがないから暴力に屈する。
ゴールを間違えているから暴力に屈する。
殺されないのがゴールという間違ったゴールを設定するから屈する。
信者なら、ゴールは殉教だから、暴力に屈しないで、むしろ相手に自分を殺させる。
サタン側は、殺されないのがゴールという間違ったゴールを洗脳して、人々が暴力に屈するように仕向ける。
サタン側は、殉教以外の間違ったゴールを人々が目指すように洗脳する。
サタン側は、地獄へ道連れにするのが目的である。
サタン側は、暴力で脅して、人々に悪魔崇拝をするように強制して、地獄へ道連れにする。
だから、神を信じないと自由がなくて、神を信じると自由を得られる。
神を信じないと、サタン側が暴力で脅迫してくる。もしくは、利益で釣ってきて、利益に支配されて自由がなくなる。

7,獣の刻印
天の主が創造した「信者の生き方」を選ぶか。
サタンが捏造した「人間の生き方」を選ぶか。
人間という概念を捏造したサタン社会で生きるのは、獣の刻印だ。
薬害の被害に遭うのも、サタン社会の出世コースから外れるのを惜しんだ結果である。

8、騙されかまってちゃん
何回も薬害注射を接種する人は、かまってちゃんなのかもしれない。
親が何回も注射して、やめるように言っても聞かないのは、注射すると子供が構ってくれるから、嬉しくて注射してしまうのだろう。
寂しい老人が詐欺師に騙されるのは、話してもらえて嬉しいからだ。
どの道、こういう人は、何らかの詐欺に騙されるから、金と命を失う結果に変わりはない。
だから、妙な液体の薬害を止めさせる事ができなくても、気に病む必要はない。
例え、薬害を回避できても、別の詐欺に引っかかって、金と命を失う。

神に立ち帰った人が詐欺師に騙されないのは、寂しくないからだ。
神がいつも見守っていてくれるから、寂しさを感じないため、寂しさで詐欺師でもいいから話をしたい気持ちにならない。
人間には、誰かに見ていて欲しい気持ちがある。
神に気付かないと、見られたい欲が満たされなくて、いつも欲求不満になって、何にでも縋りつくようになり、騙されてしまう。

神に見てもらって満たされた信者同士で結婚すれば、互いに束縛しないで、パートナーとして共に神に仕える生き方ができる。

カルトに騙される人は、配偶者が毒になる人間だから、カルトへ逃げるのだろうか。
俺の毒親も、毒親が原因で、もう片方の親が精神病になるような状態だから、もう片方の親がカルトへ逃げてしまっている。
多分、毒親が聖書だけは大反対して止めさせたから、もう片方の親はカルトの神道や仏教ばかりやっていたのだろう。

9、馴れ合い
何で芸能界全体が潰れるから性加害の根絶に取り組んではいけないのだろうか。
全員が犯罪をしているなら、全員を懲罰すればいいだろう。

一国の一業界の一部の犯罪者を全て糾弾できないのに、人類の犯罪者を糾弾できるだろうか。

別に芸能界が潰れる心配なんかしなくていい。
どうせ、こいつらは、ナアナアで潰せないで残すから。
世間の大多数は、ナアナアだから潰れない。

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