聖書でして良い一覧 人生のルールブックの聖書を読めば、余計な我慢も無くなる
聖書を読んで判ったことは、しなくていい我慢を、サタン側に強いられているという事だ。
1、化粧
化粧にしても、禁止されているのは、瞼(まぶた)を黒く塗りつぶしたり、顔に濃いグラデーションを塗る濃いものだけ。
エノク書に書かれていると思うけど、どうにも自信が無い。旧約外典のどこかには書いてあると思う。
眼の淵を黒く塗るのは、多分、大丈夫だと思う。
聖書箇所のエゼキエル書を解釈した。
「目にくま取りをし」だから、淵を細く塗るアイシャドウみたいなものだろう。
瞼(まぶた)を黒く塗りつぶすようなものではない。
「彼らは皆、好ましい男たちで、知事、長官、指揮官、戦士、全て馬に乗る者たち」と書いてあるから、強者の立場なのだろう。
「彼女は彼らのために」と書いてあるから、神を信じないといけない立場の者は、背教集団の中でも強者の立場の男に、こういう化粧をしてはいけないのである。
つまり、背教集団の中でも強者の立場の男に、目のくま取りを見せてはいけないという意味になる。
背教集団の中でも強者の立場の女には、化粧を見せても良い。
だから、背教集団の中の弱者には化粧を見せて良いし、敬虔な信者を相手に化粧を見せても良い。
2、ファッションや服飾
金の環や金の鼻環を結婚の結納品みたいにする。
エステル記でもエステをする。
ファッションは、そこまで厳しくない。
3、男同士の性交だけ禁止
男同士の性交は禁止。
男同士の結婚は不問。
女同士の性交は不問。
女同士の結婚は不問。
聖書を読まないと偽装キリスト教団に騙される。
入れる方が若干だけど罪が重くなると思う。
18章では入れる方だけが悪いような書き方をしているから、
4、離婚
普通に聖書の中でも離婚している。
相手が婚外性交したら離婚して良い。
相手が不貞を働いたら離婚して良い。
相手が不品行(不貞・婚外性交)をしたら、不品行をした妻を出して(離婚)他の女を娶るのは、別に構わない。姦淫を行っていない。
5、死別再婚は自由
生別再婚と混同してはいけない。
むしろ、レビラト婚など、死別再婚は奨励されている。
6、娯楽も普通に楽しむ。
娯楽の中身が悪魔崇拝とかでなければいいだけ。
大抵の娯楽がサタン側の資金が入っているため、外から見ると全ての娯楽を避けている様に見えるのだろう。
悪魔崇拝の一覧リストで書いたような娯楽でなければいい。
球体地球や銀河宇宙を舞台にすると神を冒涜する。神はフラットアースのこの世を作ったから。
クリスチャンのくせに、球体地球を信じるニセ信者が居る。
7、音楽も聴く
ジャズ・ロック・メタル・ボサノバなどの悪魔崇拝でなければいいだけ。
歌詞が聖書に反するようなのでなければいいだけ。
聖書を読まないとどの歌詞がダメか判らないだろう。
音楽は聖書で色々と演奏している。
ダビデの作った歌は、歌劇みたいに演じられているのだろう。
聖書の詩編は、どう考えても、歌劇形式としか思えない。
8、ダンス
普通にやっていい。
ダビデも踊った。
聖書に色んな人が踊る場面がある。
悪魔崇拝ではないダンスなら何でもいい。
9、酒
酒は酔いつぶれなければいい。
アルコール分解能力による。
イエス・キリストがぶどう酒を振る舞う場面がある。
10、タバコ
特に禁止ではない
11、避妊
神が胎を閉じて妊娠できなくする場合もある。
オナンは、レビラト婚の義務を果たさないから、神が怒っただけであり、避妊したことを怒っているわけではない。
オナンは、遺産の分配を嫌がって避妊したから、神が怒った。
追加 6月3日
11・1、オナニー
自慰に怒ったのではなく、遺産の分配を嫌がったオナンに対して、レビラト婚の義務をしないオナンを罰した。
12、自由恋愛は可能
自由恋愛は、やりようによっては可能。
以前に書いたところに詳しく。
13、一夫多妻
以前に書いたけど、聖書は9割以上は一夫多妻制だと思う。
14、変装や仮装
以前に書いたけど、大丈夫。
悪人が身を隠すのでもなければ良い。
14、人間の権力者を批判
以前に書いたけど、批判して良い。
天の主は、人間が作った制度に従えとは言っているけど、批判してはいけないなど書いてない。
15、夢判断
以前に書いたけど、聖書で夢判断をしまくっている。
預言者に幻という夢を見せて、その内容を人々に教え伝えろという話が何回も何十回も出てくる。
イチイチ引用する気にもならないぐらい出てくる。
16、食べてはいけないものは特にない
血や人肉がダメなだけで、それ以外は特に禁止されている食物はない。
17、ポルノ
多分、ポルノはほとんど大丈夫。
「他人の妻」だから、既婚女の事だ。
誰が見るかというのに生別の男女が描写されてないから、多分、男限定の禁止なんだろう。
聖書では、性に関することで性別が描写されてないと、まず男だけが守るべきルールだと思っても良い。
女の性に関する話なら、きちんと女という描写が出てくる。
だから、「男が他人の既婚女を情欲で見ると、心の中でその女を犯した」事になる。
だから、女が他人の既婚女性を情欲で見ても、特に問題はない。
そもそも、女同士の性交は不問である。
男が他人の独身女を情欲で見るのは、別に禁止ではない。
だから、ポルノはほとんど問題が無い。
モデルが既婚女でもない限り。
既婚女であって、処女かどうかは問題ではない。
既婚女だと認識できなかった場合は、問題はない。
ただ、内容が悪魔崇拝だったらダメだけど。
自分の体で他人の体と性交しないなら、大抵は大丈夫だと思う。
男色でも、寝なければ良いだけで、見る分には不問だと思う。自信はないが。
どうしても不安なら、しなければいい。
もしくは、自分で聖書を読んで自分で解釈するか。
18、児童ポルノは禁止だと思う
乳房が無い年齢だから、何歳かは人の成長による。
多分、12歳だと思う。
少女に関しては12歳という年齢が聖書に出てくる。
12歳が何らかの節目なのだろう。
昔の事だから、数え年だろう。
だから、満年齢なら11歳で、実年齢だと10歳になる。
0の概念が発明されたのは、インドの6世紀ぐらい。
新約聖書は、ゼロが発明される何百年も前の話。
不安なら見なければ良いだけの話だ。
あくまでも、俺の解釈というだけ。
男の方の年齢は判らない。
男は、何歳でも良いんじゃないのかな。
実年齢5歳(ヨアシ数え年7歳)で王になったとかいう話も出てくるし。
そもそも、聖書の雅歌では「妹」年下の女に関する事だけで、男の年齢に関しては書かれていない。
そもそも、母親が子育てするのに、裸も見ないでどうやって子育てをするつもりなのか。
父親の子育ては、娘の裸を見ない範囲ですればいい。
ただ、あくまでも妹だから、娘ではないと思う。
18・1 追加 6月18日
結婚年齢に関しては、結婚と子作りと性交は区別する必要がある。
家同士の結婚だから、両方の父親が同意する。
結婚しても、子作りの年齢は別だし、性交の年齢も別である。何年後になるかは、成長は個人差がある。
19、他人を戒めるのは、しても良い
我慢が美徳というのは完全に間違い。
相手の加害を許すのは、率直に戒めてから。
率直に戒めないで、相手の悪行を許すと、彼の罪を負うことになる。つまり、同罪になる。
我慢した上に地獄へ道連れにされるという、踏んだり蹴ったりになる。
聖書を読まないから騙される。
悪口がいけないと思っているなら、適切な批評と思え。
我慢が美徳とは、完全に間違った価値観だ。
サタン側の罠だ。
我慢が美徳と抑圧されて自由が無くなる。
むしろ、言わなければ罪を背負う。
一方的に警告するのは良いどころか、積極的に言い放て。
エゼキエル書に書いてある。
戒めても相手が改心しないなら、加害は許して裁判しないけど、、挨拶しない。
以上で、俺が聖書を読んで解釈したリスト。
あくまでも俺の解釈だから、不安なら自分で聖書を読んでほしい。
また、新たに加わるかもしれない。
A、私と一緒に集めない者は、散らしている
「わたしと一緒」とは、神ルールに合った考え方のこと。
だから、神ルールから逸脱した「必要以上に厳しい節制」は、人々がウンザリして逃げてしまうから、「散らしている」のと同じになる。
「キリストの教えを越えて、これにとどまらない者」とは、神ルールを越えたり、外れたりする「異常に厳しい教団ルール」を作る人たちの事だ。
「厳しくすればええやろ」という安易な「自分の考えに頼って」身勝手な自分ルールを作るのは、神が怒る。
B、偽装キリスト教団はサタンの手先
「権力と繁栄」を悪魔であるサタンに任されているから与える。
そのため、当然、国の権力者だけではなく、宗教団体も同じである。
手の働きや労働で生み出していない権力や繁栄や収入や財産は、全てサタンの与えたものである。
だから、宗教団体は全てサタンの手先だ。
そのサタンの手先が作った「異常に厳しいルール」も、当然、サタンが作らせて人々を地獄へ道連れにするための罠である。
C、ブラック企業もサタンの手先である。
サービス残業で給料を支払わなかった経営者は、死んだ後、最後の審判で、一人で天の主を相手に自己弁護しなければならない。
カインに殺されたアベルの血が叫び声をあげて、カインの子孫が死に絶えるまで神が罰を下した。
乱交で生贄にされた赤子が証言して、両親を懲罰してくれと神に頼んで、神は応じて両親を地獄へ責め苦で痛めつける。
人間の大人ではないから証言できないという考え方は、天の主には通じない。
D、セカンドチャンスなど存在しない
罪を犯す人の思考回路は何だろうか。
何で、神を知ろうとしないのか。
多分、セカンドチャンスという思考回路がダメなのだろうな。
神を知らなくて罪を犯しても、生きているうちに神を知って、聖書を読んで、反省して、立ち帰って、二度と神に背かなければ、過去の罪は許される。
しかし、死んでからセカンドチャンスなど無い。
生きているうちに反省したら許されるチャンスがいつでもあるのだから、死んだ後のセカンドチャンスなど存在しない。
死んだ後にセカンドチャンスがあるなら、「生きている間に反省して許されるチャンス」の意味が全くなくなる。
一生、神を知らなければ良いだけの話になってしまうから、神を知る必要性が無くなってしまうから、神を知ろうとしない。
セカンドチャンスなど、ただのインチキであり、サタンの手先が作った罠であり、人々を地獄へ道連れにする策略だ。
E、スポーツでも
スポーツでもルールブックを読まないと損をする。
どんなプレイがギリギリで許されるか判らないから、委縮したプレイになる。
どんなプレイが許されないか判らないから、ルール違反を知らない間にしてしまって、罰を受ける。
人生のルールブックは聖書だ。
読まないと、どんな言動がぎりぎり許されるか判らないから、委縮した生き方になる。
どんな言動が許されないか判らないから、罰を受ける。
しかも、人生の場合だと、死んだ後で罰が確定してから、ようやく自分がルール違反していた事実に気が付く。
スポーツならルールブックを読むのに、人生のルールブックである聖書は何故か読まない。
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