主は人間の権威に従えと言うけど、批判するなとは言ってない。
自称使徒パウロの言葉 ローマへの手紙
自称使徒パウロの言葉 テトスへの手紙
本当の使徒ペトロの手紙
1,ここから自分の解釈
批判はする。逆らうと批判は別だ。日本人はおかしなところがあって、0か100かでしか判断できない。従うなら、一挙手一投足から内心まで全て絶対服従するという、頭のおかしい結論になる。
聖書箇所を解釈したら、従いはするけど批判もするという結論になる。ましてや、皇帝や有権者が神に逆らうような言動をしたら徹底的に糾弾するのが当たり前になる。
なぜなら、人間権力者に従えと命令したのは神なのだから、その人間権力者が神に背いたら、神の「人間権力者に従え」という命令は取り消しになる。これが本来の解釈になる。
神が人間権力者に従えと命令したから、人間権力者に従うだけだ。もし仮に、神が人間権力者に従うなと命令したら、人間権力者には従わない。人間権力者の存在とは、その程度の存在なのである。
また、天の主が人間権力者を潰せと命令したら潰す。神が受け入れるなと命令したら売れ入れない。神が追い出せと命令したら追い出す。人間権力者とは、この程度の存在なのである。
このようにキリストの教えは、人間権力者のカリスマ性を崩壊させるから、日本では徹底的に弾圧された。だけど、神に敬虔な権力者なら加護を与えられて連戦連勝になり、カリスマ性は巨大なものとなる。
2,どうなることか
民主国家だろうが独裁国家だろうが、同じように対応すると思うよ。まあ、なってみないと判らないけどな。日本も全体主義者たちがやりたい放題やっているのが二十年前三十年前からなっているし。
そのうち、独裁国家みたいに一党独裁になるんじゃないかな。ただ、そうなったとしても、俺みたいな完全に聖書の観点からの批判だと、見て見ぬ振りされそうだけどね。ほとんどの国民は背教者だし。
ソロモン王の時代でも臣民の99・9%は保身で従っているだけのニセ信者だからね。日本人の99・9%は背教者だから、聖書の観点からの批判しかしない人間なら、捨て置いても支配体制に影響はないのだろう。
聖書以外で批判する必要性があるのだろうか。たとえ、中国や北朝鮮とか、他の全ての国で同じような聖書による批判をしても、基本的にほっとかれるだろうね。国民の99・9%は背教者だからだ。
どの道、聖書の観点から、政府の背教的な言動を批判しても、背教国民は聞こうともしない。国民自身も批判されるからだろうな。国民の99・9%を悪人という扱いで断罪するのと同じだからだ。
安全と言えば安全なんだけどね。天の主が守ってくれるから。こういう風に人間権力者に捨て置かれるという状況も、天の主が敬虔な信者を守るために作ってくれたシステムなのだろう。
訂正 4月28日
政府の背教行為で権威は無効になったとは書いたけど、実際は、ちょっと良く判らない。
とりあえず、撤回しておく、申し訳ない。
もう少し考えて、無効になるかどうかを決める。
もしかしたら、本当に無効になるかもしれない。
ただ、無効になろうがなるまいが、限界が来たら「罪を犯さない者は居ない」という聖書根拠で行動することになる。
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