見出し画像

父の性格を遺伝するから父同士で結婚を決めると子供は幸せになる 自由恋愛は可能です 新旧の人の分類

1、父親同士で結婚を決める理由
気質・性格・価値観は、父親から遺伝しやすい。
知能は、母親から遺伝しやすい。
父親同士で結婚相手を決める理由は、父親同士で性格が合うと、子供同士でも性格が合いやすくて幸せに成りやすいからだ。
人間は、自分の気持ちは判らないし、同性の気持ちですら判り辛いのに、異性の気持ちが判るのは難しい。
これが本人同士で結婚相手を選ばない方が良い理由になる。
絶対に不可能とは言わないけど、異性の気持ちが判る人なんて、よほどの才能と努力をした人だけだ。
その労力を出世や仕事に使った方が人生は良くなる。

2、自由恋愛は可能
どうしても選びたいなら、父親同士で気の合う父親を10人50人100人1000人ぐらい集めて、その子供たちで集まって、作業・趣味・勉強・娯楽をさせて、その間に子供に選ばせたら良い。
これが自由恋愛が可能な理由だ。
こうすれば、父親たちは気の合う相手と結婚相手を探せるし、子供たちは自分の意思で選べる。
そういうセッティングを父親が面倒がるなら、厄介な事になる。
どの道、結婚したら、父親同士で話し合う事もあるから、セッティングを面倒がるようでは、結婚後のトラブルで極端な事態になる。
父親がセッティングしてくれないなら、自分で決めれば良い。
結婚しないことも選択肢に入れたら良い。
相手の父親を基準にして決めれば良い。
天の主を実の父と思って選べば良い。

3、婚前性交をしなければ良いだけ。
手をつなぐぐらいは良いし、ハグも良い。
性交だから、性器で交わる事をしなければ良い。
婚前性交に関係ありそうな聖書箇所は下に引用。

旧約聖書:出エジプト記:22章: 16節
もし人がまだ婚約しない処女を誘って、これと寝たならば、彼は必ずこれに花嫁料を払って、妻としなければならない。
旧約聖書:出エジプト記:22章:17節
もしそのがこれをその人に与えることをかたく拒むならば、彼は処女の花嫁料に当るほどの金を払わなければならない。

ある男がまだ婚約していない処女の娘に出会い、これを捕らえ、共に寝たところを見つけられたならば、
共に寝た男はその娘の父親に銀五十シェケルを支払って、彼女を妻としなければならない。彼女を辱めたのであるから、生涯彼女を離縁することはできない。

申命記 22章28節29節 新共同訳

「共に寝た」だから、性交である。
「婚約していない」だから、気の合う父親同士の集まりで結婚相手を探しているのは、ほとんど婚約しているようなものだけど、心配なら婚前性交しない方が良い。
結婚する前提なら、婚前性交しても、そこまで問題かなと思ったけど、心配なら婚前性交しない方が良い。
訂正7月19日 やはり、婚前交渉はしない方が良い。申し訳ありませんでした。

4、世間が自由恋愛を保障すると自由恋愛の邪魔になる
世間の自由恋愛は、自由恋愛の邪魔になる。
なぜなら、クズ男が入り込むから、それだけ良い相手と出会う機会が少なくなる。
半数がクズ男だと、良い相手と出会う確率が半分になる。
これが、社会や世間が自由恋愛を保障すると自由恋愛の邪魔になる根拠である。
世間が認める自由恋愛なんて、クズ男が有利になるだけだからな。
例えば、結婚相談所を例に挙げると、半数をワザと結婚の対象にならない人間を混ぜると、効率が半分になるだろう。
サタンは、こういう妨害をしてくる。
人々を不幸にしようと企む。
だから、憲法で本人同士の合意とかいう罠を仕掛ける。
父親同士で気が合う相手を1000人ほど集めて、子供同士で自由に選ばせれば良いだろうが。

5、邪魔になる人間
コイツが自由主義を主張すると、自由主義の邪魔になるというのがある。
コイツが言論の自由を主張すると、言論の自由の邪魔になるというのがある。
コイツが犯罪者の更生のチャンスを主張すると、犯罪者の更生の邪魔になるというのがある。
足抜けの邪魔をするために言っているのか。

6、人間を選ぶ幸せなど無い
食べ放題で食べたいモノを選んでるのではない。
人間を選ぶ時は、幸せに成るかどうかではなく、責任を背負うかどうかで考えるものだ。
企業が人を採用する時も、責任を背負う気で選ぶ必要がある。
大勢を雇ってから、ダメなら首にするなんて無責任なやり方をしていたら、社会が崩壊する。
大勢が新卒カードを失ったら、完全に社会から脱落して、結婚できなくなり、次世代が生まれなくなり育たなくなる。
結婚も相手を選ぶ時は、相手の新卒カードを使わせるつもりで選ぶ責任がある。
ただし、配偶者に先立たれた人が相手なら、そこまで責任はないけど。
また、俺は、聖書の解釈で一夫多妻だと思ったから、2人目以降の妻なら、そこまで責任を感じなくて良いと思う。
世の中には、愛人気質の女が存在するらしいから、第二夫人の方が気楽で良いと言う女も存在する。
正室だと家族全体を取り仕切る責任がある。
何事も選ぶと責任があるという話。

7、聖書で人間を選ぶ場面は
神が人を選ぶ場面。
政治的な場面で人が人を選ぶ。
軍事的な場面で人が人を選ぶ。
奴隷を選ぶ場面。

聖書でも、奴隷の売買について書かれている。
聖書の中で、奴隷を選んで幸せに成れるなど、書いてない。
人間を選ぶ幸せは無いと、聖書で神が言っているのだろう。
幸せのためではなく、集団の運営のために必要なだけ。
本人が自分で結婚相手を選んで幸せに成れるなんて書いてない。
最初に書いた、父親同士で集まった範囲内で選ぶなら、幸せに成れる。

8、女が何人も選んでいると不幸になる
以前にも書いた
1人目で結婚したら8割の人は幸せを感じて、5人目以降で結婚すると3割の人が幸せを感じる。
色々、相手を選んだら性格が合うのを見つけられるかと言ったら、そうでもない。
前の男と比較してしまうから、不満を感じやすくなる。
そうでなくても、全ての面で優れた男は居ないし、性格が全て合う男も居ない。
生活習慣も、前の人とぶつかってしまう。
同性でも難しいのに、異性相手に価値観と性格と生活習慣が全て合うのは可能性が低い。
そして、父親と生活習慣の違う男だと、慣れてないから不満を感じやすい。
基本的に、私生活は、慣れがモノをいう。
良い方面で父親より生活習慣が違えばいいけど、悪い方向で生活習慣が違うと不満を感じやすくなる。
どの道、結婚したら、父親との関係と同じように、仕事ではあまり会わないで生活するから、父親を基準にして選んだ方が良い。
結婚生活は、片方か両方が仕事へ行くと、実家で父親を相手にしたような同じようなやり取りをするようになる。
母親を基準にして選ぶと、べったりを基準にして、結婚生活では仕事に行くから一緒に居ないという、ちぐはぐな結果になる。
母子家庭で父親が居ないなら、自分で選べばいい。
もしくは、相手の父親を基準にして選べばいい。
選べないなら、聖書を読んで、天の父を実の父と思い、天の主が許可しそうな相手を選べばいい。

9、未亡人は、何人目と再婚しても不幸にならない
未亡人は、再婚しても不幸にならない。
前の夫と比べる事は出来なくなっているからだ。
戻る事は出来ないから、比較するのも、生きてるよりは少ないだろう。
聖書でも再婚を奨励しているのは、不幸にならないし、幸せになるため。

10、選ぶことが幸せだと騙されている
選ぶ幸せがあると騙されている。
人間を選ぶ幸せなど無いし、選ぶ事そのものに責任がある。
サンクコストで、自分が選んだ事を後悔したくないから、むりやり幸せだと思い込んでいるだけ。
サンクコストの罠にハマって不幸になる。
サンクコストとは、埋没効果と言って、今まで使った金や時間や労力が惜しくて、損切りが出来ない心理状態の事。
自分で選んでおきながら不幸と思うとは何事か、と他人は𠮟りつけるから余計に損切り出来なくなる。ここまでが騙しの手口だ。
人間を選ぶのが、まるで権利のような考え方を洗脳されている。
権利だと思っていたら、実は義務と責任と重荷でした。
こういう騙され方をする。
選ぶ責任を全く教育しない社会の風潮になっている。
そのため、天の主か、偶像崇拝か、どちらかを選ぶ責任を全く感じない人間だらけになる。
そういう選ぶ責任を感じない人間にするのがサタンの罠なのだろう。
選ぶ責任を感じないから、適当に偶像崇拝を選んでしまう。
それが地獄へ道連れにされる罠だと知らずに。
そりゃ、自由に選べるなら、誰でも、人生に何らかの制限が掛かる選択より、人生に何の制限も掛からない選択をするだろう。
それが地獄へ道連れにされる罠だと知らずに。
人生に何の制限も掛からない選択をすれば、楽しいクリスマスパーティーやイースターパーティや正月盆暮れ各種イベントに参加できるからな。
それが悪魔崇拝で地獄へ道連れにされる罠だと知らずに。

主はあなたたちを諸国の民の間に散らされ、主に追いやられて、国々で生き残る者はわずかにすぎないであろう。
あなたたちはそこで、人間の手の業である、見ることも、聞くことも、食べることも、嗅ぐこともできない木や石の神々に仕えるであろう。
しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。

申命記 4章27節から29節 新共同訳

申命記4章27節から29節は、全体的に解釈すると以下になる。
「全ての国はサタンが支配して偶像崇拝や悪魔崇拝が蔓延(はびこ)る。
あなたはそこで、天の主以外に仕えて悪魔崇拝する。
しかし、その環境から天の主を尋ね求めるのが、あなたに課せられた使命である。
心と魂を尽くして求めれば、あなたは天の主を見つけ出会い立ち帰るであろう。」
このように言える。
結論を言うと、選ぶのは権利という側面は有っても、実際は選ぶ責任の方が重いと思った方が良い。

11、選ぶ楽しさで洗脳する
サタンの罠として、普段から選ぶ楽しさで洗脳しているのかもしれない。
箇条書きにすると、こうなる。
一、買い物で何かを選ぶ楽しさ。
二、食べ放題で食べたいものを選ぶ楽しさ。
三、付き合う相手を選ぶ楽しさ。
四、好きな本を選ぶ楽しさ。
五、好きなテレビ番組を選ぶ楽しさ。
六、どこかへ遊びに行くのを選ぶ楽しさ。
常に選ぶ事が楽しいと洗脳して、選ぶ責任を回避する思考回路が出来上がる。
選ぶ事は楽しい、と洗脳する。
楽しくなければ選択肢ではない、と洗脳する。
選ぶ楽しさのないものは選択肢ではない、と洗脳する。
選んで楽しくないものは、詰まらないものだから選ばない、と洗脳する。
こうなると、苦労を自主的に選ぶという考え方が身に付かない。
どうしても苦労を選ぶ場合には、何らかの見返りの確約を要求する考え方が染み付いてしまう。
聖書を選んで苦労する選択をしなくなる。これがサタンの罠。
選ぶと責任が発生する選択から逃げるようになる。
選ぶと人生に制限が発生する選択から逃げるようになる。
この逃げが管理されたがる思考回路につながるのだろう。

昔からの自分の生活だけど、添加物とか残留ホルモンを避けていると、選ぶ楽しさなんてスーパーの商品から99%なくなるため、選ぶ楽しさで洗脳されるなんて全くなくなる。

12、自分と聖書
俺は、選択肢もなく否応なく毒親と金銭トラブルになったから、聖書が詰まらなくても選んで読んで解釈して立ち帰るのは、何も苦しくなかったし、むしろ精神的に安心できるようになった。
苦しかったことは苦しかったけど、そんな拒絶するほどメチャクチャ苦しい感じはしなかった。
途中で読むのを止めるほどの苦しさもなかった。
苦しくても次が読みたいという感覚が有った。
抵抗感は有ったけど、普通に通読できた。
毒親相手の苦しさは、ただ苦しいだけの苦しさだった。
しかし、聖書の苦しさは、心地よい苦しさだった。
聖書を苦しくて読めないという人は、恵まれた人生を与えられたのだなと思う。
だけど、聖書の心地よい苦しさを理解できないのだから、恵まれない人生とも言える。
恵まれた人生と恵まれない人生は、どちらも天の主が与えたものである。
恵まれた人生にするか、恵まれない人生にするか、それは自分がやるべき事である。

13、選ぶ楽しさと民族性
日本人の民族性として、選ぶ楽しさで洗脳する方が神を忘れるのだろう。
神に近づかなくなるのだろう。
選ぶ自由の有る国で育つと、天の主に近づくのは抵抗感が強くなるのだろう。
基本的に、サタンの企みで豊かにされた民族の民族性は、選ぶ楽しさで頭がお花畑に浮かれる民族性だと思う。
日本・アメリカ・韓国・西欧・北欧あたりが、そういう民族性なのだろう。
そうなると、逆に、選ぶ楽しさでは、頭が浮かれない民族性を持つ民族も存在するのだろうか。
俺は、日本や先進国の気質しか知らないから、そういう民族性が貧困国にあったとしても判らない。

14、安息日のおかげ
安息日のおかげで、週に一度は物を買わない日を作って、選ぶ楽しさを制限できる。
選ぶ楽しさに浮かれなくなる。
また、仕事に染まらなくなる。
安息日まで仕事をすると、仕事に絡め捕られて、妙な注射を打つハメになる。
休みなく仕事をすると、モノを考えられなくなってホイホイ命を差し出す。
嫌々で打つとか、まだ好き嫌いで人生と生き死にを決めているのか。
選り好みで決めているのか。
選ぶ楽しさがあるかどうかで決めているのか。
好き嫌いではなく、必要だから選ぶという考え方が出来ないのか。
信念で断固としてはねのけるという考え方が出来ないのか。
天の主が安息日を聖別したのも、考える余裕を与えるためなのだろう。
安息日を守っていると、考え方を切り替える能力が身に付く。
安息日は、金曜日の日没から、土曜日の日没までの24時間である。
日曜日を安息日などとすり替えているのは、サタンに侵食された偽装キリスト教団だと判断して良い。
定日のイベントは、確実に数年で安息日を穢すから悪魔崇拝のイベントだと断言できる。
成人の日のように、第二月曜日に行われるという開催なら、悪魔崇拝ではない。
金曜日の日没から土曜日の日没までに重ならなければ、悪魔崇拝からは遠いと思って良い。
時々、土曜日の24時間が安息日という人も居るから、こっちはある程度は正しいから、好みになるかもしれない。

15、日没という漢字
日没という漢字をじーーーっくり見て。
日が、没という漢字の間に入っていく感じがするだろう。
フラットアースだから、没の右上の部分を天蓋のドームの屋根みたいな形として、右下の部分を海・大地として、左の三本の線が間に入って行こうとするだろう。
日没の漢字は、太陽が沈んでいるのではなく、日が天蓋の屋根と海・大地の間に入って行って遠ざかっているという意味なんだよ。
日沈ではなく、日没という漢字を使っているのが、フラットアースだとサタン側がヒントを出している。
答えそのものだけど。
サタン側は、こういうヒントを出して、気付かない人間をバカにする。
「やっぱあいつらバカだ。漢字すら理解できない」というように。
本当に球体で沈んでいたら日沈と書く。
もしくは、日が隠れるとして、日隠(ひかくれ・にちおん・ひおん・にちいん・ひいん)という漢字を使う。
太陽の漢字そのものが、太は長男を言う。陽はそのまま日。太陽が長男と言うのも変だなと思った。第四の日に創られたから、長男と言うのはおかしい。光が「光あれ」で第一の日に創られたのに。ここは判らないな。
空の太陽と月と星々の長男だから太陽なのか。

16、憲法と結婚について
憲法で、結婚の自由を保障しているけど、あれは少し違う。
憲法は、政府を制限するもの。
だから、政府が結婚相手を強制してはいけない、という意味になる。
憲法は、自分で結婚相手を選んだら幸せになるとは言っていない。
食べ放題で食べたいものを選ぶなら好きに選べばいい。
しかし、人間を選ぶのは、選り好みではなく、責任がともなう。
食べ放題と人間を区別しよう。
犬猫を飼う時でも責任がともなうのに、ましてや人間だから。

17、自分
自分は、結婚は夢見ていたけど、現実的には責任がシンドイし、虚弱体質は遺伝させたくないから、しなかった。
あと、自分の親を紹介したくないと思っていた。
何となく親を紹介するのは嫌だなと思っていた。
確信はなかったけど。
母親は、知能指数が俺と同じぐらいらしい。
母親から知能が遺伝している。

18、夢の話
前に寝て見る夢で黒人が出ないと言ったけど、ヴィクトリア朝の服飾を表現する自主アニメの制作に、黒人が参加するのがイメージできないからだろう。
黒人が、背教ではない服飾デザインを頑張ってくれたら、夢に出るかも。
アフリカの民族衣装やダンスは、どうにも宗教色が強い感じがして、昔から嫌だったので見てないから、夢にも出ない。
今では、悪魔崇拝だから絶対に嫌だし。

19、昨日の訂正
昨日に書いた外人の王を一時的に、という話で言い忘れていた。
旧約では外人の王はダメだけど、新約は全ての民族に天国への門戸が開かれているから、外人の王でも敬虔な信者なら良い。
旧約は、「敬虔なイスラエル人」と「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」が天国へ入れる。
「敬虔ではないイスラエル人」は天国へ入れないし、「敬虔ではないイスラエル人を助ける異邦人」も天国へ入れない。
むしろ、神が異邦人を洗脳して、「敬虔ではないイスラエル人」を殺させるぐらいだ。
新約では人間は2種類に分類される。
それは、敬虔な信者か、背教者か。
新約は、敬虔な信者が天国へ入れる。
だから、敬虔な信者が王になるなら、同じ民族でも異民族でも王にして良いと俺が勝手に思っているだけ。
本当に敬虔な信者なら、異民族の上に君臨して王権を世襲なんてしない。
「異民族の王」は旧約では良くないと書かれているから、自分の役割が済めば臣民の民族の人から王を選ぶ。
頭が完全に新約モードになっていたから言い忘れていた。申し訳ない。
新約モードの思考回路だと、人間は、「敬虔な信者」と「背教者」の2種類だけという考え方になる。

旧約だと色んな種類の人間が存在する。
「敬虔なイスラエル人」
「不敬虔なイスラエル人」
「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」
「不敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」
「不敬虔なイスラエル人を殺すために神に洗脳された異邦人」
「天の主を信じる異邦人」
「天の主を信じていないけど人助けする異邦人」
「天の主に背く背教者の異邦人」
「敬虔なイスラエル人の王」
「不敬虔なイスラエル人の王」
「敬虔な祭司」
「不敬虔な祭司」
これが新約になると人間は2種類で分類される。
「信者」
「背教者」

子や孫の配偶者を常に臣民の民族から選び続けても、世襲はしないという風に訂正しておくか。
新約モードの思考回路だと「外人の王でも敬虔な信者ならええやろ」と考えてしまう。
この辺りの話がちょっと頭の中でスッキリしない。
敬虔な信者なら良いんじゃないかと思っているから。
とりあえず保留する。

外人の王の話のついでに、人種について。
聖書の描写で、人種なんか存在しないし、民族なんか存在しない-。
白髪を一本も黒くできないとあるけど、黒髪なんてどの人種でも居る。
肌の色が黒いとかはあるけど、そんなのはどの人種でも焼き加減で出来る。
イエス・キリストを白人と言う連中はおかしいし、有色人種と言う連中もおかしい。
そもそも、イスラエル人の人種がどれかなんて聖書に書かれていない。
科学的に分析する連中がおかしい。
やっぱり、科学はサタンの手先だわ。

追加 5月25日
聖書にイエス・キリストやイスラエル人の人種は書いてないのに、科学的に分析するのはおかしい。
でっち上げようとしているサタンの企みである。
科学はサタンの手先だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?